彼の罪、歩みは光の下

□偽果
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近頃妙に胸の中がざらざらする。

使い込んだすり鉢で乾燥薬草を粉砕しながらサラームは調合薬の組み合わせを調べる。自筆の帳面にはびっしりと文字が書き込まれていた。
小さな薬壺が並ぶ棚からいくつか手に取り中の匂いを嗅ぐ。
一人でこうした地道な作業をしている時間は癒されもするが、同時に鬱々と不必要なことを考えてしまう時間でもあった。

外の方から明るい声がした。

窓辺に近付き、そっと覗き見る。わざわざ隠れなくともサラームがいる部屋は2階だ。階下の2人は互いに意識が向いているからこちらを見上げることすらないだろう。
砂漠の渡航から帰ったハイサムをサナが出迎えていた。
マフディの背に乗せた荷をアマルが引き受けている。いつもならば早々に家の中へ入り、一服し風呂を済ませて眠ってしまうくせにハイサムはサナから離れない。
何をそんなに話すことがあるんだと見ていると、サナがマフディの首へ抱きついた。即座にハイサムがその腕を引き剥がす。
何やら言い合っているのはいつものことだったが、サラームは明らかな変化を知っていた。

あの日、一家の頭領とハイサムそしてサラームの3人は夜半過ぎまで話し合う必要があった。
スハの占いの"真実"について。
ハイサムはその中身を正確に伝えられると黙り込み、目に見えて彼の足元がぐらついているのがわかった。

無理もない、サラームは思う。

ある日突然"これがお前の運命だ"と突き付けられて納得出来る人間はいない。
必死で抗おうともいつの間にかその道筋を辿っている現実、予測された未来、失うことが約束された人々。
それはハイサムにとって何一つ安らぎや慰めを与えてくれない。

しかもサナという存在が、それらを引き寄せる。

しかしサラームにとって胸中をざわつかせるのはハイサムが抱く苦悩よりも、彼が夜毎サナの寝床に潜り込むことだった。
最初は砂漠の渡航前に、だがそのうち回数が増えて今やほぼ毎夜床を供にしている。

(…僕じゃ駄目なんだね…)

サラームは小振りな擦り棒をグッと握り締めた。砕かれた薬草がすり鉢の中でガリリリ…と不快な音をたてる。

ハイサムとはいわゆる乳兄弟だった。
シャジとサラームはアマルの子供だ。ただし、父親は頭領ではないのだが。
歩くのも覚束ない頃から知っている弟のような存在。
こんなに愛らしい生き物がいるものかと、あれこれ世話を焼くのが楽しかった。

緑色の瞳に夢中だった。

やがて彼が大人の真似をして女から女へ遊び歩くようになっても、これほど胸がざわつくことはなかった。
誰に対しても本気ではないのがわかっていたから。
誰の側でも…自分の側でも眠ってはくれなかったから。

ハイサムがサナの手を引いて家の中へ入っていく。正直なところ彼らがどんな関係なのか正確には把握していない。が、以前より親密であるのは明らかだ。

サラームは自分用の白い装束を纏った。薬を入れた小袋を懐へ忍ばせると部屋を後にする。
階下に降りるとハイサムとサナに出くわした。

「おかえり、ハイサム」
「おぉ。出掛けんのか?」
「市場にね。薬草補充してくるよ。アマルに伝えておいて」
「わかった」

用件だけの手短な会話。
彼の傍らにいるサナが控えめに笑いかけてくる。それへ答えて小さく手を上げて答えるとハイサムは少し急ぐ歩調で湯殿へ向かっていった。
その手にしっかりとサナの手を握って。

「ちょっとっ、だから風呂ぐらい一人で入れってば!」
「背中流すぐらいしろよ。暇だろ、俺を労れ」
「暇じゃないし!マフディの世話しなきゃ…」
「あいつはほっといていい。最近つけあがってる」
「それハイサムが言う?」

賑やかな声がどんどん遠ざかっていく。二人が歩いていく。
サラームはしばらく立ち尽くしその背中を見送ると、出掛けるべく足を踏み出した。

何故、自分は。と、思う。

砂埃が舞う大通りはいつもと変わらない。商人達は客を捕まえようと声を張り上げ客達は値切り交渉に目がない。
砂漠という枯れた地にありながら人々が力強く生き生きと暮らしているこの町で、サラームは孤独だった。

馴染みの小売店で適当に薬草を買うと足早に通りへ姿を消す。ふと視界に入った見覚えある果物売りの店先に乾燥果実が並んでいた。
ハイサムが小さい頃によく買ってやったものだ。彼の甘党は昔から変わらない。懐かしさに思わず足が止まる。
ハイサムが好きなのはナツメヤシだ。その実を見ているとニコニコ嬉しそうに頬張る愛らしい顔が思い出された。

「あれまぁ、久しぶり〜」

しわがれた声にサラームの意識が引き戻される。顔を上げると腰の曲がった老婆が店の奥からゆっくり歩いてきた。

「ばあちゃん、ほんと久しぶり」
「まぁまぁまぁ立派になって〜。もう結婚はしたのかね?」
「あはは、相手がいないよ」

まだ子どもだった頃によくハイサムの手を引いてこの店に来たものだ。この老婆はたびたびオマケをしてくれたから。



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