星屑ひろいの少年2

□プロローグ
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 悠太はと言えば、絵を描くことは考えていても、ここでの競争に対する興味は皆無だった。自分のことを誰が何といおうと別に構わないし、ある意味軽蔑してくれていた方が面倒事を頼まれ無い分、楽だとすら思っていた。
 小林は小林で、そもそもアニメのことしか考えない、部屋に帰ればフィギア雑誌を見て、地球から届けてもらうガンプラを選定してばかりで、努力と言うものをまったくしなかった。悠太は、そんな彼を見ているうちに、いやなことを頭から追い出そう、と彼が意識的にそういう振る舞いをしているのではないか、と疑い始めた。
 そんなある日、小隊三つが寄宿舎から五キロメートル離れた小クレーターで星屑採集を行っている日の休憩時間、急に一人の青年が真ん中の岩の上によじ登った。
 頭は短く刈り込んだ金髪で、目は青く、唇も薄いピンク色をしている。下唇と両の耳たぶには、光を反射する無職のピアスがはめ込まれている。身長は一七〇センチくらいで、ヨーロッパ系にしては随分小柄な体躯だった。
 彼が壇上(石の上)に立つと、とたんに周囲から拍手が起こった。周りの小隊のものは、何事かと彼の方を見ている。
 すると彼は、拍手が収まるのを待って、大きく息を吸い込むと、途端にのびやかなテノールの声で歌い始めた。
 彼は、月面では結構有名なフランス人で、「フィリップ」と呼ばれていた。南部の貧しい農家の生まれで、裁縫技術を身に付けようとパリに出てきたが、途中で挫折し、二年ほどスラム街で貧民同様の暮らしをしていたという。
 ここに来た経緯は不明だが、彼がノートルダム大聖堂前の広場を徘徊して覚えた、という触れ込みの「アリア」は、伸びやかなテノールの歌声と均整のとれた旋律で、一級品だと評価されていた。
 彼が壇上で歌を披露している五分間、外国人班のみならず、悠太たち日本人班までが押し黙って、旋律に耳を傾けていた。
 地球では、流行りのJPOPしか聞いていなかった悠太にとって、彼の歌う「アリア」は、何か捕えがたい魅力を持っているように思えた。
 彼の歌が終わると、途端に彼の班員から熱烈な拍手が送られた。日本人班の悠太たちも、思わず賞賛の拍手を送らずにはいられなかった。彼は、月面で封印されてしまっていたはずの「文化」を再び復活させる希望の星のようだった。
 直に、彼の周囲の者から、分け前の煙草が一本ずつフィリップに渡された。渡す物はさまざまだが、彼は歌を披露することで有志の報酬を貰っていた。
 悠太は、彼の芸のうまさ、技巧と、それを披露する勇気にすっかり感心してしまった。彼のように、自分の絵を披露し、みなで共有出来たら、さぞ素晴らしいと思った。
 休憩時間は、残り二十分だった。
 上官は、悠太たちと少し離れたところで、iPadを取り出して、何やら画面を熱心に覗き込んでいた。小林は、夜を除けば唯一の安息の時間を有効活用しようと、寝っころがって、ベレー帽を顔の上に被せていた。
 悠太は、自分のリュックをごそごそいじった。そしてスケッチブックと取り出すと、それを誰にも見えない角度に確認しながら、鉛筆で線を引き始めた。
 まだまだ絵は未完成だった。全体の構図がざっくり決まったままで、細部の形式や色遣いがまったく詰められていない。
 地球は相変わらず今日も、エネルギー危機の問題で大騒ぎだった。自分たちが地球に帰れる日も、きっと近くはないだろう。
 悠太は、今日も筆を執って、絵を描き続ける。描けない日は、頭の中で、ああでもない、こうでもない、とえんえんと考える。そうしてひたすら目の前、「今」に集中し、未来を頭から追い出すこと、過去のことを振り返らないことが、今の悠太にとっては心の支えになっていた。
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