みじかいのん
□フルマラソン
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「ごちそうさまでした」
そう言うと私はさっさと食べ終わったお皿を洗い始める。
「めずらしいな、いつもは食べ終わったらぐずぐずしてんのに」
「明日、早く出なきゃいけなくて」
「仕事?いそがしいのか?」
「仕事は忙しくない」
「ん?なんで早くいくんだ?」
「…ソン」
「え?」
「明日はフルマラソンがあるから通勤コースが全部マラソンコースになるの!!」
そう。明日はフルマラソンが実施されるのだ。
マラソンはどうでもいい。問題は通勤コースが9時から16時の間通行止めになってしまうことだ。
私の出社時間は10時なのだ。この街はアホなのだ。バカボンなのだ。
「通勤コースじゃない道あんだろ?」
タナカさんの言うとおり確かに別のルートがある。
「…あるけど。表示がなにもないんだもん」
マラソンコースが最近になって変更された。そのはじめての年、余裕ぶっこいて通勤していたらボランティアに右道に行けとうながされその通りにすすんだものの表示がなにもなくどっちにいっていいのかわからず、脇汗はナイアガラの滝状態になってしまった嫌な思い出がある。
「あー…お前究極の方向音痴だもんな」
「フン!!」
イライラしながらお皿をあらう。
タナカさんはタブレットをとりだし何やらチェックしている。
「朝、送っていってやるよ」
「え?」
「帰りはブーマンにでも送らせるよ」
「でも…」
「いいじゃねーかたまにはそーゆーのも」
タナカさんはニカッと私にむかって笑いかけてきた。
翌朝
「じゃ、行きますかお嬢様」
「うむ」
「なんじゃそら。ハハッ」
タナカさんの大きなSUVに乗り込む。吐く息が白い。こんな中、ランナーは走るのだ。
運動音痴の私には全く理解できない。
タナカさんの車の中は軽快な音楽が続く。きっと今朝のために選曲したんだろう。
昨日、タブレットをごきげんでいじってたときにかけてた曲も何曲かあった。
「ん」
だた何となく外を眺めていた私はタナカさんの声に振り返る。
タナカさんは私にむかって手を差し出している。
「ん?なに?」
「手」
「手?」
タナカさんのムニムニした手を見る。
いつものようにムニっているけど…?
「手、繋ぐの!オメーもわっかんねーやつだな」
そういいタナカさんは私の手を握った。
しばらくすると大通りに差しかかった。日曜日の朝9時前というのにスゴイ混雑だ。
「すげーな!日曜日の朝つーのに!!」
SUVなので見晴らしがいいため、混雑ぶりがいつにもなくすごく感じる。
となりのタナカさんも興奮ぎみだ。
セレブな車から軽自動車までこんな時間にヤンキーの車まで、みんな一目散に逃げているようだった。
「ヤン車までいるじゃねーか!!」
隣で手を繋いではしゃいでいるタナカさんがかわいくて仕方なかった。
会社に到着した。私のために門は開けられている。
「ここでいいよ」
「そうか?」
そういいタナカさんは建物の影になるところで車を止めた。
「ありがと」
タナカさんのほうを向いた瞬間
「ん」
ムチュっと押し付けてタナカさんはキスをしてきた。
「いってらっしゃい」
またニカッと笑う。
「…もう」
そんなことされたら会社に行くのいやになっちゃうじゃん。
タナカさんの車を見送ってから、大きく深呼吸をし気持ちを切り替え事務所の鍵を開けた。
そろそろ通行止めも解除になる頃、仕事が一段落した私はコーヒーを飲みながら携帯をチェックし、タナカさんのLINEを開いて、今朝のタナカさんを思い出した。
選曲、手の感触、はしゃぐ姿、どれをとってもかわいい。
「あ、データーバンク!なんかいいことあっとっちゃったね?」
「小島マネージャー、別になにもないですよ」
小島マネージャーはつい最近、県外から赴任してきた。勤続年数が長い私はお客さんのことをよく知っているためデーターバンクと名付けている。
「携帯みながらニヤニヤしてたと思ったんじゃけどなー」
「してません。ホームシックじゃないですか?」
「ほうかの〜!!!」
いつも大嫌いだったフルマラソン。
今年はちょっとだけ好きになった。
ちょっとだけね。