短編

□イゾウ成り代わり
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―――意識が浮上する感覚。

目が覚めると、トン、コン、ピチャンと雫が水面を叩く音が鼓膜を揺らした。


体を起こして周りを見れば、三日月の夜のようにほの暗い空間。地面には水が敷かれていて。

先ほどまで水に浸かっていたはずの体に水気はなく、着ている着物にも濡れた様子はない。


「……随分と、神秘的な所だねェ」


呟いた言葉は反響もせず闇に吸い込まれていく。


パシャ、と水を跳ね上がらせながら立ち上がり、再度周りを見渡す。


床には丸い石が敷き詰められていて、全体的に水が覆っているのかと思いきや、どうやら川洲のように一段高く濡れていないところもあるように見える。
そもそも、光源が見当たらないのに周りを認識できる程度の明るさがあるとはどういうことなのだろうか。
上を見上げてみるが、見えるのは果てない闇だけで。

得体の知れない恐怖と共に湧き上がってくる何に対するものなのかもわからない崇敬の念が思考をかき乱す。
落ち着けと頭を振り、覚えているところから記憶を掘り返していく。


サッチは、助けた。…急所は外れていたはずだし、すぐにマルコ達が来た。きっと、大丈夫だ。

家族の視線。信じてもらえなかった俺と、信じられたティーチ。
それを思い出して、向けられた視線の鋭さまで鮮明に蘇る。――むしろそれこそが、夢であって欲しかったのに。
胸に走る痛みと苦しさに思わず胸元を握り締める。

(――思考を、止めるな)

荒くなりそうな息を必死で落ち着かせて、再び記憶を掘り返していく。

ティーチを、殺して。オヤジに投げた。

―――なぜ、何も言ってくれなかったんだよ、オヤジ。

あの時の気持ちが、絶望が、また蘇る。胸の痛みも苦しさも確かにあるのに、不思議と涙だけが出なかった。


そして、海に、飛び込んだ。
まとわりつく闇を気にすることもなく、闇を通して蒼を見ていた。
マルコの、――不死鳥の、色。
いつも最前線に立ち、戦っていたマルコの、頼れる長男の色。

それに包まれて、穏やかな心地よささえ覚えて死へと沈んでいく最中に見えた蒼に混じる淡い緑。

俺を追いかけるように沈み、手を伸ばしてきていたのは、一番よく話していた奴だった。

幸せそうに笑う声を聞いた。心底面白いと笑う声を聞いた。楽しそうな笑顔を見た。満足げな笑顔も見た。悪戯っぽい笑みも、好戦的な笑みも、いろんな笑顔を見て聞いた、アイツが、必死に俺を助けようと海にまで飛び込んできてくれている姿。

哀しみも苦しさも忘れられた。
それほどまでに、嬉しかった。たかがそれだけのことだと思うかもしれない。けれど、家族の誰にも信じてもらえなかったからこそ、俺を追って必死に手を伸ばしてくれるハルタの姿が、嬉しくてたまらなかったんだ。幸せだと、そう思えた。


そして、上手く動かない体と頭に鞭打って、ハルタをモビーに闇で運んだ。
俺は確かに、闇に包まれたハルタが上がって行くのを見たから、きっとハルタは助かっただろう。

闇に包まれて上がって行くハルタの顔には絶望と焦燥が浮かんでいて、ハルタは俺のことを大切に思ってくれていたんだと分かって、嬉しかった。

そこから記憶はない。何度思い返しても最後の記憶は手を伸ばすハルタと、闇に包んだハルタの絶望と焦燥に染まった顔だけだ。

悪魔の実を食べた俺は能力者になった。沈んでいく最中に感じた脱力感はおそらく能力の弊害であるそれで、ハルタの為に使った闇だって奇跡のようなものなのだろう。言うまでもなく、俺は泳げるはずもない。ただただ沈んで行くだけのはずだ。そして、迎えるのは"死"だけだ。


―――ならば、ここはどこで、俺は誰で、今はいつなのだろう。


強く、瞼を閉じた。




(閉じた瞼に浮かぶのは)
(ハルタが泣いている姿だった)




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