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□howl
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カトレアの救出にはかなりの時間がかかった。
三人とも体型がよく似ていたし、ノットとドラコに関してはここ数日でますます痩せ、カトレアとそれほど体重が変わらなくなっていたので仕方がない。
そのためなんとか彼女を無事に引き上げた時には二人とも息を切らし、凍てつくような寒さにも関わらず顔が真っ赤になっていた。
一度に沢山のことが起こって少なからずショックを受けていたカトレアは座り込んだまま呆然と肩で息をしている二人を見つめた。
(どうして…)
あんなことがあったのに。あれだけ傷つけたのに。
憎まれていたっておかしくない。
それなのにどうしてこの二人が助けてくれたのだろう。
戸惑っていると、突然ドラコがカトレアの肩を乱暴に掴んだ。彼の爪が肌に食い込み、彼女は思わず顔をしかめた。
「マルフォイ」
ノットが警告するように鋭く名前を呼んだが、ドラコは無視した。
この数ヶ月間、カトレアは幾度となく彼を怒らせてきたが、今回は本気だった。
ドラコは本気で怒っている。その薄いブルーの目が怒りでグレーに変わり、メラメラと燃えているようだった。

「どれだけ僕を苦しめれば気が済むんだ」

食いしばった歯の間から吐き出された言葉に、カトレアは思わず身をすくませた。
「美人だから何でもできるとでも?自分が特別だから皆が許してくれるとでもと思っているのか?どこまでお気楽なんだきみは」
ドラコの顔色は以前よりずっと悪い。
頬はこけ、目の下の隈は濃くなっている。
だがカトレアを見つめる瞳だけは、驚く程しっかりとしていて、皮肉にも彼が唯一人間らしさを残している部分だった。
ぐっとドラコが顔を近づけるので鼻と鼻が引っ付きそうになるがカトレアは動かなかった。彼の目をじっと見つめ、幼馴染みの口から吐き出される言葉を待った。

「僕を舐めるなよ、カトレア・ソーン。僕は絶対にきみを許さない。許してたまるものか。三年前のあの時みたいに、また僕をボロボロにしようとするきみを」

その瞬間、カトレアははっとあることを思い出した。
ずっと忘れ去っていた記憶。頭の片隅で埃を被っている記憶だ。

ドラコが視線を逸らす。全てのピースがはまり、ようやく何もかも納得した。
カトレアは記憶の糸をたぐり寄せた―――事は三年前にさかのぼる。





当時カトレアはカトレアであってカトレアではなかった。
義母の死により、どういうわけか―――変わってしまったのだ。
目はアイラインでくっきりと囲まれ、睫毛はバサバサ、唇にはルージュの口紅を引いて、短い丈にしたローブを身につけていた。
煙草、酒、どんちゃん騒ぎ、朝帰りなど日常茶飯事。
しかも悪い仲間たちと共に城を飛び出してホグズミードのバーに忍び込み酒を調達したこともあった。
授業をさぼり、自堕落な生活をしているカトレアを見かねたドラコが何度か説得しようとしたがその度に彼女は鬱陶しそうに彼を追い払った。
どうしてドラコが自分に構うのか理解できなかった。
幼馴染みは伝統とマナーを重視し、カトレアはその逆で彼が最も忌み嫌うタイプの人間になっていたのだから。
しかもヒッポグリフに引っ掻かれ、腕を吊っていた彼はマリオネットのように見えて滑稽で、一緒にいると評判が落ちる気がして極力関わりたくなかった。
「あんた鬱陶しいのよ」
ある時カトレアは我慢しきれなくなってついにそう言い放った。ちょうど幼馴染みが不純異性交遊について何やらだらだら持説を並び立てている最中だった。「もう放っておいて。あんたには関係ないじゃん」
その時ドラコはまるで雷に打たれたようにショックを受けていた。「そっか」とぽつり呟いてとぼとぼ寮に戻る後ろ姿を見ても、何の同情も湧かなかった。
それでもめげず次の日にはいつものように付きまとってくるドラコに心底嫌気が差したカトレアは、彼が授業や食事、クディッチの練習など普通の生徒らしく生活している間しか部屋から出て行かないようになった。

そんなある日、殆どの生徒たちが授業に出ていて空っぽになった談話室でカトレアはマグル出身のスリザリン生であるエルンスト・ターガリエンという上級生にマグルのティーンの間で流行っている『コカイン』という薬物を勧められた。
ターガリエンはマグルの世界でも札付きの問題児でホグワーツに入るなりその悪名を轟かせた。
喧嘩など彼にとっては息を吸うのと同じで、教授たちがいないところで他寮の生徒たちと魔法あり、殴り合いありの決闘を行っていた。
自分を『穢れた血』と罵ったマーカス・フリントを魔法ではなく拳で殴りKOさせたことはスリザリンの中では有名で、カトレアはすぐに彼が好きになった。
ターガリエンの方も入学していた時から目をつけていた美しく、好奇心が一杯の後輩が自分を慕ってくれて悪い気はしなかっただろう。
二人は世界に怒りを持つ反逆児同士で、すぐに惹かれ合った。
ターガリエンの方は遊び感覚だったが、カトレアは彼に処女を捧げた。
それからというもの、二人の破壊行動はますますエスカレートし、より強い刺激を求めるようになったのである。

ターガリエンは混ざり物なしの『純粋な』コカインを注射器に入れるとカトレアの腕を血管が出るよう軽く叩いた。
静脈が出て注射の針が近づくとカトレアはぞくぞくとした。
この感覚が好きだった。次に何が起こるか分からない、この感覚が。
針が皮膚を突抜けるちくりとした痛みがすると同時にどうしようもない高揚感に襲われた。
目を閉じると、頭が自然と前後に揺れた。
笑みが溢れ、「人生ってクソサイコー」だの訳の分からないことを口走った気がする。
そしてカトレアは後から倒れた。
それからのことはよく覚えていない。
ターガリエンは慌てて逃げ出したらしく、談話室に帰ってきた誰かが医務室まで運んでくれるまでカトレアは冷たい床に一人で倒れたままだった。
あと数分発見されるのが遅れていたらカトレアは死んでいただろう。
気がつくと医務室にいて、セブルス・スネイプがべっとりとした黒髪の間から自分を見下ろしていた。
驚いているカトレアに彼は二つの選択をさせた。


このまま退学するか。
それとも今までの生活を改めて数ヶ月の停学の後、復学するか。
しかしまた同じような騒ぎを起こせば次はない。

カトレアは後者を選んだ。
そして回復するなり、すぐさま荷物を詰め込んでヨークシャーの館に戻ったのである。
エルンスト・ターガリエンは何事もなかったように卒業し、カトレアは当時の思い出を全て頭の中から消した―――。





「――――ドラコだったのね」
あることに気がついたカトレアは囁くような声で呟いた。
信じられないといわんばかりに目を大きく見開き、目を合わせないドラコを食い入るように見つめる。

「ドラコが、私を見つけてくれた」

「―――医務室に運んだのはノットだ」
ドラコは疲れた様子のノットを顎でしゃくりながらぶっきらぼうに言った。「僕はあの忌々しい鳥のせいで怪我をしていたから」
やっぱり。
カトレアは自分の力が一気に抜けるのを感じた。
ドラコを見つめながら、呆然とした様子でぽつりと呟く。

「私、あなたに酷いことを言ったわ―――」






それは医務室でまだ入院していた時だ。
マグル製の薬物を体から抜き取る方法をマダム・ポンフリーは心得ておらず、自然と抜けるまで絶対安静だと言われた。
カトレアの腕には点滴用の針が何本も刺ささっていてそれがどうしようもなく疎ましかった。
頭が重いのは全てこれのせいではないかと思ったくらいだ。
カトレアは苛々していた。頭の中は霧がかかっているようにぼんやりとしていたし、すっかり疲れきっていた。
しかもエルンストは一度も会いに来ない。
(一体何をしてるの?)
もしかしてスネイプに尋問されていて会いたくても会えないとか?罪悪感で体調を崩しているとか?
そんなことを考えているとベットを囲うカーテンが揺れた。
カトレアは期待して首だけを動かしそちらに顔を向けたが、そこにいたのはドラコ・マルフォイだった。
「やあ」
間抜けな笑顔を浮かべている彼は彼女の落胆ぶりに気づいていないらしい。
「ちょうど包帯を取りに来たんだ―――そしたらたまたまきみがいると聞いて」
ペラペラと自分のことを喋る幼馴染みに、カトレアは心が少しずつ死んでいくのを感じた。
(あんたなんかどうでもいい)
どうせ心の中で私を見下してるくせに。
カトレアはベットの上で横たわったまま死んだような目でドラコを見据えた。
「聞いてくれ。この前ポッターが…」
「消えてよ」
ドラコの言葉を遮り、カトレアは冷たくそう言った。
もう我慢できなかった。彼の差別的な発言も、マグル生まれに対する態度も。
何故なら流れる血の元が分からないカトレアは彼らと同類だから。
どんなに着飾っても、どんなにマナーを身につけても、結局私はドラコたちのようにはなれないのだから。
「…レア?」
そんなカトレアの態度にドラコは戸惑ったようだった。
手を伸ばし、彼女の手に触れようとするが、カトレアはその手を振り払った。
カトレアは体の向きを変え、ドラコに背を向けた。
「私の前から消えて」
追い打ちをかけるようにそう言い放つ。
暫くの間、ドラコは動かなかった。
それから背後でカーテンが閉まる音が聞こえてきて、カトレアはほっとし、目を閉じた。
次の日にはそんなことがあったことをすっかりと忘れていた。
そしてそれ以来、ドラコはカトレアを避けるようになった―――。




「ごめんなさい」
カトレアは俯いたままそう囁いた。「あなたは、私を助けてくれたのに。いつもそばにいてくれたのに…」
ずっとドラコに突き放されたと思っていた。だが本当は、突き放したのは自分の方だった。
救いの手を差し出してくれたドラコ。それを拒んだ自分。
彼が怒るのは無理はないと思った。
幼馴染みは首を振った。呆れているのか悲しんでいるのか分からなかった。
「僕はきみに怒ってない」彼は地面を見つめながら気だるげに呟いた。「きみを救えない自分に腹が立つんだ。きみは危険を楽しんでる。だからどんなに危険なことでもやるんだ。そしていつだって僕の手からすり抜ける。あの時―――」
彼はようやくカトレアを見た。彼の目から炎は消えていて、悲しそうに細められていた。その目を見て、カトレアは泣きたくなる。

「ノットが来るまで冷たくなったきみの体を抱きながら、本当に自分の無力さを痛感した。きみが少しずつ僕から離れて行くのを感じるのは最悪な気分だったよ。そして今日、またきみは僕の前から消えようとした。そしてまた僕は自分の弱さを目の当たりにして死にたくなるんだ」
そう言って彼は自嘲気味に笑った。
そしてカトレアから手を離すとふらふらと立ち上がった。
カトレアを見下ろしながらスラックスのポケットに手を突っ込む。ハンカチを取り出すと彼女の手にそれを押し付けた。
見ると、それには蛇の紋章が縫い付けられていた。

「もう気がついたよ。きみを救うのは僕じゃない。僕にはきみを救えない」

そう言って、ドラコはカトレアに背を向けた。
去って行く彼の後ろ姿をぼんやりと眺めながら、カトレアは頬に冷たいものが流れるのを感じた。
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