彼の罪、歩みは光の下

□命運
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ハイサムは深緑色の澄んだ目を遥かな先へ向けた。

太陽は赤く地を照らしながら沈み込もうとしている。

この砂漠を抜ける時は常に緊張していた。むしろ緊張しなければ無事に抜けることは難しいだろう。
白い装束に頭から足の先まで身を包み赤い革紐で頭部を縛るのはこの男が商人であることを示している。
彼の旅の相棒は近頃決まっていた。気性が荒くて扱いに困り殺処分にされようとしていた雄のラクダ。
ラクダ貸しの主人からタダ同然の値で譲って貰った。殺処分ならばタダでよかろうというものだが、そこは乾いた砂漠に生きる商人。欲しがる人間がいれば砂粒にすら値をつける。

「マフディ、今日はいつものオアシスで休む"時"のようだ」

男がマフディと呼んだラクダは確かに気性が荒かった。だが見方を変えれば力強く肝が座っているとも言える。
実際マフディは一般的なラクダよりも体が大きく、よく食べた。手入れも少々手がかかる。
これでは運搬用のラクダとして使うには燃費がよろしくないだろう。なんのことはない、ラクダ貸しの主人の世話が粗雑であったために気性が荒くなったのだ。
ハイサムはその意思の示し方が気に入った。実に素直で。
人間に使われることに慣れたラクダ達は皆画一的で個性が見えなく、従うという"楽"に浸ってしまう。従順であり狡猾だ。
マフディは最初の頃こそハイサムが甲斐甲斐しく世話する行為に暴れたりしたが、その体に栄養が行き渡り毛並みが整うに従って次第に心を開いた。
"導き手"という意味のマフディと名を与える頃にはすっかりハイサムに懐き、その姿を見ると立ち上がって頭を垂れ口輪を促すまでになっていた。
またハイサムの方もマフディをますます気に入り、近頃では彼には本気で言葉が通じると思っている。

「今夜は冷える。今回も胸を貸してくれ」

オアシスといっても水溜まりのような人間はとても飲めた水ではない池があり、そこをぐるりと木々が生えている程度。
ラクダの背から荷物を下ろしてやるとマフディは足早に水辺へ歩いていき喉を潤した。
ハイサムは野宿の支度を整えるべく荷の中から先ずは火薬を取り出した。
…と、左後方へ意識が集中する。
何かの気配を無意識に感じ取るようになって久しい男は、しかし何もない風に鞄からリンゴを数個取り出し火薬入れの横へ置いた。

「おっと、先に木を集めるか」

一人言を呟くと立ち上がって落ちている枯れ枝を探し始めた。










+++++






喉の渇き、飢え、疲労。

それら全てが瞬時に吹き飛ぶ。

装束の結び紐が赤色ということは男は商人であり、ラクダをたった一頭連れているだけの人間ならば自分に縁があるものではない。
木々の陰に身を潜めてハイサムを窺っていた気配はそう判断すると、僅かばかり安堵する。
その浅黒い肌は腕や足に打撲切り傷が無数に散り、それは新しくもあり古くもあった。
体格は大人ではなく、また痩せている。
手には柄の部分に豪奢な彫り物があり宝石が散りばめられたナイフ。明らかに装飾品であるそれは殺傷能力には疑問がある。
男が荷物から離れて枝を集め始めた。敷物の上にはリンゴと何かの小さな入れ物。
なんて油断しきったヤツだ、思うと同時に機会は今だと悟る。

足を忍ばせてゆっくり近付いた。ラクダが気配に気付いて振り返る。その視線へ向かって"静かに"とでも言うように人差し指を口の前へ立てた。
マフディはその正体不明の少年を見つめたまま、とりあえず静かにしていた。
浅黒い手がリンゴへ伸びる。
なにせ喉がカラカラで頭痛までしていた。赤く熟した果実を目の前に喉が鳴る。…が、少年の興味はふいに横の小さな入れ物へ逸れた。
何か得体の知れない予感が心を占める。いくら商人とはいえ荷を放っていくだろうか?そんな能天気さでラクダ一頭だけと旅が出来るか?
途端にリンゴの赤が禍々しいものに見えてくる。

「食わねぇのか」

背後から突然声がした。
いつの間に後ろへ回っていた!?
少年は驚愕に体を固くしたが次の瞬間、マフディの方向へと飛びずさった。その手には火薬入れが握られていた。
ゴテゴテとしたナイフの切っ先はマフディへ向けられる。

「う、動くな…!」

少年の声は掠れていた。渇きに喉が悲鳴を上げているのだろう。それでも威嚇する程度の体力はあるようだ。
ハイサムは彼の姿を観察した。
浅黒い肌はイード人特有の証だ。
しかしその銀髪は非常に珍しい。
興味深い、と思う。
男は好奇心旺盛で、また新しもの好きだった。

「マフディを人質に取られたのは初めてだな。いや、ラクダ質?」
「余計なくち…っ…たたく、な!ぉ、お前荷物…ラクダ置いて…ぃけ…っ」
「そりゃ無理だな。そっちこそその無駄に派手なナイフ置いて消えな」


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