星屑ひろいの少年2

□ムーン・クレイドル
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悠太と小林は、この日も片道二時間もかかる月面の舗装路を、えっちらおっちらと二班十人で歩いていた。
 先頭を歩いているのは、悠太の直属の上司、リーダーの中のリーダー、上官である。
悠太は、あれきり一度も上官と口を聞いてはいない。この編成隊の中で万梨阿の存在を知っているのは唯一、上官のみである。それに、上官は悠太があの夜、銃撃を受けて深手を受けた時、その場に居合わせた唯一の人物であった。
 石拾いの業務に当たる時は、至って事務的な彼は、悠太がわずか一週間で編成隊に復活した時も、「…そうか、戻ったのか」と軽くこぼしただけで、それ以来話すのを止めてしまった。
 悠太は、あの時、自分を銃撃したのはもしかしたら上官ではないかと内心彼を恐れていた。それは、あの時悠太の丁度死角にいた人物であり、暴かれてはならない秘密―万梨阿の存在を知られたことで、自分を抹消しようとする可能性のある人物だからだ。
 万梨阿を地下に監禁しておくことは、月面の資源開発が目的とはいえ、明らかに人権無視だろう。地球の資源枯渇の救済策という大義名分はあっても、地球の人権団体に秘密を暴露すれば、ただごとでは済まなくなるのではないか。
 以上が、悠太の考えた推測である。
 しかし一方で、普段からあれだけ生真面目で、熱っぽく社会のことや月面の地質、地球の政治問題を話している彼が、そんなことをするようには全く思えないのであった。
殺人や人権侵害は、どこまで突き詰めても彼の個性に馴染まないのではないか―半年と言う短い期間であるが、一緒の班で行動を共にしてきた悠太には、そう思えてならなかった。
 万梨阿の監禁についても、「やむを得ない」ことと上層部に言われ、しぶしぶ承諾しているのかもしれない。上官の持つストイックさ、修行僧じみた強迫観念のようなものは、他人に向けられる以前に、まず自分に向けられていることを悠太は知っていた。
 悠太は、そんなことを考えながら、採掘場への舗装路を歩いて行った。
舗装路とはいっても、小さな岩石はあちこちに散らばっており、少しでも気を抜けば足を躓かせて転倒しかねない。
 ここに来て二か月目に、歩行中の別小隊の一人が足を躓かせ、それにつまずいた後ろの者たちがみな一様に倒れるという事故があった。幸い死者は出なかったが、三人が足の骨を折り、七名が軽傷を負うと言う結果になった。
 小隊はそれ以来、班員に一メートル以上の間隔を置くことをルールとしていた。二列で歩くため、悠太の隣はほとんど毎回、小林だった。
 その日の夜、労働を終え、夕食を済ました悠太は、偶然一人きりになれた自室で、スケッチブックを抱えて座り込んでいた。
 悠太は、ふとした瞬間、答えのないような哲学的な問いに悩まされる癖があった。
 以前、上官がタイムを計りながら、急いで星屑を採集している時、疑問を抱いた。
 例えば、今、ここで自分が星屑を拾うことを止めて、しばらく動かないままにしていたら、果たして上官はどんな反応をするのか?
 そもそも、今、自分が「月面に居る」という絶対の証拠は、どこにあるのか?
 もしかしたら、自分は夢を見ているのかもしれない。
長い長い、そして前後関係がやたらはっきりした夢を見ていて、多少つじつまの合わない事実も夢補正でむりや納得しているのかもしれない。自分はもしかしたら、普通に公立高校に進学し、退屈極まる昼下がりの授業中、うっかり昼寝をしているのかもしれない。その中で、「ここではないどこか」を夢想する気持ちが、はっきりと目で見える形で現れたに過ぎないのかもしれない。
 そもそも、客観的事実というものは、本当に存在するのだろうか?
 各個人が、見たいように見ている自分勝手な現実のうち、共通する事実だけを抜き出しているだけではないのか?だとしたら、「現実」というものは、それぞれの心の中にしか存在しないことになる。
 それぞれの心の中にしか存在しないなら、今、自分の目の前の現実を、自分は操れる「神」になれるかもしれない。
 朝、前日の疲れの抜けきらないまま起床するあのだるさも、ぼそぼそに乾燥したパンに、保存料と砂糖だらけのジャムを塗って食べる朝食の味気なさも、毎日十キロ以上も歩いているせいでパンパンに膨れ上がってしまっているふくらはぎの痛みも、もしかしたら自分の主観的変換で、ないもの同然として過ごせるのかもしれない。
 だとしたら、と悠太は思う。
 自分が真っ先に変更したいのは、朝のだるさでも、食パンのあじけなさでも、ふくらはぎの痛みでもない。先の見えない混迷する未来に対して、なかなか元気を出せないでいる自分自身の心の持ち方だと思った。
 そんな結論を勝手に出しながら、ラフなスケッチで宇宙空間を鉛筆でなぞるように描いてみた。その向こう側に、万梨阿を象徴する天使型の人間を描く。顔の輪郭まで描いたところで、ふと筆が止まった。
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