四季折々

□君を詠む
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宵もふける頃、その人影は未だ夜風にその身を晒していた。
石切丸はそっとその影に近づくと声をかける。
「やあ、主殿。こんな夜更けにどうかしたのかな?」
「…あ、石切丸さん。あはは、ちょっと夜風に当たろうと思って。」
そう言って振り向きざまに見せるその表情はどこか幼さを見せる。
月の光に照らされた顔は天女の如く白き肌、その髪は艶やかさを強調するようだった。
だが、いかんせん石切丸はこの宵の月の光が彼女を照らすのを快くは思わなかった。
なぜならあの狸爺が頭の隅を駆け回り「やれ、石切は足が遅いのお…それでは大事なものも守れないのではないか?」などと己を小馬鹿にするような言い方をしながらほくそ笑んでいるのがよく見えるからだ。
石切丸はそんな考えを見ないふりするようにそっとそこの人に目を移す。そして、いつものように言った。今度は己の気持ちをそっと添えて。
「…あまり夜更かしはおすすめはしないよ。ここでは折角の花を自分の目の届く場所に置いときたくなる輩が多いからね。」
「あはは、確かにここの桜は取って置きたい気もするのも分かりますね。」
あっけらかんとした答えに石切丸は「ああ、違う、そうじゃないそうじゃない」と頭の中で警鐘を鳴らすばかりだった。確かに鈍いなあとは思っていたのだけれどまさかここまでとは思わなかったという感じである。石切丸はこの獣が多いここで彼女の操を守りながら本懐を遂げるのは難しそうだと改めて痛感するのだった。
「……そうだね、君はそういう子だ。私は君のそういう所、嫌いじゃないよ、ただ…。」
「ただ…?」
煮え切らないそのらしからぬ態度に彼女は疑問を浮かべながら石切丸を真っ直ぐ見つめてくる。
石切丸は思わずはぐらかすようにして会話を進めた。
「いや、なんでもないよ。ほら…もう長い事、風に当たっていたのだろう?体が冷たい。もう闇も深くなる、褥に入りなさい。」
やはり急だったかと思いながらもいつまでもここにいては本当に何が来るか分からない。石切丸も正直な所、己の節度も守れないかもしれないそんな不安に押し流されそうだった。はやめに寝てもらうのが定石だろうと、ささっと彼女を立ち上がらせ、部屋の方へとそっと背中を押す。
「え、で、でも。」
「何か問題でもあるのかな?よければそこまでお供するけれど?」
思わず、口調が強くなる。そしてそっと夜の誘いをしてみる。
「……い、いえ、では先に失礼さして頂きます…。」
定石な答えに石切丸は心の中でため息をつきながら言葉を口にする。
「…よろしい。では体を冷やさないようにね、お休み。……よい夢を。」
「はい、ありがとうございます。…石切丸さんも…はやめに寝てくださいね。」
「ああ、ありがとう。私もそろそろ寝るよ。ほらもうお行き。」
「はい、お休みなさい。」
彼女の姿が見えなくなると一気にそれは襲ってきた。
まるで己の身の芯にぽっかりと穴があいたようだと石切丸は遠く光る大輪の月を眺める。
思わず口を滑らせた。
『…………憂きながら…人をばえしも忘れねば…かつ恨みつつなほぞ恋しき…。』
己で口にしてますます気が下がる。
けれどこの日々は甘く酔いを誘うのだ。そしてそれでもいいと思わせる彼女をまるで幻のようだと思う、もしくはこの地に落とされた天女、そんな気がしてくるのも何度目だろうかと石切丸はぽーっと考える。
でも夢も幻も終わりがあり、石切丸には帰る場所がある…心のそれに気付かないふりをしてきている。
「人の体は便利だけれど……己の心を偽れないのは…不便だね。気付きたくない事ほどよく目につくとはよく言ったものだ。」
そう……自分の帰る場所はここなのだと彼女を見る度に思う。
こんな節度も守れない自分がここに在ることが出来るのは彼女がいるからだ、そう石切丸は気付いてしまった。そうこの身を支配するのはまさしく…恋。
人間に恋焦がれている。
「…………ねえ、私の可愛い御子よ。お前は私が、お前に心を砕いていると知ったら私を受け止めてくれるかい?この身を納めてはくれない?そればかりがどうしてもこの身を震わせるんだ。」
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