グラジオラス

□39,目覚め
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夏の暑さが和らぎ、深緑の葉が黄みを帯びる、秋の入口。

上弦の陸が倒されたあの夜から、既に二カ月が過ぎていた。

「……」

蝶屋敷の一角、集中治療用の個室にて。

(……夢……か……? ……ここは……俺は……?)

炭治郎の赫い瞳が、薄く開いた。

ぼんやりと霞む眼を何度か瞬かせると、目尻から涙が零れる。

……何か、切ない夢を見ていた気がするけれど、上手く頭が働かない。


"ガシャンッ!"


思考を遮るように、何かが割れる大きな音がした。

炭治郎が音を辿って、部屋の入り口を見ると、カナヲが花瓶を落として立ち尽くしている。

「あ……」

「……カナ、ヲ……?」

「大、丈夫……? 戦いの後、二カ月間 意識が戻らなかったのよ」

「そう……なのか…………そう……か……」

カナヲは、吸い寄せられるように駆け寄り、壊れ物を扱うように、そっと炭治郎の手に触れた。

「目が覚めて、良かった……」

目尻に涙を滲ませるカナヲから、ホッとした気持ちを匂いで感じて、炭治郎は穏やかに微笑む。

「ありが、とう……」




一方。

集中治療用の個室へと続く廊下では、隠の後藤が歩いていた。

(は〜〜……蝶屋敷に上がるの、久々だな)

最近は鬼の出現数が多く、隠も事後処理に大忙しなのだ。

怪我人の搬送のため、蝶屋敷と現場を往復する回数は相変わらず多いものの、患者を届ければすぐに現場へ戻らなければならない。

剣士と違い、交代で休みを取れるのは隠の特権だが、それでも、ベテランを中心に手が回らなくなってきていた。

(坂垣さんとか、部下は休ませるくせに自分は人一倍働くし、いつか倒れそうだよなあ……けど、年も階級も下の俺から休めって言っても聞かねぇだろうし……あの人が倒れて長期間抜ける方が、隊としては大打撃なんだけどな)

どうしたものかと考えながら、カステラを乗せた皿を手に、廊下を進む。

後藤は今日、久方ぶりに休みの番が回ってきて、今朝、蝶屋敷への怪我人を搬送したついでに休みに入った。

とはいえ、今夜にはまた出なければならないので、休みの間に出来ることは限られている。

聞けば、吉原での一件以降、炭治郎がまだ目を覚まさないとのこと。

少し前まで、伊之助と一緒に大部屋で寝かされていたが、伊之助が回復したことで、個室へと移されたらしい。

(あれからもう二カ月も経つのか……吉原、ほぼ全焼だったもんな。柱の本気の戦いってのはえげつねぇわ、ホント……)

上弦の陸が倒された後の事後処理には、後藤も派遣されていた。

まるで、大火事と台風が同時に暴れていったかのようなあの惨状は、忘れられない。

その瓦礫の中で、互いに抱き合いながら気を失っていた、炭治郎たち三人の姿も。

(さすがにあの怪我じゃ死んだと思ったぜ……猪の奴なんか、心臓刺されてただろアレ、何で生きてんだよ……炭治郎に至っちゃほぼ死んでたようなもんなのに、それを生かせる箕舞様も尋常じゃねぇわ……)

その揺羅が、伊之助と同じように命を繋ぎ止めた炭治郎は、特殊な薬がなければ生きていられないほどの究極の小康状態で、二カ月間眠り続けているらしい。

後藤が持ってきたカステラは、そんな炭治郎へのお見舞いなのだ。

(お、戸が開いてる)

誰か来ているのだろうか。

看護師の誰かか、それとも、元酒柱や元炎柱か。

後者であったらと考えると、後藤は無意識に背筋を伸ばした。

緊張に心臓を締め付けられながら、恐る恐る炭治郎の病室を覗く。

(……あぁ、何だ。カナヲちゃんか)

病室にいたのは、蟲柱・胡蝶しのぶの継子、栗花落カナヲだった。


"パキッ……"


「?」

病室に一歩踏み込んだ瞬間、何か硬い物を踏んだ。

見下ろせば、花瓶が割れて、陶器の破片と共に水と花が散らばっている。

(……片付けろや)

後藤は眉間にしわを寄せ、カステラの皿を傍の丸椅子の上に置くと、手拭いを右手にぐるぐる巻きつけ、一先(ひとま)ず破片と花を壁際に寄せ、次に出入りする者が踏まないようにした。

その後、(ほうき)と雑巾を取りに行き、破片一つ、水滴の一滴すら残さず綺麗にする。

(……っとに、何でもやりっぱなしだなこの子マジで、カナヲちゃんよ。……全然喋んねぇし、変な子だよ実際。蝶屋敷は箕舞様や胡蝶様も含め、比較的 人格者揃いで話しやすいのに、この子だけ異質なんだよな……。……まぁ、階級上だし、剣士として才能の塊みたいだから、絶対に言えんけど)

手早く片付けを済ませると、後藤はカステラの乗った皿を再び手にして、炭治郎が眠るベッドの傍へ寄った。

「あのー、これカステラ、置いとくんで。暫くしたら下げて下さい。傷みそうだったら、蝶屋敷の皆さんで食べちゃっていいんで」

「……あ……ありがとう……ございます」

「……」


"ボフッ"


皿が、布団の上に落ちた。

高級な甘い香りと共に、カステラが散らばる。

後藤はぷるぷると身を震わせ、カッと目を見開いた。

「意識戻ってんじゃねぇか! もっと騒げやァ!」

口元を覆う面が浮くほどの大声で叫び、呆けた顔でちょこんとベッドサイドに座っていたカナヲを、怒鳴りつける。

「オメェは本っ当にボーッとしてんな! 二カ月ぶりにコイツ目ぇ覚ましてんだぞ! 人を呼べっつーの! みんな心配してんだからよ! 今だけは階級関係ねーからな!」

カナヲはハッとして、後藤にペコペコと頭を下げた。

後藤は部屋の戸口へ駆け寄り、腹式呼吸で叫ぶ。

「きよちゃん! すみちゃん! なほちゃーん! アオイちゃん! 寧々さーん! 炭治郎の意識戻ったぜぇぇぇ!! それから箕舞様! 煉獄様ー! 炭治郎の奴が起きましたー!!」

その大声に反応して一番に駆け付けたのは、なほ・きよ・すみの三人娘。

「わ〜〜〜ん炭治郎さ〜ん!」

「良かったです〜!」

「あんぱんあげます〜!」

「固形物はまだダメだよ〜!」

「カステラ落ちてる〜!」

「勿体ない〜!」

泣きながら、目に付いた事柄を叫び、炭治郎の腕に縋りついた。

 
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