メトロポリタンな彼女

□月の乙女との出会い
1ページ/3ページ

隆太は、新築したやたら白くて、一人部屋にしては無駄に広い部屋で、ベットに仰向けになりながらずっと天井を眺めていた。
隆太は、今年で中学3年生。頑張り屋と親に称される通り、親に褒めてもらうため、クラスメイトの中で確たる承認を得るため、日々懸命に勉強していた。一昨日なんかも、友人との会話をそこそこに切り上げ、学生の本分たる勉強に打ち込むべく帰宅。帰って、新聞で目ぼしいテレビ番組を探し、「最近の民放はダメだな」とおやじ受け売りの捨てぜりふを吐いて、2階へ上がる。3か月前に引っ越したばかりの新築の、一人部屋にしては広過ぎる部屋で、まだ硬いままの机についた。そして、夕飯のお呼びがかかるまで、最近覚えたコーヒーの味を相棒に、本分を全うする。夕飯を終えた後も、他の家族がくつろいでいる中、もっとも早く2階へと舞い戻った。この日の勉強時間は、4時間。それを寝る間際、母親に誇ると、母親はかならず隆太を褒めてくれた。そうして隆太は、美術部が無かったらもっとがんばれるのになあ、とか、同級生の中にはゲームをしてから深夜に勉強するやつがいるけど睡眠は絶対必要だよね、とか、スポーツとか恋愛をしている奴らは学生の本分が何かよく分かっていないんだよ、とかそんな持論をしゃべった。母親は、ときどき困ったように笑いながら、それでも最後には必ず、「隆太はえらいね」と言ってくれた。
そんな隆太が、少し前からあまり勉強に打ち込めなくなっていた。友達と遊んでいる時もどこか自分の本当の居場所がないようで、目の前の友人たちとの間に心なしか距離を感じてしまう。美術部も、自分でもあまりうまいとは思えないデッサンを目の前にして、筆が止まってしまい、次の筆をどう運ぼうか考えるのにも多くの時間を必要とした。帰っていつものように勉強に打ち込もうとしても、コーヒーはいつものように自分を一種の仕事人にしてくれるどころか、砂糖を入れすぎた変わった匂いのする汁にしか思えなかった。
この日も自分の頭で数式を考えないで、ノートに計算式をだらだら写すような勉強を1時間近くした。その後ベットに横になって、夕飯にはまだ早い時刻を指す時計の針を眺めた。

「…ロッテちゃん」
そういう言葉が、意識せず口から出た。
隆太は、一人の女の子に恋をしていた。
先月から、一人の女の子がクラスに転校してきた。彼女の名前は、ロッテ・アルベルト・シュタイン・マッハちゃんという。彼女の名前を初めて聞いたとき、金髪碧眼で英語を自在に操る帰国子女のクラスメイトが彼女に聞いた。
「その長い名前って、サーネーム?」

しかし彼女は違っていた。
彼女の、すこし丸い顔、愛らしくパッチリした目、少し肉好きのいい健康そうな笑顔、宇宙を閉じ込めたような黒い目、光に当てると緑色に照り映える黒髪、中学三年生にしては頭一つ分高い身長、やけに早い歩き方、年頃なのにニキビの全くないほっぺた、洗い立てのシーツのように白い肌、少ししゃくれたように愛らしく突き出た唇…、その幾つかは、月に住む宇宙人の特徴だった。地球と月との間で銀河鉄道が開通してからすでに百年近くが経つ。月に詳しい科学少年であるクラスメイトの山岡が彼女に聞いた。「月のどこから来たの?」
 月には百年以上前から、複数の宇宙人たちの基地とも集落とも、町ともとれるコミュニティがあった。そこには人類には発音不可能な名前が付けられていたり、人類の発明した器具では捉えることが出来ない光線がとんでいたり、人間が思わず目を背けてしまいたくなるようなものが道に転がったりしていた。その中でも彼女は、月最大の都市「メトロポリタン」から来ていた。メトロポリタンにはメトロポリタン族という宇宙人が住んでいる。彼らの容姿はすこぶる人間に近く、顔は彫りが深く高身長で深緑色の髪を持つ。言葉こそ人類とは通じないが、人間の感情を理解する心を持ち(ただし生活環境が違うため、道徳観は違うし、人間に同情することはあまり無い)、人間と同じように酸素によって身体の生命活動を維持し、たんぱく質やブドウ糖といった栄養を摂る。近年の学者の中には、人類と極めて類似点が多いことから、太古の昔に月に何らかの形で移住したご先祖様ではないかと言う声が多い。
最初に彼女を見たとき、隆太は彼女を美しいと思った。しかしその美しさは、隆太の心に深く沈み込むような美しさではなく、あくまで一般的な人間が感じる「美しい」という感情だということを隆太は自覚していた。
しかし今年転校して数か月になる隆太は、転校したばかりの人の気持ちが一番分かるから、という担任の意向により彼女の「お世話係」に任命されてしまった。勉強が学生の本分と口では言い張っていた隆太だが、いざその段になてみると悪い気はしなかった。
「まあ、やってもいいかな。彼女は勉強もよくできるし、仲間づくりには調度いいや」
彼はクラスメイトや担任の前ではそう言い張った。
 先週の日曜日の夜、さっそく彼女からお呼びがかかった。
 日曜の夕方、晩御飯を済ませないまま隆太は家を出て、少し遠くの喫茶店で彼女を待っていた。
 店に入ってきた彼女は隆太を見るなりにっこりとほほ笑んで、しかし別段何か言葉を発するでもなく彼の向かいの席に座った。隆太は照れを隠そうとしたが、彼の頬に浮かんだ笑みは自分でも恥ずかしいくらいに自分の今の胸の緊張、新鮮さ、恥ずかしさ、自信のなさを映し出していた。
 今までそんな感情を女性に向けた経験などなかったゆえ、彼の胸には鋭い不安、自分は受け入れられるのか、いや、たぶん無理ではないか、という自己完結の不安が過ぎていった。

 しかし彼女はにっこりと、隆太の弱気な笑顔を救い上げるように、笑った。

 隆太の胸の中は、せき止められた不安と照れと焦りと恥ずかしさと逃げたい気持ちと、もういろんな感情が一辺に渦を巻いて、しまいには彼女への安堵と照れと、自分を見てほしいと願う子供のような気持ちへと変わっていった。この子は他の女の子と違う。自分を認めてくれる。こんな内気で意地っ張りの自分を、彼女は受け止めてくれるんだ!隆太の胸は歓喜に震えた。
 喜びが彼の心を支配した。もう隆太は彼女の目しか見なかった、否、見えなかった。そして彼女は少しぎこちなく隆太に行ったのだった。
「私に日本語、教えてくれる?」
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ