未タイトル

□プロローグ
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少し冷たい風が病室の窓から吹き込んでいた。僕は風に随分体を冷やされてから目を覚ました。
頭が重い。寝すぎた昼寝の直後みたいだった。体も痛くはなかったが、なんだか重い。
たぶん何日も寝たきりだったんだろう。白い病室の部屋を見渡した。
白塗りの縦横二〇メートルくらいの広い病室だった。部屋には僕のを含めて六つの簡素なベッドが備え付けられている。僕はその一番窓際の、入口から最も遠いば場所だった。
なんの変哲もないただの病室だ。窓からは、遠くにビルの立つ都市が見えた。この建物の手前は、木の生い茂った山だった。この病院は山の斜面に建てられているらしい。生い茂った樹木の一部は、これから来る秋に合わせて黄色に模様替えしている最中だった。
ここはどこだろうか? 自分は誰なのか?
名前は分かる。荒巻大輔。十八歳。でも、なぜここにいるのか分からない。病気だろうか? 事故にでもあったのか? もしそうだとしたらなんでこんな山奥の病院に行くことになったんだろう? 自分が以前に何を考えどう行動したのか、そしてどうして病室にいるのか。理由が知りたかった。
過去の記憶の一部はある。小学校の頃、夏休みに宿題をサボっていたことも、中学生の時クラスの女の子に初めて片思いしたことも、高校生活では勉強に苦戦したことも、覚えている。しかし周りにいた友達を思い出そうとすると、彼らの顔にぼんやり靄がかかったみたいな状態になる。友達の名前も誰ひとり分からなかった。
そして、学校生活は記憶にあるのに、家のこと、家族のことがまったく思い出せない。まるで僕には家が無かったかのようだ。懸命に思い出そうとする記憶の端々では、学校の帰宅時に友人と手を振ったり、一人で校門を潜り抜けたりするところで記憶が無くなっている。
本当の白紙だった。自分がどこで過ごし、どんな人たちと関わってきたのかが、僕には全く分からなかった。

重たい頭で、懸命に思考して一〇分くらい過ぎたころだろう。看護師の女性が、金属製のカートにいろいろな器具を満載してやってきた。二〇代後半から三〇代前半くらいの色白の女性で、長い前髪を額で二つに分けて左右に流していた。後ろ髪もゴムで縛り付けてある。結構美人な人だった。
「あら、荒巻さん、お気づきになったのね。よかったわ。」
「ここは、どこですか? 」
「ここは南里病院よ。あなたはここで三日も昏睡してたのよ」
 そうか、三日もか。そりゃ体も重いわけだ。
「なんで僕はここにきたんでしょう? すみません、理由が思い出せなくて」
「えー、ちょっと待ってね」
 そう言って看護師は病室を出ていった。しばらくして戻ると手に僕のカルテらしいものがある。
「精神障害……それも自傷的なものらしいわ」
「自傷的って……」
「まあ、自分で自分を傷付けてしまうことね」
 そう言って看護師はカルテをポンと閉じた。これ以上のことを話すつもりはない、という意思表示だろう。
「荒巻さん、お腹減ってない? 担当医の先生からは目覚め次第食事をして構わないとのことよ」
 そうか。ふむ……。確かにお腹が減っている。我慢できないほどではないけれど、胃が空っぽな感覚がする。
「食べたいです」
「そう。なら食堂まで車椅子で行きましょう。これに乗ってちょうだい」
 そう言って車椅子をベットの脇から取り出して座れるように展開した。僕は三日ぶりに動かす重い体を、ゆっくりと起き上がらせた。布団に隠れていた僕の腕や病院着が露わになる。なんだか深い眠りから覚めて、久しぶりに見た自分の腕は、細くて白くてすごく弱弱しい。病院着から覗くくるぶしも白く骨ばっていて、なんだか自分でぞっとしてしまった。たぶん長い間、食事を充分にとってなかったせいだろう。
……本当に眠っていたのは三日程度だろうか?
 重い体を起こして看護師が持つ車いすに座った。その時も尻の辺りの骨が妙にシートに当たっ、て少しだけ不快だった。
 看護師の押す車イスが病室を出た。時刻は午後二時。昼過ぎの病院はとてものどかな空気が流れていた。秋のやわらかになった日差しが、閑散としてたまに医療室から道具をいじったりする音しか聞こえない通路に、さんさんと降り注いでいた。
廊下を通る途中、ドアの開けっ放しにされた病室から患者の様子がちらほら見えた。
何を考えているのか分からない、ボーっとしている中年男性。十字架を握りひたすら何かを祈っている女性。ベットに寝かされたままゲームをしている少女。病室から飛び出した幼い少年と少女が、追いかけっこをしながら僕の横を駆け抜けていった。
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