星屑ひろいの少年(下)

□「資本主義」の精神
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少女は、相変わらずそんな悠太を見て、その場所に立っていた。
「どうしようもないことだけど、自分に出来ることはないの? 」
「何にも出来ないじゃない! 」
「ほんの小さな努力だって、積み重なればきっと大きな力になるわ」
「だから、力なんて……」
 悠太はそう言いかけて、再び指の間から目を覗かせた。その目は、自らの絶望に押しつぶされて、歪にぎょろりと見開かれていた。
悠太は少女を見上げた。彼女の言わんとしていることが、頭の片隅でピンときた。
「……まさか、もう一度ここで、絵を描けっていうの? 」
「そうかもしれないね」
「でも、あてどなく書き続けて、一体何になるっていうんだ」
「どうにもならないことはないわ。何か、いいことに繋がるんじゃないかしら」
 少女はそう言うと、口の端を少しだけ緩めて笑った。悠太には、その微笑の意味が分からなかった。
 しかし悠太の中の気持ちのどこかが変化してきたらしかった。
悠太は、夢を実現できないことを、時代や社会のせい、もしくは、常識を逸した自分の歪な想像力のせいだと思ってきた。
生まれてくる時代がもっと恵まれ、自分に行動の自由や文化水準の高い環境があったならば、自分の思い描いたことの何割かは叶えられると考えていた。
また、自分がもっと早熟の芸術家としての感性に溢れ、子供の頃からコンクールや賞を数々受賞していれば、自分の絵本作家としての道は、今よりよっぽど安易に開けるものと勘違いをしていた。
しかしそれらの発想に、自分の汚らしさみたような、エゴイスティックなものが含まれていることも、頭の片隅では気付いていた。
なぜなら、歴史の中で夢を追ってきた人は、それらすべてに恵まれてこなかった人の方が圧倒的に多いはずだと分かっていたからだ。時代の憂き目に遭い、一生家族や自分の生活のために走り回って、一生を終えた人の方がはるかに多いのだ。
それら人生が無意味だった、と自分に言う資格はあるのだろうか?
積極的に才能を開花させ、あらゆる人の尊敬を集める人生にしか自分が意味を見出さなかったら、何も成し遂げられないかもしれない自分の一生は、一体なんのためにあるのだろうか?
 悠太はそこで初めて、人生の真理のようなものの一部に触れたような気がした。
積極的な人生にだけ、意味があるわけではない。
運命のいたずらによって、受難を繰り返し、何も成し遂げないまま途中で終わっていく人生もたくさんあるはずだ。そういった人生に意味が無いと見なしていたから、今までの自分は何もしないまま時代を呪い社会を呪い、気づかないうちに精神の本来持っている創造的な輝きまで、失っていたのだ。
自分のあらゆる境遇を呪い、周りの人間を悪者扱いし、薄暗く見える未来を現在の地点から眺めて嘲っていた。
悠太はいつのまにか、身体だけでなく精神まで堕落しきっていた。
 しかし、自分の描いた理想と言うものは、時代からも社会からも、身体からも解き放たれた精神の自由の国にあればこそのものだったはずだ。
もともと叶えられる見込みが十分あれば、それは悠太の精神の気高さの何の証明にもならなかっただろう。
見つからないから、崇高だったのだ。叶えられないから、貴かったのだ。そんな簡単な事実をいつの間にか忘れていた自分を、悠太は笑った。
それはあっけからんとした笑いだった。
今までの自嘲的な笑いとは、対照的だった。それは、雲一つない秋空に向けて、誰に向けるでもなくするような笑いだった。力いっぱい自分の不遇を主張する今までのかたくなな感情ではなく、力の抜けたあっけからんとした笑いだった。
そうして、その笑いは現実に向けられるではなく、目の前のことしか見えていなかった自分自身の愚かさを、笑っていた。
 悠太は立ち上がった。少女は、相変わらず微動だにしないでこっちを見ていた。悠太は、自分の内面の変化を、いちいち説明する気は無かった。そうして、端的な感謝の言葉だけを少女に向けた。
「ありがとう。なんだか、大事なことを思い出した。どうにか、やっていこうと思うよ」
 その言葉を聞いた少女は初めて、口元と一緒に大きな瞳の端を緩めた。
「きっとできるよ」
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