『まいほーむ』
□二食目
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『男』
「じゃあ、後でまた様子を見に来るから。とりあえず今は休んで、詳しい話は後でしようか」
なんとかポーカーフェイスを取り戻し、表情を隠していた手を下ろし立ち上がる。
これから暫く一緒に暮らしていく事になる彼女は返事もせず、頷きもせず、ボクの目を一度だけ見てすぐに反らした。
無言の了承、だろうか。
ボクもそれに何か言葉をなげかけたりはせず、一度微笑んでから部屋を出た。
「ふぅ…」
部屋から離れてから力が抜けたのか、つい大きなため息が漏れ出す。
なぜ、ボクは彼女に差し出してしまったのか…。
「手術、無事終わりましたよ」
手術室から出てきた医師の言葉に安堵したのは、手術開始から三時間たとうとしていた時のことだった。
久しぶりに美食家としての仕事をした帰り、いつも通る平原で見つけた女性は瀕死の状態だった。
手術といっても体内で止まっている弾丸を抜き取る作業だったらしいが、かなりの個数があったらしくこんなにも長引いてしまった。
ライフならもっと早く終わったとは思うけど、たどり着くまで彼女がもつとは思えなかった。
それでも生きているのが奇跡と言えるほどの傷だった。
血が、止まっていたおかげだろう。
しかし、その血が止まっていた理由が不思議だった。
傷口の部分だけ、血が凍っていたのだ。
確かにあの平原は雪が降った跡があったが、それだけで凍るとは思えない。
とりあえず入院が必要だからと、身分証明の提示を医師に求められた。
それはボクが彼女の連れだと思ってのことだろうけれど、残念ながらボクは彼女の名前すら知らない。
普通は身分証明の提示を強制は必要とされないのだが、こういった怪我は事件に関係している可能性があり、身元を保証しなければいけない。
気は引けたが、仕方なく受け取っていた血だらけの服からグルメ身分証明可能な物を探すことにした。
面会が許可された彼女の眠る個室の病室で彼女の服を広げると、つい声をあげそうになる。
そこで、彼女は薬で眠っているから声をあげても大丈夫だということに気づくが、その頃には頭も覚めていたため声をあげることはなかった。
彼女の服から出てきたのは…、無数の刃物と様々な道具、そして…明らかにいいことに使われることのないような種類の毒…。
物騒な物ばかりで、金品どころか彼女の身元を示す物は一つも見つからなかった。
最低身分証明がなくてもその分お金さえ払えば入院はできるだろう。
例え彼女に持ち合わせがなくても、ボクが払う。
一番近い病院を選んだせいか、いつもは避けていたIGO所属の病院…。
正直気は進まないが、致し方あるまい。
彼女の荷物を袋に入れ金庫に隠し、支払いをするためにと部屋を出ようとする。
だが誰かが来る気配がしたため、警戒をし彼女の眠るベッドの横の椅子に座り待つ。
すぐにノック音が響き、「どうぞ」と招き入れる。
入ってきたのはまだ若い医師で、彼女の治療をした人物だった。
「2つほどお話があります」
ちらっと彼女を見たので、恐らく彼女についての話だろう。
「実は、念のため彼女の血液を調べたところ、複数の毒が検知されました」
その言葉に彼女の荷物にあった毒を思い出し、まさかと彼女を見る。
その様子からボクの考えがわかったのか、すぐに否定の言葉が聞こえた。
「毒は傷口から混入していたようで、恐らく毒の塗られた刃物で切られたためかと…」
その言葉に安心し、ほっとしてからすぐ男に視線を移す。
「その毒に問題があり…、明らかに全ての毒が致死量に達しているはずなんです。なのに、彼女の中で解毒されていて…。恐らく、複数の毒に耐性があるのかと」
その言葉に彼女が美食屋である可能性が浮上した。
いや、もっと早くに気づいてもよかったものを、どうやらボクは冷静じゃなかったらしい。
しかし、すると彼女の怪我に理由がつかない。
あれは明らかに人の手によるものだ。
「もう一つは?」
答えに行き着くためのヒントが得られるかもしれないと、続きを催促する。
男は少し戸惑う素振りを見せながらも、話を続けた。
「もう一つは、傷口辺りの血が凍っていた事についてです。血や皮膚も凍っていたのに、治療後いくら探しても凍傷が一つも見当たりませんでした。特殊な事例のため、研究所の方の入院をおすすめしたく…」
すぐにその言葉の裏を理解した。
研究所は言葉の通り研究をする場所…。
未だ目覚めぬ彼女を調べたがっている。
病院に特殊な患者が来たら本部の方に知らせが行くようになっている、というところか…。
ここには来るべきじゃなかった。
心の中で未だ眠る彼女に謝罪をしてから、男を"見る"。
了承すれば実験台にされる…、確信を得て怒りが沸き上がるが、なんとかそれをおさえる。
「知り合いの病院に移動することにしているんだ。だから、その申し出は断らせてもらうよ」
もちろん知り合いに医師などいないし、宛があるわけでもない。
だからボクが彼女の宛にならなければ…。
男は落胆してから、退院の手続きをすぐにすると告げ一礼してから部屋を出ていった。
すぐに移動する準備をしよう。
服は今着ている物と同じものをいくつか譲ってもらうか病院から買うかしよう。
まだ目覚める様子はないし、移動は揺れる心配のないキッスに頼めばいい。
まだまだ問題は山積みだが、ボクにはどうしても彼女を放っておく事ができなかった。
もし彼女が目覚めたらどうしようか。
きっと彼女には行く宛がない。
それは"見て"すぐわかった。
何が彼女にとって一番か、それは占わなくてもわかること…。
それはボクにとっての一番だったのかもしれないけど…。
すぐに退院の手続きを終わらせ彼女を毛布にくるみ抱き抱えながらキッスに乗って家に帰る。
彼女をボクのベッドに寝かせると、一段落終えたせいか急に肩の力が抜けた。
ベッドはボクに合わせているせいで少し大きく、そこで未だ眠る彼女にはなんだか不釣り合いで、自然に笑みがこぼれた。
彼女についてボクが知っているのは倒れていた場所と、様々な武器と、寝顔。
それだけなのに、どうしても助けたくなった。
「君の事が知りたいな…」
その黒髪に触れたくなった衝動をおさえ、彼女の荷物を整理しようと自分に言い聞かせ部屋を出る。
触れてはいけない。
彼女だけは、傷つけてはいけない…。
彼女の荷物を整理したついでに刃物の手入れもしておいた。
こういう物は手入れをしないと使い物にならなくなる。
あまり慣れない作業を終えるといつの間にか夜になっていて、すぐに洗濯していた服を思い出し取りに行く。
今から外に干すのもなんだが、まだ目覚める様子はないし仕方ないだろう。
そう思い洗濯機の蓋を開けると、予想通りの光景に苦笑する。
洗濯機は長時間洗っていたというのに血だらけで、パッと見るとグロテスクだ。
中から服を取るが、やはりまだ血がついていた。
これは明日手洗いするしかないな…。
とりあえず洗剤の入った水に一晩浸けておこう…。
こうなったらもう着れないだろうが、彼女の持っていた唯一の衣類を捨てるわけにもいかない。
自分の血で染まった服を渡されてもいい気はしないだろうし…。
血がとれる洗剤、売ってないかな…。
その日は食事もあまり喉を通らなくて、彼女の寝顔を見てからソファーで眠りについた。
彼女を家に連れてきてから3日たつ。
起きる気配は一向にないが、死相は見えないから問題はないだろう。
目を覚ますのが待ち遠しくて、ついつい彼女の眠る部屋に足が伸びる。
いくらボクの部屋だとはいえ、女性の寝室にいるというのはよくないとわかってはいる。
わかってはいるが、どうしても離れられなかった。
彼女の横で本を読み1日のほとんどを過ごすというのが楽しく思いかけてきた時、軽く昼を済ませまた彼女を部屋に行くと、彼女が起き上がっておりいつも閉じていた瞳でボクを見た。
この時、ボクは内心かなり喜んでいたが、この状況を理解していない彼女前で取り乱すわけにもいかず、なんとか表示が崩れないよう笑顔を向ける事に成功した。
それから話すうちに彼女について少しだが知ることができた。
名前は雪裏だということ、忍という者らしいこと、そして見知らぬ土地に来てしまったということ。
まさしく彼女は右も左も知らない場所にいる。
放っておけない、おきたくない。
まだ、彼女の事が知りたい。
ここにいればいい、口から出た言葉を訂正するには遅すぎた。
断られる、そう思っていたのに、意外にも了承の言葉が返ってきた。
溢れる喜びを隠すのに精一杯で、微笑みで返すしかできなかった。
自分の身勝手な言葉に、まさか彼女が了承してくれるなんて。
ここにはいない数少ない友人に自慢したくなるくらい舞い上がっているテンションをなんとかおさめ、ふと彼女を見る。
すると何故か顔を歪めていて、傷が痛むのかと心配になり、その顔を覗き込む。
見開かれた澄んだ黒い瞳を見て、綺麗だと思う。
しかしすぐにその瞳が見れなくなる。
顔を暖かい何かが覆った。
それが彼女の手だとわかった瞬間、すぐに後ろに下がりその手から離れる。
彼女の触れたところを、右手で覆う。
触られた。
浮かれていたせいで忘れていた。
ボクは彼女の側にいてはいけない人間だ…。
ボクは、毒人間…。
触れないで、本当なら最初に言うべき言葉を伝える。
彼女はそれに何でもないように了承したが、その顔は苦しそうに見えた。
ボクは、何をしているんだろう。
でも、彼女の笑顔を見てみたいと思った。
手始めに、美味しい晩御飯を作ってあげよう…。
…小さい手だったな…。
「っ!ボクは何を…!」
はっ、と我に帰り、自分が恥ずかしくなる。
気分を変えようと、食材は何があったかと考えながらキッチンに向かう。
…彼女は、何が好きなのかな。
聞くのを忘れたと気づき後悔をしたのは、ご飯を炊いている時だった。
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