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□酒宴の花
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映し出されたレントゲン写真には僕自身の脳が映し出されていた。僕の担当医の藪川は僕がどんな状況に置かれ記憶喪失になったのか、ボールペンを使いながら説明した。 
「えーっと、君の脳の記憶を司る海馬という部分が外側からの強い衝撃によってね……」僕はそれを熱心に聞いて大体は理解した。
僕に記憶が抜けてしまっているのは外側か強い衝撃が加わったことによる。しかし頭部に全く外傷がないため、藪川は「本当に何か、魔法でもかけられたのかもしれないね」などと冗談めかして笑った。
それにしても初老といえる外見なのに患者に診断結果を伝える時冗談をいうなんてずいぶん変わったじいさんだな、などと僕は思った。僕は診察はもっと重苦しいイメージしかなくって、最初に藪川医師と出会ったときは随分驚いた。それにしても健康健康と雑誌でも巷でもうるさいけれど、僕は人がそんなに健康に気を使う理由がやっとわかった気がする。
やはり自分の体の調子はとても気になるのだ。体のどこかが痛い時は何か体に障ることが体内で起きている気がするし、頭が痛いときは記憶喪失を意識せずにはいられない。人類の歴史を振り返れば、自分の体に気を使うことも無く戦いに明け暮れた時間の方が長いわけだから、随分僕は悠長なことを考えてるなと思う。
そんなことを考えながら僕は診察室を出て休憩所に向かった。病院の中は十分に温かかったけれど、僕は少し迷ってから缶コーヒーのホットを買った。そのまま備え付けのベンチに腰掛け、コーヒーを啜った。久しぶりに飲むコーヒーは湯気とともに口に入り、喉を通り僕の臓器を満たしていく。その芳醇な香りに僕は「うまいな」とつぶやいた。
やはり部屋で悶々と考えていても答えはでないようだ。白織と別れてはや三か月がたった。ここ最近冷え込み始め、十月半ばの病院周辺の山はススキと紅葉した木々でいっぱいだった。あれから三か月、白織の遺志を受け継ごうとしてどうすれば病院が変わるのか考えてはいるけれど、具体的に何をやればいいのか案は皆無だった。よく考えればおかしなものだ。白織が言っていたこと(現代の人々はみな自分の殻に籠っているだとか、もっと真心で接するべきだとか)は考え方の問題なのだ。考え方の問題に正面から挑むほど厄介なことはないんじゃないだろうか。しかも僕には同志はいない。たった二人の間で結ばれた約束なのだ。
「どうしたもんかな……」
 そう言って腕をベンチの上で伸ばすと、急に横から声が飛んできた。
「ひっ。え?え?」
 見ればそこには一人の少女かいた。パジャマを着て肌は白くて華奢な骨格をしている。おそらくこの病院の患者だろう。僕が気づかず腕を伸ばしたから腕が当たってしまったんだ。あわてて弁解しようとするが、彼女はかなりおろおろしている。
「ごめん、悪気はなかったんだけど」
 そう言って自然に伸びた手に彼女は怯えて距離を取ろうとした。
「こっ……、来ないでください!」
「いや、そんなに怖がらなくてもいいから」
「こっ……来ないで!知らない男の人とは話しちゃいけないってお父さんが……」
「いや、だからだからさ――」
 見ればわかるだろ、君と同じ病人だって。そう言おうとしたけど彼女は本気で僕を怖がっている様子だ。その時急に横から声が飛んできた。
「何やってるの!て、……荒巻君?」
「へ?」
 この時僕は思わず情けない声を上げてしまった。それだけ不意打ちだったからだ。振り返れば白織葉菜がいた。彼女は大学帰りらしく、秋らしい服を着て手には紙袋を下げていた。
「は……葉菜さん?どうしてここに?」
「それより今、そこの女の子に言いがかりをつけて絡んでたでしょ?」
 葉菜の目はいぶかしそうだ。どうやら僕は軽犯罪者と間違われている。
失礼な!僕はそういうことに興味がないわけではないけれど、こんな幼女に興味はない。誤解もいいところだ。
「葉菜さん誤解だよ!普段の僕の行動を見ていれば分かるだろ?」
「普段の行いが悪いからよ。これ」
 そういって彼女はベット下に置いてあったものを取り出した。男の本能を刺激する情報誌だった。
「よく堂々とこんなものベットの上に置けるわね。」
「こ、これは……! 」
 おかしい。僕は少しは体裁を気にする。持っていることは純然たる事実だが何も自分のベットに無造作に置いておいたりなんかしない。思い当たる人物が一人だけいる。同室の山村老人だ。彼は老いて体を病魔にさらされなお盛んな、超人だ。よく看護師にセクハラをして注意を受けている。彼は僕と密約を交わしており、僕は彼にその類の本をちょくちょく貸していた。どうやら山村老人は僕のベットに無造作に借りた本を返したらしい。あのエロジジイめ。おかげで僕は葉菜さんにとんだ負い目を掛けられてしまった!なんだる悲劇だろう。
 ちなみにこの二か月でわずかばかり僕は白織葉菜と仲良くなっていた。彼女は弟がそうであったように、頭がいいというか、鋭い眼力を持っていた。それで相手を巧みに見抜くから、この件は遅かればれたかもしれない。しかし僕に言わせれば鋭い眼力など戦国時代なら良しとしてこの安穏とした時代にはかえって疎まれると思う。しかし彼女はその反面直情的で、むきになることもある女性だった。対人能力はというと、弟よりは下で僕とはいい勝負、決して高くはない。人を見る目は鋭いのに自分は扱いきれてない、灯台もと暗しって感じだろう。
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