チェリーパイ

□文句は言わせない
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男は不機嫌そうな顔を包み隠さずにロッカーに寄り掛かる自分を見つめてきた。
彼の皮肉たっぷりな視線を受け止め、こっそりと息をつく。
まあ、いつものことだ。
女性である自分がボスだと知ってからの男性の批判的、差別的な反応は。しかも大概こっちが年下だ。
今まで数々の部下を持ったが特別最初の反応ほどつらいものはない。
だからといって尻込みするつもりもまったくもってない。
第一印象で決定づけられるならそれをひっくり返してしまえばいいのだ。

「…納得がいかない?」

「え?」

ピアーズ・ニヴァンスは戸惑うように自分を見つめた。
驚いた。考えていることが顔に出ていること自覚ないんだ。

「いいの。いつものことだから気にしてないけどその顔続けてると年とったときに皺になっちゃうよ」

あ。少し顔が赤くなった。
リンはくすりと笑った。馬鹿にしているととられたらしい。
ちょっとだけこのギスギスとした空気を和ませようとしたのに。
部下となる男はこちらを睨みつけ、「からかわないでください」と語気をほんの少し荒げた。
一応、尊敬語(丁寧な文法)で話してくれるらしい。

「可愛い」

「そんなこと言われても嬉しくありません」

「うん、知ってる」

にっこりとそう答え、リンはピアーズから背を向け、ロッカーから荷物を取り出した。

「待ってください。話は終わってません」

ダン、と隣のロッカーがへこむ。チラッとへこんだロッカーを見て、ため息を零す。
どうやら帰らせてくれないらしい。至近距離。付き合ってやろうじゃない。
不満顔のピアーズを見上げる。

「なに。わざわざ女性更衣室まで押しかけて。私の部下になりたくないって?」

そんなの直接自分に言われても困る。こちらに決定権はない。あるのは上だけだ。
そんなの言われなくともピアーズならわかっているはずだが。
ピアーズはこちらを無表情で見下ろしたまま、何も言わない。
小首を傾げ、背中をロッカーに預けた。腕を組んで、瞼を閉じて彼を待つ。
部下になる男だ。ここで話しておいて片を付けておけば後々面倒にならずに済む。

「それで?なにが気に入らないの?」

「似てる」

「え?」

「俺の惚れてた女に」

はい?リンは驚いて彼をつい見上げてしまった。
そしてピアーズは吐き捨てるように続けて言った。

「だからムカつく」

そう言うとピアーズは素早く顔を近づけてきた。
しまった。そう思ったときには唇を乱暴に奪われていた。
あまりに理不尽で衝撃的な理由を聞いて呆け過ぎた。自分のガードの緩さに腹が立つ。
ゴン、と後頭部がロッカーと接触する。
侵入してきた舌を噛んでやれば、彼はリンの舌を絡めとり、仕返しのつもりだろう。舌に痛みが走った。
すぐに解放され、潤んだ双眸を彼に向ける。
口の中の鉄の味に顔を歪め、睨みつけた。お互い唇が切れている。

「なにすんの」

「俺はアンタが嫌いだ」

「私もあんたが嫌いよ」

*

それが2人の出会いだった。
性格は事前に情報網で知っていたがああいった性格であることは聞いていなかった。
というよりB.S.A.A.内部では知られていない一面なのだろう。
何と最悪なことか。
評判がいい彼が乱暴にキスしてきました、だなんて言って誰が信じるだろうか。
頭を抱えたくなる。

「いま俺のこと考えてませんか」

暗いジメッとした廊下を懐中電灯で照らして歩きながらピアーズはそう言ってきた。
この自意識過剰男。本当にそうだったから性質が悪い。
暗がりの中で顔を一瞬だけ歪め、口を開いた。

「いえ、別に」

「ツンツンした貴方も綺麗で好きですよ」

微塵もそう思っていないくせに。
ふん、と鼻を鳴らし「そりゃどうも」と短く返す。
とりあえずこの男と2人でいると危険だ。下手なナンパの相手の方がやりやすい。
あれからキスはされないが殺意にも似た怒りを向けられる。
リンは何もしていない。ただ上の意向で上司となっただけ。
昔の惚れた女に似ている。なぜただそれだけで憎まれなければいけないのだ。
しかし同時にピアーズのその件に対して深く関与してはいけない気もした。
かび臭い匂いとムッとするような酸っぱい匂いに口元を思わず押さえた。

「死の匂いがする」

銃口を持ち上げ、2人の間に緊張が走る。

「さっきの悲鳴が関係しているみたいですね」

「ピアーズ、気を付けて」

「はい」

慎重に幾つもの開けっ放しのドアの中を確認していく。
ダンッ。物音に銃口と光を向ける。背後から聞こえたが何もない。

「引き続き背後の警戒は任せた」

「了解です」

慎重に腰を落として前進しながら気配を探る。
少し荒い呼吸音が聞こえた気がした。
ピアーズも気づいたようだ。問題はどこからか。
しかし時折聞こえる呼吸音はあっちこっちから聞こえる。
まるで四方八方に移動しているような――。

「ピアーズ…敵は1人だけじゃないみたい」

「確認できました?」

「ううん。まだ1人も見えない」

歩き進めると一つのドアにぶち当たった。

「すごく怪しいドア」

リンの呟くような言葉にピアーズが反応する。

「ステンレス製?」

他のドアは壊れていて、木製のドアなのにも関わらずここだけは異様なほどに頑丈だ。

「後から誰かが取り付けたみたい。まだ取り付けてそんなに経ってないんじゃないかな」

ドアに触れ、懐中電灯で照らしながら確認する。

「これお願い」

懐中電灯を手渡し、“もの”を差し込んで開錠にかかる。
感触に首を傾げた。開けっ放しだ。まるでここへ行けと敵に言われているような気がした。
抜き取り、取っ手に手をかける。重々しい音を立てて扉が開く。う。ちょっと重たい。
全体重を駆使して扉を押す。
ピアーズはすかさず銃口を向けるが扉の先には階段があるだけだった。
スイッチを見つけ、試しにつけるとゴォンという音と共に蛍光灯がつき、換気扇が回り出した。
呆れたような視線を感じ、目を向ける。

「何よ」

「いえ、ずいぶん簡単に押してくれるんですね。爆弾の起爆装置だったらどうしてくれるんですか」

冷たい声に何も言えない…。
彼の言葉は確かに正論だ。スイッチは確かにそんな雰囲気だ。

「ドジなのか、頭が切れるのかどっちかにしてくれませんか」

「一言余計よ」

グォオォオオオオ!!!!
背後から聞こえてきた咆哮に振り返ると廊下の角から赤い目玉が二つ。
いや、4つ…6つ…8つ…数えていてはキリがない。こちらに迫ってくる。
すかさずリンは「ピアーズ!」と呼んだ。意図が分かったようだ。
2人で協力して先ほどのドアを閉めにかかる。
だが先ほどよりも何倍も重い。

「っ……このっ」

ピアーズが悪態をつく。ちょっとずつドアが動き、2人分の力でやっと閉まった。
すぐに施錠するとドンドンドンと無数の音が聞こえてきた。

「出るとき苦労しそうね」

呼吸を整えて息をつく。

「よくこのドア1人で開けられましたね」

「何が言いたいの」

「いえ。女性にしては大した怪力の持ち主だなと」

いちいちカチンとくることを言ってくれる。
それでもリンは余裕を含ませて口元を吊り上げ、胸倉を掴んで引き寄せた。

「貴方の腕力がないだけなんじゃないの。貴方の筋肉はただのお飾り?」

ぱしり。と手首を掴み上げられる。
静かに見下ろすピアーズを淡々と見上げ、「離して」と命令した。

「貴方の手首は軍人にしては細いです」

パッと離され、思わず手首を押さえた。
強く押さえ過ぎ。手首へ視線を落とし、眉間に皺を寄せた。
くっきりとついた赤い痕が不快だ。

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