彼の罪、歩みは光の下
□翡翠
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ガヤガヤとどこからこれ程の人が溢れてくるのか。
サナは砂埃が舞う大通りが苦手だった。人の波に簡単に飲まれてしまうから。
しかし今日はハイサムが手を引いてくれているおかげで歩きやすかった。
一緒に出かけるのは初めてかもしれない。
なんやかんやとサナに絡んでくるがハイサムは基本的に忙しい。何故ならば商人の仕事だけをしているわけではないから。
その詳しい内容を知りたいという好奇心はあるが、なんとなく触れてはいけないもののような気もする。
「…わっ!?」
突然立ち止まったハイサムの背中に思いきり顔面を打ちつけてしまった。鼻の奥がジンとした。
「なんだよ、も〜…」
抗議の声を上げながら彼を見上げるとその視線は露店商の品へ注がれていた。色とりどりの宝石が無造作に並んでいる。
「おぉ、アブドゥラシードの息子じゃないか。どうだい?安くしとくよ」
露店商の親父が気さくに話しかけてきた。ハイサムの顔はこの界隈の商売人達にも有名らしい。
何か掘り出し物でも見つけたのかとサナはそのやり取りを見守る。彼は緑色の石を手に取ると空に翳して見つめた。
「…色はいいけど透度がいまいちだな」
「オイオイ、そいつは上等な翡翠だぞ」
「やっぱ止めとくよ。冷やかして悪かったな」
「まぁそう言わずに…そうだ、これならどうだ?」
言うと親父は自分の懐から小さな布袋を取り出し、その中からまた新たな翡翠を出してみせた。
先程ハイサムが見ていた翡翠よりもいっそう色が濃く、その中を深く見つめ続けたら吸い込まれてしまいそうだった。
「キレイだね」
「お!気に入ったかい?本当なら宮殿まで売りにいけるランクなんだが、ちょいと…ここ。わかるかい?歪みがあるんだ。まぁこのくらいなら加工しちまえばわからんよ。こいつは滅多にお目にかかれない美人さ」
サナの呟きに親父は畳み掛けるように押してきた。確かに翡翠の裏側には湾曲した凹みがあった。だが表を向けておけばわからないだろう。
ハイサムは"美人"と評された翡翠を手に取る。しばらくその石を検分すると、おもむろにサナを見やる。
何故かじっと見られてサナもなんとなく彼の目を見た。
二人とも同じ緑色の瞳ではあるがハイサムの方が少し緑が薄く、よく見ると茶が混じっていた。これはイード人の特徴が出ているからだろう。
しかしサナの方は冴え渡るような緑一色。満ちた植物の豊かさを思わせる。
不意に、ハイサムが親父に向き直った。
「貰うよ」
「毎度ありぃ!!いい買い物したね!」
露店商の親父は揉み手をして喜んだ。ハイサムが支払った代金は決して安くない。しかも値切ることもせずに購入した彼に少なからず驚く。
「いやぁ太っ腹!稼ぐ男は違うねぇ。しっかり捕まえときなよ、お嬢さん」
「お、お嬢……?」
何を言ってるんだとサナは親父の言葉に面食らうが、はたと気付く。
自分は今黒装束、ハイサムは白装束。しかもこの身長差で寄り添って歩いていたら誰の目にもカップルに見えるだろう。
「行くぞ」
サナが親父の勘違いを正そうと口を開く前に、再び大きな手が引っ張ってきた。ぐいぐいと引かれるままに引きずられ、そんな二人へ露店商の親父が機嫌良く手を振って見送る。
(完全に勘違いしてる…)
もう諦めて、サナは前方をゆくハイサムの背中を眺めた。改めて見ても"男の子"などという形容に収まらない体格だ。いったい何を食べたらそんな体になるのか。
と、進路が細い脇道へ逸れた。
建物と建物の間が狭いため薄暗い路地だったが、かなり奥まで続いている。
何度か角を曲がると最早方向すら失ってしまい、サナは一人では帰れないなと思った。
「どこまで行くの?」
「もう少しで着く」
ハイサムの歩みに迷いは無かった。そしてその宣言通り間もなくすると少し空間が開けた場所に出た。きちんと太陽の光も届いている。
しかし人の気配がない。
キョロキョロと辺りを見回していると、石造りの質素な建物の扉が静かに開いた。次いで、男が表れる。
普通の男ではない。
入口に頭が付きそうな程の大男だった。装束を纏った上からでもわかるぐらい逞しい体つき。肌や目の色からイード人だとわかるが、深い彫りが目の周りにくっきり陰を作っていた。
その姿に少なからず怯えたサナはハイサムの後ろへ隠れるように後ずさった。
「ブドゥル・スハに会いに来た。取り次ぎを頼む」
告げると大男はまた静かに家の中へ入って行く。扉が閉まるとサナが呟いた。
「ハイサムより大きい人間っているんだ」
「お前な…俺を何だと思ってんだ」
「前から聞きたかったんだけど、なんでそんな背が伸びるの」
「知るかよ。勝手に伸びたんだ」
「オレらってせいぜい3つぐらいしか歳違わないだろ?そのうちハイサムみたいに体大きくなるかな」
「それはない」
「なんでっ、言いきれないだろ」
「ないったらナイ」
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