星屑ひろいの少年2

□ムーン・クレイドル
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「顔、どんな風に書いたらいいんだろう…」
 アニメ調のやたら大きな邪気眼にすれば、絵全体の重みが消え去ってしまう。写実的に瞼を描けば、生々しいだけで万梨阿の持つ幼い美しさが消え去ってしまうだろう。絵のいくつかの技法を探せば、もっと有力な描き方が見つかるかもしれない。
 しかし、今日はこの辺で筆を置くことにした。
 何より、明日も朝が早い。早く寝なければならなかった。
 悠太は、こうして細切れ時間だけでも絵を描くことに対して、抵抗があるわけではない。しかし出来れば毎日、一時間なり二時間なりと言った纏まった時間を利用して、絵を描く時間的心理的余裕が欲しい。
 しかしぜいたくは言えないので、仕方なく今のままがんばろう、という結論に一人至るのだった。
 悠太は、携帯を取り出して、時間を確認した。
 月面は、Aブロックにしかネット環境が無いため、ここではネットの類は一切使えない。悠太の目的は、検索をすることではなく、万梨阿との待ち合わせの時間を確認することだった。
 万梨阿は、相変わらず研究施設の地下で幽閉されてる。
 悠太が思ったほど万梨阿に対する周囲の扱いは劣悪なものではないらしい。
万梨阿が鎖で足元を封じられていたのは、不思議な能力を使って、彼女が逃亡してしまう恐れがあったからだ、と後に分かった。
 普段は、毎日、スターダスト研究者や医学者が訪れ、彼女や、彼女の能力についてのメンテナンスを行っている。万梨阿は、一人では自立して行動することも出来ない状態なのだと言う。
 悠太は、絵を鞄にしまうと、部屋を出た。風呂場に向かおうと、階段を降りようとした。
 その時だった。
 階段の向うから、万梨阿がやってきた。
しかし、いつもの彼女とは明らかに様子が違う。
 悠太は、まず、待ち合わせの時間より明らかに早い、と思った。万梨阿とは今日の二一時、寄宿舎入口の角で待ち合わせていた。目的は、悠太の今日一日の何でもない単純労働の中で起きた出来事を話すこと。
悠太にとっては、単調極まりない鉱物採集でも、一日中、部屋に幽閉されっぱなしの万梨阿にとっては、意外な発見があるらしい。彼女は、特に、小林を含む上官や、班員たちのことを聞きたがった。
 階段の踊り場の陰から現れた万梨阿は、もちろん実体でない以上、二足歩行が出来る。
 しかし、よく見れば階段の手すりにもたれかかるように、まるで深手の傷を負ったけが人のように歩いている。顔は下をずっと見ていて、表情までは分からないが、明らかに疲弊して息を切らせている。
 のそのそとヘタるように歩いてきた万梨阿は、悠太が階段の上に居ることに気付くと、コンクリートの踊り場の床に座り込んだ。
「万梨阿!」
 悠太は、驚いて万梨阿のところに駆け下りて行った。
 彼女は、悠太を見るでもなく、下を向いてゼーゼー息を切らしている。
胸の大きな上下によって肩まで伸びている髪の毛が上下する様子を見ると、彼女の実体がまるで目の前にいるようだった。
「万梨阿、どうしたの?」
「…助けて」
「え?」
「…助けて、ユウタ。悪い人たち、来ちゃった。一人じゃ、敵わない」
「悪い人?研究所に、誰か来たのか?お前の本体は、まだ無事なのか?」
 悠太が言葉を言い終わらないうちに、まるでアナログテレビのように、彼女の幽体に砂嵐が掛かった。それは、まるで彼女の意識と連結するかのように、呼吸に合わせてザザーッと彼女の姿を隠した。しばらくすると、また彼女の姿が現れた。
「私、もう、限界。本体の意識が、なくなっちゃった。こっちも直に消える」
「え?眠らされたのか?今、行けば間に合うの?」
 また、彼女の姿に砂嵐が掛かった。
 砂嵐の間隔は、呼吸の間隔よりも短くなってきた。それは、加速度的な勢いで彼女の姿を見えなくさせていく。
「ユウタ、助けて」
「あ、ああ!」
 次の瞬間、ザザーッと言う砂嵐が掛かったかと思うと、テレビのスイッチが切れたように、ふっと彼女はいなくなった。後に残ったのは、いつもの冷たいコンクリートの廊下だけだった。
 悠太は、自室に戻ると、外出用の迷彩柄のコートを纏った。部屋着の上から、迷彩ズボンを履き、きちっとベルトを締めて、下がらないようにする。そうすると、貴重品の財布も持たないまま、部屋を飛び出した。
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