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□PHASE.4『暴喰』
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マサト・グラナイツの事を思い出すには、今は難しい男だ。
人間の表情が無い、まるで澄んで濁んでいるかのようなその男を形容出来る言葉はなく、誰もが不鮮明にしか言い表せない。
何故ならば、相対した誰もが彼を恐れ、震え、そしてどういった感情を抱けばいいのか分からなかったからだ。
彼が口にする言葉は酷く難解であり、嘘なのか本当なのかもわからない。
荒唐無稽な、常人は愚か全人類には到底理解が及ばぬ概念や理をこれでもかとひけらかすのだ。
過剰な天才、完全な存在、世界の集約、真理、魔王。
彼を言い表す言葉は明確に断定されていないが、確実性に最も近いのはこの五つの言葉である。
眼を覆いたくなるような、見ていたくはない存在として誰よりも人で無し。
道を歩くだけで人を脅かし、ただ椅子に座るだけで人の感情を騒がす。
不完全、負完全、腐完全。
そのような男だ。
嫌が応でも周囲に多大な、それこそ過剰な負荷を持った影響を及ぼし、荒唐無稽な破滅型なのだ。
彼は、それでも普通ではない事を自覚し、そして世界をスルリと容易に突き落とすのだ。
「――そもそも、マサトは平和や戦争の先にある結末を望んでいる訳ではない………寧ろ、それは奴にとって過程であり、手段としか捉えていないのだ」
ふむ、と自分が言った内容に間違っていないか自己で確認しつつ説明を続ける。
「……傲慢で、破滅型で、気持ち悪く、人類とはまた違った存在だ」
「神のつもりですか?」
銀髪の女は淡々と、無表情で男を威圧的に問い掛ける。
ふむ、と再び何に対してかは分からない頷きをした男は徐に口を開く。
「いやいや、そんなんじゃない。……寧ろあの男は神に反抗する類いだよ」
「…………」
「目の前に居るだけで自分の存在理由を問い掛けられるかのようなあの気持ち悪さはとても神に成れる器ではない…むろん、あの男はそれを自覚してるから尚更ありえんよ」
女はその言葉に盛大なため息を吐いて頭を振る。
酷く抽象的な言葉に、求める答えとは半ば違い過ぎていていまいち要領がないのだ。
「もっと分かり易い言葉はないんですか…?」
とてもじゃないが、この男に軍の指揮を任せられるような力量ではないなと判断する事にした。
どちらかと言えば語り部の部類だ。
「……無いな」
「……は?」
我が耳を疑ってしまった事に女は訳が分からないと言いたげな表情で男を見据える。
男は天井を仰ぎ、ふぅとため息を吐きながら再び口を開いた。
「――あの男について、単純な説明は着かないと言っただろう?…荒唐無稽な男なんだ、寧ろ私の言葉では明確な表現が出来ないと言ってもいい」
それは、まるで正体不明の何かだ。
読めない、計れない、見れない。
そんな存在がはたして本当に居るのか、女にはいまいちピンと来ず、理解し難い。
逆に、男が分かりやすいマサト・グラナイツの人格を説明されたところでそのマサトの器はたかが知れていただろう。
「理解できる恐怖、理解できぬ恐怖…はたしてどちらが怖い?」
「それは、当然…」
「理解できぬ恐怖、と答えるだろう…奴は確かに優秀だ、アカデミーの軍事教育プログラムを文字通りすっ飛ばしてトップクラスの階級である白を着て、なおかつ特務隊FAITHだ」
ギルバート・デュランダル前議長の頃の資料は女もだいたいは読み漁っていた。
資料の半数は、意図的に隠蔽工作の為に散逸し、残りの資料も改竄の痕跡ばかりの疑わしい代物だった。
その経歴も不明瞭な部分ばかりだったが、マサト・グラナイツがいかに優秀で、いかにギルバート・デュランダルと繋がっていたのかが女でも分かる。
「しかし、あの男の本質は"力"などではない」
「……力ではない?」
意外だ、と感じた。
あのギルバート・デュランダルですら"力"に固執していたのに、その男がマサト・グラナイツに求めたのは力ではないのだろうか?
疑念が女の中で生まれ、困惑してくる。
「奴の言葉、思想、思考、他者への影響、仕種や雰囲気…こちらの心を折るかのように、静かに…しかして確実に深い闇に突き落とす、圧倒的な"存在感"、そう…言うなれば奴の本質は"心の在り様"だ」
「……それって……」
ラクス・クラインを女は思い出す。
ラクス・クラインは最高評議会の議長だ、しかし。
彼女は政務を行う器量が足りていないのが現状であり、そんな彼女が何故議長にまで上り詰めたのか…。
(……ラクス議長の、逆?)
ラクス・クラインの本質もまた、マサト・グラナイツと同じく有り余るその"心の在り様"である。
だが、絶対値は同じでもベクトルは全くの逆だ。
ラクス・クラインが他者の心に実直で静寂な影響を与えるならば、
マサト・グラナイツは他者の心に歪んだ荒々しい影響を及ぼす。
女が感じた印象は、それだった。
「理解できぬ者はこの世に何人も存在している……が、あの男は異様だよ」