彼の罪、歩みは光の下

□偽果
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男は鞭を静かに掲げた。
そしてまるで扉を開けるような何気無さで、それをサラームの背中へ振りおろす。鋭く空気を切り裂きながら。

「アアあァァぁ!!!」

サラームは悲痛な叫びをあげる。
男は構わずさらに鞭を振った。
浅黒い肌にピンク色の腫れが盛り上がる。

何故、自分は。と、思う。

鞭が振りおろされる。
痛みに弾かれたサラームの体の震動でテーブルに置かれたままのカップがぐらぐら揺れた。
この状況にそぐわない紅茶の香りが鼻腔をくすぐる。

「サラーム…綺麗だよ…」

興奮に息を荒げた男は鞭を放り捨てた。石造りの床に赤い点が転がる。
サラームは熱くひりつく背中にピリピリした刺激を感じた。
男の舌が這う。
肌に残った彼の唾液が空気に晒されて冷たかった。
俯く視界が歪む。
涙が眼球を覆った。

ぐっと腰を掴まれ強制的に尻を突き出す格好に抗う理由も意思も無かった。後ろへ熱い猛りが押し当てられる。
何の力も入らない体へ脈打つ凶器が押し入った瞬間、サラームは吐精した。
男が繰り返す律動にテーブルの上のカップが倒れ、冷めた紅茶が覆い流れる。

サラームの落とした涙はその中に飲み込まれてしまう。

どんなに溢れても跡形もなく、男が淹れた紅茶の中へと飲み込まれてしまった。













+++++








「サナ」

扉を叩いているのは、その声の主はわかっている。そして彼が自分の返事を待たずに入って来るのもわかっている。

「ハイサム…いい加減一人で寝てよ」
「ヤなこった」

大きな"男の子"は年が明けて成人へと成長した。中身は全く変化していないどころかマフディを凌ぐ甘えん坊になっているようだが。
ハイサムはサナが横たわるベットに押し入ると、小柄な体をすっぽり腕へ抱き込んだ。
そうして安堵するように息をつく。

こんな風に寝床を共にするようになってしばらく経つ。ハイサムの体温と鼓動がサナの背中にすっかり馴染んでしまうほどに。
最初の頃は寝心地の悪さに抗議したりやんわりベットから追い出そうとしたが、ハイサムは拒否されればされるほど頑なに居座った。
では受け流せば興味も無くすだろうと好きにさせてみると、やっぱり居座った。

「サラーム帰って来た?」
「いや、多分今日は帰んねぇよ。薬の買い出しん時はいつもだから」
「なんで?」
「あいつも男だし、こういう事情」

言うとハイサムはサナの下肢へ手を這わせ大きな掌でまだ幼いそれをやんわり包んだ。

「サラームって恋人いたんだ」
「……お前…何普通に会話続けてんだよ」
「何が?」
「俺が今どこ触ってるかわかんねぇか?」
「わかるよ」
「わかるよ、って…」

わかっていてその反応か、とハイサムの頭は少し混乱した。しかし次いで出たサナの言葉に衝撃を受ける。

「そんなとこ触ってどうすんだろ、とは思うけど」
「…は?」

思えば初めてサナのベットへ潜り込んだ時も違和感を感じた。怯えも羞恥も嫌悪も見せなかった。唯一、ハイサムの行動に動揺しただけで。
"抱く"と宣言したのにも関わらずいまだにそれは実行されていない。

「客とこういうことしてたろ?」
「お客は突っ込みにくるだけだよ。イければそれでいいもん」

淡々と答えるサナにハイサムは身を起こして少年の顔を覗きこむ。その視線に気付いてサナもハイサムを見た。

「キスは?」
「え?」
「それも無かったのか?」
「それ、は…」

初めて言い淀む声にハイサムはムッと顔を不機嫌に歪ませた。視線を逸らして何かを思い出すようなサナの肩をグッと掴む。

「スハのとこで…ハイサムとした、のが初めて、かな」

経験する順序がおかしいにも程がある、とハイサムは思う。が、売春宿にいたから百戦錬磨という考えこそが偏見だったかと思い直す。
なんだか一気に力が抜けてサナの肩へ額を付けた。

「ハイサム?どしたの」
「お前、俺のこと好きか?」
「好きだよ」
「…まぁ、そんなもんか…」

躊躇なく"好きだよ"などと答えられてしまうあたり、愛や恋を意識していないのが丸分かりだった。
劣悪な環境にあって自分を見失わなかったのはサナの幼さも関係しているのかもしれない。

愛を知らない無垢さが。

「少しずついくか…」
「何?」
「お前は俺だけ知ってりゃいい」

ハイサムは両手でサナの頬を包んだ。
澄んだ深緑の瞳を間近で見つめる。
サナは真剣なハイサムの視線に、次第に落ち着きなく視線をさ迷わせ始め遂には伏せてしまった。
心臓の音が自分の耳に聞こえてきそうなぐらい大きくなっていく理由がわからない。

「サナ。俺を見ろ」
「な、んで…」

ハイサムは答える代わりに唇を重ねた。実を言うとサナが寝入ってから時々こうしてキスを盗んでいた。
我ながら情けない、と思いながら。


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