Stories

□櫻色ヒステリカ
2ページ/3ページ

僅かに傾き、カタリ、と壺の中で揺らぐ音。

音からして、軽くて粒状に近い。





「何が入っているんですか?」

「桜湯の種……ですかね」





そう言って、壺の蓋を開け、匙を使って桃色の塊をすくいだす。

そしてそのまま、杯に溶かしてゆく。





「桜の花弁を塩と梅酢などに漬けていたものです。こうして、白湯の注いだ杯に溶かしていくんですよ。そうすると……」





一旦、手を止める猫屋敷。





「……綺麗ですね」





ふわりと広がる、微かな桜色。



湯の中で揺らぎつつ、だんだんと花が開き湯の上に浮かび上がった。





「これで、完成ですね。……社長?」

「こうやって……桜を楽しむ方法もあるんですね。花見くらいしか知らなかったので、新たに知れて何だか嬉しいです」





まじまじと杯を覗き込むいつき。



かつては、漆黒の革の眼帯に覆われていた右目も今は何も遮るものは無い。

両目を使って見ている様子は、まるで普通の高校生のようだ。





(……今までは、無知だった故に自分の立場が判らず恐怖に追われていましたね。分かってからは、理解したからこその恐怖に追われる日々。……春を愛でる余裕など、それは無かったでしょう)





妖精眼を持つ者の運命ではある。



それでも、せめて今だけは普通の高校生であって欲しいと思ってしまうのは、部下として上を労る気持ちだけではないことを自覚していた。



目を少しだけ離すようにして、いつきのことを眺める。

桜湯の淡い桃色が、いつきのやや大きめな黒瞳に反射するかのように映り込んでいた。



混ざり合うことがないぶん、そのコントラストは儚さを宿らせる。



……その儚さは穏やかな春の陽射しに、よく似合っていた。



そして自覚は、無意識のうちに口から溢れてゆく。





「綺麗、ですね」

「はい。……僕も」





そう思います、とは続けられなかった。



自分を見つめる瞳が、とても優しかったから。

そして……その瞳に滲んでいる熱の色を知っていたから。





(ずるい。そんな瞳じゃ、まるで……僕のこと)





好きみたいじゃないか。



聞こえないくらい、小さな呟き。





「ね、猫屋敷さん……桜湯、冷めちゃいますね」





胸に広がるさざ波を振り払うように、とりとめのない言葉を投げかける。



どうか、誤魔化されてほしい。



そう思いながらも、猫屋敷の瞳を逸らすことは出来なくて、息が詰まる。





「……社長」





いつもと同じように、呼びかけるその声さえ、瞳と同じ色を纏っているようで。



彼の灰色の髪が、陽射しを受けて鈍く光る。





「……はい」





命のが危険に晒されているわけではない。



でも、逃げ出したい。

なのに、逃げ出せない。



返事をする声が、震えた。





「今……何を思ってます?」





(そんな質問……答えられるわけ、ないじゃないですか)





「言えない、です」

「言えない、ですか?……言わない、ではなくて」

「……そんな言い方、ずるいです。猫屋敷さん」





戸惑ってそう告げた顔が、火照る。



この会話の意味は何だろう。



社長業も、2年が経つ。

お互いの腹を探り合うようなやり取りにも、だいぶ慣れた。



しかし、このやり取りは何かが違う気がする。

もっと、深くて単純な……。





「確かに……狡いかもしれませんね」

「え……?」

「……社長、ちょっと失礼します」





手に持っていた杯を地面に置き、片腕を引かれる。



桜湯の入った杯を覗くために、猫屋敷とはちょうど向かい合うような姿になっていた。

そんな姿から、片腕を引かれればどんな姿になるのか。



……単純明快。

抱きつくような形となる。



否、抱きしめられるような形となった。



彼の羽織越しに、僅かに聞こえてくる心臓の音が跳ねているのは気のせいか。





(えっ!?)





失礼します、とは言っていた。



とはいえ予想外の展開に、混乱を隠せないいつき。





「あの……猫屋敷、さん?」

「すみません。……本当は、伝える気など無かったのですが」





抱きしめる腕に、さらに力が入った。



肩に顔を埋められ、零れる吐息に全神経を持っていかれそうになる。



はらはらと散ってゆく桜さえ、もう見えていない。

視線の端に囚われるかのように見えているのは、彼の瞳と同じ灰色の髪と白装束。





「……貴方が、愛しい」





長い静寂の後、ぽつりと呟かれた言葉。



まさしく、それは愛の告白だった。
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ