短編

□イゾウ成り代わり
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イゾウは、泣きじゃくるエースを宥めながら途方に暮れていた。
泣いていいと言ったことに後悔は微塵もないが、まさかここまで泣き続けるとは思っていなかった。
体中の水分を全て排出しようとしているかのようにエースは涙を流し続け、最早泣き声すら掠れて出ていない。

「エース、お前ェ目が溶けちまいそうだぞ」
サッチがそうっと放ってきたティッシュを与えていたが、その1箱も既に無くなりかけている。
イゾウは自らティッシュでエースの目元を拭い、苦笑した。

「ほら、水飲んで目ェ冷やしておいで。ひでぇ顔になってるよ」
「ッやっ、嫌だ!おれが手ぇ離したら逝っちまうんだろ?おれが悪いのはわかってる、わかってるけど…ッおれ、絶対離れねぇからな!」

エースはそう言って思い切りイゾウの腕を掴んだ。
視界にちらつく橙がちりちりと肌を焼き、反射的に声が出る。
「っ、エース、落ち着け。熱いし痛ェ」

捨てられた仔犬のような目をして、うーうー唸って、力いっぱい腕に縋り付いて、エースが泣く。
いじらしいとは思ったが、もうそろそろ気で火傷しそうだ。熱い。
「エース、こら、一旦離せ!せめて火ィ抑えろ!」

イゾウがどうにか腕を外そうと体を捩ると、エースは死んでも離さないと力を強める。
常とは違う余裕のないイゾウの声に2人の方を見たサッチが血相を変えて甲板を蹴った。
勢いのまま力の限りを尽くしてエースとイゾウを勢い良く引き離す。
「バッカおま……!」

驚きやら怒りやら混乱やらに思わず声が詰まる。普段は割かし温厚なサッチだが、今はそれどころではない。
この世の終わりのような顔でイゾウの方へ手を伸ばして泣くエースに海楼石を投げつける。その光景といったら、家族なら誰もが目を見開いて硬直するだろうが、エースの炎の橙が対照的に白い腕を炙っているのだから、むしろ慌てない方がおかしい。サッチの混乱など知りもしないイゾウはその慌てっぷりに呑気に苦笑を漏らした。

「あー、サッチ、怪我はねェよ。だからお前も一旦落ち着け」
「はぁ!?だってお前火が…んん?」
サッチは服を引っ剥がさんばかりの勢いを一気に失い、理解出来ないと動きを止めた。

「だから大丈夫だって言っただろ?おれは死んでるんだから、怪我のしようがない。まァ、熱いことは熱いけど、それだけだよ。……あァ、悪ィが死んだおれが何でここにいるのかって質問にゃ答えられねェぞ?おれにもわからん」
そうだったなと途切れ途切れに言うサッチの痛々しさに、微かにイゾウの表情が歪む。
「…お前のせいじゃねぇよ」
ここ数時間の出来事で若干解れたリーゼントを、すれ違いざまにくしゃりとかき回す。
イゾウが悠々と歩く後ろで、サッチはぐっと唇を噛み締めて俯いた。

「エース、黙って聞いてくれ。おれは死んでる。だから、いつ消えちまうかわからねェ。けど、お前も他の奴らも恨んでないし、今も愛してる。あんまりおれに縛られてくれるな、エース」
エースの眼前に屈み込んだイゾウはそう言ってまた黒髪を撫でた。いやだいやだと頑是無い子供のように泣くエースに、窘めるように名前を呼んで兄として言い聞かせる。

「死人にいつまでも縛られんな、隊長」

(――イゾウの声だ。)
毅然とした声。凛とした声。数え切れないほど聞いてきた声。
エースはとうとう頷いた。唇を噛み締め、涙をぼろぼろと零したままで、――それでも、イゾウの声に応え、首を縦に振った。



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