メトロポリタンな彼女

□告白
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 ―ロッテに告白をする。
 この言葉を目の前にしても、隆太には迷いを感じたりためらったりする感情は湧いてこなかった。そのかわり、あらかじめ肯定的な答えが用意されている者のみが感じるような、分かり切ったことを形に表す煩雑さ、それに照れを感じる感情、ほんのちょっとの義務感を感じるだけだった。隆太には彼女に思いを伝える以外の道が考えられなかったし、彼女との間のあやふやな、掴みどころのない感覚を形にすることは二人にとって必要なことだと感じられた。
 いつも通りの学校の帰り道のことだった。隆太は美術部に行かず、家へと直行する途中だった。調度公園を通りかかると、保育園の帰りの親子が遊んでいる。子供が滑り台の上によじ登っている。
彼女から、日本語を教えてくれというメールが来た。それを一度眺めた隆太は、スマートフォンの画面を指ではじき、彼女との会話の履歴を目で追った。とりとめのない散漫なやり取り、文章。しかしその節々に隆太は、彼女の込めた思いなのか、にじみ出た感情を読み取らずにはいられなかった。そして告白することが彼女と自分のためなんだ、と自分を奮い立たせて、彼女へ思いを伝える片道切符の言葉を打ち込んだ。
「今度会ったとき、ロッテちゃんに伝えたいことがあるんだ。」
 それを打ち込んだ瞬間、もう後戻りはできない、そう確信した。ついに自分は言ってしまった、とも思った。そしていつも通りの下校中の道が、打って変わって自分にも気づかぬところで変革され、新しい世界になったように隆太には受け取られた。
 今まで恋愛に対して隆太は、失敗の危惧、自分はどうせダメなんだという無意識的な刷り込み、容姿、運動神経、あらゆることを根拠にして傍観者の立場を決め込んできた。
小学四年生でクラスメイトのKちゃんに初恋した時も中学一年生の頃に隣のクラスのMちゃんに思いを寄せた時もそうだった。
しかしこの言葉を打ち込んだ瞬間、隆太の世界は変わった。もう後戻りのできない片道切符をポケットに忍ばせ、傍観者から行動者へ、ただの傍観者から当事者へ、自分の世界に引きこもった内気な少年から少女を助ける一人の騎士へ、彼はそこへたどり着くための入り口にやっとたどり着くことができたのだ。
 とはいえその言葉を打ち込んだ瞬間、隆太の胸はいままで感じたことのない高鳴りを感じた。否、高鳴りという言葉は正確ではない。隆太が受けた感覚といえば、五臓六腑が煮えたぎるような、体の内から抑えきれない衝動が体を突き抜け、あやうく体をバラバラに引き裂いてしまうような感じだった。
 彼女からの返信にはいつものごとく約五分して返ってきた。その間、隆太は内側から湧き出る激しい衝動を抑えきれず、まともに歩くこともできず、止まることもできず、同じ場を何回もぐるぐる回った。しばらくしてから近くの公園のベンチに座りに行き、また立ち上がってはそこをぐるぐる回っていた。もし彼を傍から見る人がいれば、それは精神に異常をきたしたか、不安に押しつぶされそうな人にしか見えなかっただろう。
 数分後、彼女から至極全うな返事が来た。
「伝えたいことって、何?」
 しかし隆太はそれには答えず、
「またその時に話すね」とだけ伝えた。
 彼女との会話を終わらせた隆太は、一種の晴れやかさと満足を感じていた。あんなにも自分が敬遠していた、学生の本分を全うせず恋愛にうつつを抜かすやつら。リア充ども。隆太は未だに、彼らの言うことの全ては理解できない。しかし彼らの言っている言葉がすべて的外れというわけではなく、チャラいやつらだと思っていた彼らの言葉にもある種の道理が通っていたと分かった。
傍から見てうらやましい気持ちを禁じ得なかった彼氏彼女だが、自分がいざ当事者になってみるととても不安で、傍から見ていることと当事者になって事に当たることはこんなにも実感が違うのか、ということも感じられた。そしてひ弱でおとなしかった自分は、自分の中で勉強に至上の価値を置くことでむしろ恋愛をできるだけの容姿や性格に魅力のある人たちを見下していたが、むしろ勉強や実用的な事柄はあらゆる人間の能力の側面の一つであるに過ぎず、彼らを内心見下してきた自分は、単に彼らの会話の文脈に寄り添えるような経験を持たなかったに過ぎないとも思った。
メールを終えて帰宅した隆太は、心のわだかまりの峠を越えたように感じ、昨日までと比べるとはるかに順調に宿題を終えた。自習用のテキストを数ページ、ノートに書き写した。そして夕飯のお呼びが母からかかり、隆太は1階に下りて行った。
 食事を済ませ、また二階に行った隆太はしばらくテキストを睨んでいたが、しばらくすると昨日までとは別種の不安が胸の泉から湧き上がってきた。
―自分は本当にロッテのことが好きなのだろうか。
それはいままで意識の底に沈み込んで、自分でもわざわざ掘り返そうと考えなかった思いだったが、それが今更になって頭をもたげてきたのだった。
 自分は本当にロッテのことが好きなのか。ロッテのどこが好きなのか。もしかしたら自分はロッテと付き合いたいのではなく、恋愛というものをしたいだけなのかもしれない。ロッテはつまりは、そのために都合よく現れた一種のトークンなのだ。自分はロッテの人格が好きなのか。いや、もしかしたらロッテに対して性的欲求を自分が抱いているだけなのかもしれない。じゃあ、そうだとして万が一ロッテを傷つけるようなことをした場合、自分はそれを償えるのか。いや、無理だ。
 そもそも告白とは、今まで成り行き任せだった二人の関係性を変えてしまう行為ではないのか。惰性を変えるには余分な力を加えることが必要だ。そして今のままでも自分は毎日、十分といえる喜びを感じているではないか。重力に逆らった結果、人間は数時間で世界を飛び回れるようになった。しかし果たしてそれ以前と比べて幸せになれたのか。つまり現状でうまく言っている二人の関係を、わざわざ変えて良いのだろうか。
 告白には多くの精神的エネルギーを要するし、その日その瞬間を迎えるまで自分は世界に取り残されたような不安に一人、閉じ込められることになる。友達に相談したいが、隆太は生憎恋愛を語れるような友人を持っていない。もしかしたら二人の関係が告白によって壊れてしまうかもしれない。ロッテは自分に告白されて果たしてうれしいのか。隆太はいよいよ自分の本心が分からなくなってきた。
 そんな告白への不安が次第に大きくなり、隆太は一人、机の前で苦しんだ。少し眠れば楽になるかと机に俯せになった。すぐに浅い眠りに落ちた。しかし数分後起き上がった時には不安に眠気まで加わり、頭痛のように頭がじんじんと痛む。
 たまりかねた隆太は一階におりた。誰でもいい、話がしたかった。
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