紅狼
□第五訓
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橋の中心に座る一人の僧侶の格好をした男に近づく男が一人。
派手な着流しに身を包み、笠を深く被る男の右手には煙管が握られていた。
男は橋の中心に座り込んでいる男と一定の距離のところまで来ると、その足を止めた。
薄い唇から紫煙が吐かれる。
その紫煙と共に自身へ降りかかっている黒い影に座っている男__桂小太郎は立ち上がりも、視線を向けることもせず、静かに言葉を紡いだ。
「誰だ?」
「…ククク、ヅラぁ、相変わらず幕吏から逃げまわってるよーだな」
雑踏の中、低い艶やかな男の声が響く。
その声に心当たりしかなかった、否、誰だか見当がついた桂は怪訝な表情を浮かべる。
「ヅラじゃない、桂だ、なんで貴様がここにいる?幕府の追跡を逃れて京に身をひそめているときいたが」
男の紫煙が揺れ、風にのり吹かれていく。
「祭りがあるってきいてよォ、いてもたってもいられなくなって来ちまったよ」
「祭り好きも大概にするがいい、貴様は俺以上に幕府から嫌われているんだ、死ぬぞ」
「よもや、天下の将軍様が参られる祭りに参加しないわけにはいくまい」
「お前、何故それを?まさか…」
「クク…てめーの考えているようなだいそれたことをするつもりはねーよ、だがしかし面白ェだろーな……」
男は脳裏に浮かんだ光景にほくそ笑んだ。
「祭りの最中、将軍の首が吹き飛ぶようなことがあったら、幕府も世の中もひっくり返るぜ」
男の不気味な笑い声に、そして、その光景を想像し、桂は冷や汗がたれた。
「それに、将軍様が出るんだ…ソイツを護る為に幕府の狗共を動き出すだろうよ」
男の言葉に、脳裏をよぎるのは向日葵が咲いたような笑みを浮かべる名前の姿。
「貴様ッ、まさか、名前を…っ!!!!!!」
「ヅラァ、何を勘違いしてるかしらねェが…ありあ元は俺のモンだぜ?どこをほっつき歩いていやがったがやっと見つけたんだ、逃がしゃしねェ」
桂は男_高杉の横顔をみて、息を飲んだ。
かつて幾多も見た深緑色の瞳には、今までにないほどの不気味な熱が籠っていた。
執着、独占欲、あるいは狂気か…いずれにせよ執念にも似た光は脅威だ。
それが、あの名前に一身に注がれると想像するだけで己の腰にある刀を抜きたくなる衝動に駆られる。
だが昼間の、しかも橋のど真ん中で斬りあいをするのは愚の骨頂。
桂はそっと瞼を閉じた。
思い出すのは攘夷戦争時代。
確かに名前は高杉と共に戦っていた。
鬼兵隊に所属こそしていなかった。自由だったが、確かに高杉の右腕は
名前だった。
捻くれ者の高杉が全幅の信頼を置いているほどに。
だが今のアイツの隣には、気に食わないが真選組の土方十四郎が居る。
否、土方だけではない、真選組は名前にとって今や大切な居場所なのだ。
それをこの男は壊そうとしている。
「高杉」
「ヅラァ、俺ァ俺のもんをただ迎えにいくだけだ…アイツは誰にも譲らねェ、アイツの居場所はここじゃねェ
アイツの居場所は俺の隣りだけでいい
アイツを縛る鎖なんざ
俺が叩っきってやる」
高杉の目には、
名前の姿しかうつっていなかった。
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