メトロポリタンな彼女

□月の乙女との出会い
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それから2時間半の彼女との勉強の時間のことを、隆太ははっきりと覚えている。しかしそれは話した内容なのではなく(たいした内容は話していなかったと思う)、どんな感じを受けたのか、彼女のしぐさはどうだったのか、彼女の笑顔はどんなふうだったのか、それを見て隆太はどう思ったのか…。
 そして彼女と別れて、手を振った後に、彼は自分がまだ夕飯を食べていないことに気が付いた。時計はもう22時近かった。
 帰っても彼女のことが頭を離れず、うつろに残された夕飯を食べ、風呂に行く。風呂でも頭はずっと彼女のことでいっぱいだった。隆太の頭には彼女の笑顔が、まるで白いショーツに大きなシミがついたように、いかにも自然に、当たり前のことと言わんばかりに浮かんでいた。
 隆太の頭は、つい一時間ほど前の幸せな時間を、どういう時どう幸せだったのかを思い出すための再生機になっていた。そして、あのほほ笑み方、あの思わせぶりな仕草、あのまっすぐ隆太と見つめ合った眼、えくぼの浮かぶ顔…。そのすべてが隆太に、彼女はお前のことが好きなのだと告げていた。隆太には、相手がもう自分を好きな以上、こちらが男らしく追っていくしかないと思われた。否、それ以外の道など隆太には考えられなかったという方が正しい。
 そして彼の思考は途中から、過去から現在、そしてその延長線上にある未来へと発展した。まず、「好きだ」と言って付き合うことが前提だろう。きっと相手もそれを心の中で望んでいるに違いない。しかし女性、しかも彼女は月の言葉を話す人なんだから、向こうから来にくいことは重々承知している。ここはやはり自分が、男らしくエスコートしていかねばならない。そして、告白の際には、ただの「好き」ではつまらない。もっと練りに練った日本語を彼女にプレゼントしよう。できたら他にも何かあげたい。花なんてどうだろう、いや、それはちょっと気取りすぎなのだろうか。

 そしてデートスポットはどこがいいだろうか。彼女はつい最近ここに来たんだから、この町の近くがいいな。待てよ、僕もこの町のことなんかまだよく分かっていないんだから、まずは父さんの持っているパソコンで念入りに調べよう。あれ、デートの時は男は車道側を歩かなくちゃいけないんだっけ…。
 とりとめもない思考は、そして将来のことにも発展した。将来とはすなわち、彼女とのゴールイン、結婚のことだった。
 今日初めてあっただけでもこれだけ息の合う二人だもの、もし高校や大学が違って遠距離恋愛になったって、きっと続けていけるはずだよね。あれ、そういえば昨日バラエティで、「遠距離恋愛を続けるための7か条」みたいなのがやってたっけ。あれ、見逃したなあ、ちくしょう。母さんにばれない様に聞いてみようか。そうだよな、僕の結婚相手がメトロポリタン人だなんて聞いたら母さん、きっと驚いて、野蛮だとか、家族関係はどうしろだのとか、言い出すに違いないしな。でもそこは、やっぱ僕たちがお互いのことを深く信じあっていられれば、絶対に乗り越えていける。だってそうだろ、これは運命なんだ。運命なら不可能も、無理もないに決まっている。
 そうだな、できれば彼女には地球に住んでほしいな。メトロポリタンはまだ非公開の事実も多くて、地球人はあまり移住できないみたいだし。でも彼女がメトロポリタンに居たいと願うんだったら、ぼくがメトロポリタンに移住するしかないんだろうな。そりゃ今はメトロポリタンは移住制限が掛かってるけど、10年くらい後にはちょっとずつ緩んでいくんじゃないかな。だってぼくはメトロポリタン人の奥さんをもらうんだ。その家族だったら、まだ調べてはいないけれど、きっと移住できるに違いない。移り住んだら、まだやりたいことははっきりしていないけど、やっぱり実用的な仕事につかなきゃいけないんだろうな。ロックや小説家もかっこよくて、むしろそっちの方がぼくとして憧れるけど、やっぱ家族の大黒柱たるもの、ある程度の収入は必要だからな
 心地よい気分でそんなとりとめのないことをずっと風呂場で夢想していると、母親から早く出て来いという声が掛かった。風呂場の時計を見ると、もう23時を回っていた。
 隆太は、思考を現実に向けることもできないままパジャマに着替え、母親にもいつもの勉強の話やら学校の話やらをせず、生返事だけ返して2階へ上がった。布団に入っても記憶がリセットされてしまう前に今日のうちに考えることがある気がして、寝る気になれない。もう隆太の頭の中では、ロッテとの老後の心配、遺産相続が起こらないための遺書の書き方、生前葬の有無、墓は彼女と隣り合わせがいいだろうというところまで考えが及んでいた。そしてどこかの映画で見た幸せなハッピーエンドを思い描いた後で、夢でまた今日の幸せを思い描くように、隆太は眠りに落ちて行った。
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