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□櫻色ヒステリカ
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ひらり。
ひらり。
そんな音が聞こえそうなほどの、おびただしい数の桃色が舞う。
仄かに春の香りがするこの桃色の花弁は、ソメイヨシノだろうか。
クローン技術による人工のものしか存在しないこの花は、天然の桜と遜色ないどころか、日本有数の桜花として咲き誇る。
見渡す限り、それが散っては風に乗って揺らぎ、舞っていく……その様子は、辺り一面を春に染めていくようにもみえた。
そんな、柔らかな春らしい空気の中。
ある場所だけは、ぎくしゃくとしたぎこちない雰囲気に包まれていた。
「……あの、猫屋敷さん」
「なんでしょうか、社長」
「その……人が、いないような気がするんですが……?」
一般的に、花見というのは大勢で行う場合が多い。
少人数だとしても、行楽シーズン真っ只中の4月上旬に全く人がいないということは無いだろう。
……では何故、こんなにも美しい桜の咲くこの場所は無人の地と化しているのか。
疑問に思ういつきだったが、案外答えは単純なものだった。
……あくまでも。
「それはですね、人払いの呪符を至るところに貼っておいたからですよ」
「そうだったんですか。……え?」
あくまでも、“魔法使い”としてならば……ということだが。
人がいない理由はわかったが、それ以上の疑問が生まれて、頭の中が満たされる。
隣でいつものように式神でもある愛猫の白虎たちを撫で、お茶を啜る猫屋敷。
それを見ながら、いつきは自分の置かれた状況を把握しようとする。
ちなみに、お茶からは湯気が立ち上っていたりしていた。
だが、いつ淹れたのかすら気づかなかったあたり、いつきが混乱している証拠だろう。
どうやって淹れたのか、ということ自体が聞くだけ野暮な話でもあるので、あえて聞かなかったという可能性もあるが、この場合は限りなく低い。
それに魔法使いとは、そういうものだ。
世の中は人が思うより、少しだけ不思議が多い。
そして、その不思議は……“魔法”として人の近くにあるものである。
それを自らは魔力を持たないという意味で、一般人としては異常なほど体験してきたいつきだが……。
(いや、魔法ってことは何となくわかったけど……え?どうして、今?何のために?その前に人払いってどういうことですか、猫屋敷さん……!?)
命を脅かす魔法に慣れかけたとはいえ、どうやらそれ以外の魔法の耐性はあまり無かったらしい。
いや、どちらかというと魔法によって巻き起こされた事態に耐性が、無かったというべきか。
青から赤へ。
赤から青へ。
そして、再び赤色へ。
忙しなく移ろいゆくいつきの顔を微笑ましそうに見つめる猫屋敷。
扇を広げ、緩む口元を隠すが、それでも甘く滲む瞳には想いを潜めきれていない。
(社長……困っていますね。ふふ、赤くなったり青くなったりと忙しそうです)
困っている様子を見て、楽しんでいると表せば誤解を招くかもしれない。
が、好意を抱いている相手に対しては尚更からかいたくなるものだ。
愛情の裏返しみたいなもの……だろう。
……真実を知らない身としては、堪ったものではないが。
「ほら、社長。そんな顔をしてないで、桜を楽しみましょう?」
「いや、あの……原因は猫屋敷さんなんですけど」
「そんなことは、いいじゃないですか」
「……」
無言で、“良くない”と訴えかけるいつき。
猫屋敷もそれに気づきはしたが軽くスルーし、いつきに飲み物を勧める。
「社長は何を飲みます?妥当に日本茶でも良いでしょうが、今日は桜湯があるんですよ」
「桜湯、ですか?」
「えぇ、そうです」
あまり馴染みがないのだろう。
いつきは頭上にクエスチョンマークを浮かべるように、首を傾げていた。
それは想定していた猫屋敷は、どこからともなく急須を取り出し、杯に白湯を注ぎはじめる。
……急須を取り出したことを口に出さないあたり、いつきも多少の疑問はスルーすることにしたようだ。
(普通の……お湯?)
「違いませんが、違いますよ」
「……人の心、読まないでください」
「いえいえ。流石に人の心なんて読めやしませんよ。社長があまりにも分かり易い顔をなされているので……つい」
「そう……ですか」
えぇ、顔に出てますよ。
そう続ける猫屋敷。
いつき自身、周囲の人間によく言われることであるので否定はしないらしい。
なんとも言えない顔をしていると、猫屋敷が小さな壺を取り出した。
男性が持ち歩く物にしては、可愛らしい細かな装飾のされた陶器の壺。