グラジオラス
□25,後遺症
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"ヒュオオォォォ……"
蝶屋敷の敷地内にある、道場で。
炭治郎は、一人、座禅を組んでいた。
(……思い出せ、思い出せ……破れた血管を塞いだときのように、全身の、もっと細かい部分まで、呼吸を巡らせる……)
呼吸は、ただ多くの空気を吸うだけではないと、教えてもらった。
肺に取り込める空気の量が増えてきたから、今度はそれを扱う技術だ。
「うむ! この数か月でまた成長しているな! 感心感心!」
「!?」
突然聞こえた声に、炭治郎はバッと上を向いた。
「れっ、煉獄さん!?」
いつの間にか、杏寿郎は炭治郎の背後に現れ、大きな瞳で見下ろしていた。
「い、いらしてたんですか!」
「うむ! つい先ほど、箕舞の診察を受けてきたところだ!」
「そうなんですか。……あの、身体は大丈夫ですか?」
「ハハハッ、今しがた後ろを取られたというのに、俺の心配か?」
「えっ、あっ……」
「俺のことは心配ない! 傷は随分前に完治している!」
「そうですか! 良かった……」
「さて少年! 以前 約束した通り、稽古をつけてあげよう!」
「はい! 宜しくお願いします!」
そして。
まずは炭治郎の今の力量を知るため、二人は木刀を向け合い、手合わせを始めた。
この木刀は特別製で、刀と同じ重さ・長さになるよう作られている。
しのぶが、継子となったカナヲのために特注したものだ。
まるで真剣を持っているかのような感覚が、実戦さながらの緊張感を生み出す。
「そら どうした! 反応が遅いぞ!」
"ガッ、ガガッ"
「ぐ、う……っ」
重い攻撃に、炭治郎は顔をしかめるが、杏寿郎はまだまだ本気の"ほ"の字も出していない。
脈拍150の壁にも、全く届かなそうだ。
その程度の力でも、今の炭治郎を相手取るには十分だった。
「攻撃を受けてからの立て直しが遅い! 体幹が弱い証拠だぞ!」
「はっ、はいぃ!」
(なんて速さだっ……それに、一太刀の威力が重すぎるっ)
十二鬼月の上弦を追い詰めた強さ。
治療の後遺症で、もうあれほどの力と速さは出せないと、炭治郎は揺羅から聞かされていたが、それでもここまでとは……
十分後。
手合わせを終えて、炭治郎はその場に膝をついた。
「はぁっ……はぁっ……」
ただ木刀を打ち合わせただけなのに、とてつもない疲労感が襲ってくる。
ここ数カ月で、体力は随分とつけたつもりでいたが、まだまだだったようだ。
……そして、杏寿郎もまた、少し息が上がっていた。
以前は、この程度の手合わせで呼吸を乱すことはなかったが、やはり後遺症のせいか、体力の消耗が激しい。
それでも、杏寿郎は疲労など億尾にも出さず、見開いた目で炭治郎を見下ろす。
「君はまだまだ、身体が出来ていないな!」
「そう、ですよね……。攻撃を受けるたびに身体が揺らいで、無駄な動きで余計な体力を使っているのが、自分でも分かります……」
「うむ、よく分析できているな! だが、悲観することはないぞ! 君の年齢では当然のことだ! これから徐々に鍛えてゆけば、自ずと動きが安定し、剣の振りも速くなるだろう!」
「はい!」
「ところで、そこの黄色い少年!」
ギュンっと、突然、杏寿郎の顔が真横を向いた。
道場の扉の陰から覗いていた善逸が、ぴゃっと飛び跳ねる。
「見ているだけでは成長しないぞ! 君もこっちに来るといい!」
「あっ、いや、俺は……」
善逸がまばたきをした瞬間、杏寿郎が視界から消えた。
そして、右眼の端で炎のような色合いの毛先が揺れる。
「ぎゃひぃっ!?」
杏寿郎は、いつの間にか善逸の横に居た。
両腕を組み、大きな瞳で善逸の顔を覗き込んでいる。
「さあ! 共に頑張ろう!」
ガシッと首根っこを掴まれ、炭治郎の元へと引きずられていく善逸。
「いぃやあああっ無理ィィィィ!!」
「ハッハッハッハッ!」
―――その夜。
予定より少し遅れて、伊之助が帰ってきた。
どうも、修行のためにわざと遠回りをして、走り込みをしながら帰ってきたらしい。
杏寿郎・炭治郎・善逸の三人が、蝶屋敷の客間の一つで、一緒に夕餉を囲んでいると、ドタドタと騒がしい足音が聞こえてきた。
"ダダダダダダッ、スパン!"
勢いよく、襖が開かれる。
「あーっ!! ギョロギョロ目ん玉!! 本当に居やがった!」
杏寿郎を見るなり、伊之助は鬼でも見つけたかのように指をさした。
杏寿郎はきょとんとしていたが、炭治郎が慌てて諫める。
「こら伊之助! "煉獄さん"だ!」
しかし、伊之助は聞く耳を持たない。
腰の刀に手を添えると、身を低くして杏寿郎の方へ猪頭を向けた。
「前は邪魔が入っちまったからなァ、この時を待ってたぜぇ? 勝負だ!」
善逸が叫ぶ。
「馬鹿! 今 飯食ってんだよっ、やめろ!」
伊之助は聞こえていないのか、グっと踏み込み、刀を抜こうとした。
―――が。
「ハハハッ! 君も変わらず元気だな!」
いつの間にか、杏寿郎が伊之助の目の前に立ち、猪頭の額を片手で掴んで、グッと後方へ押していた。
伊之助は仰け反る姿勢になり、両手が刀から自然と離れる。
(速―――)
"ドタッ……"
気づくと、その場に尻餅をついていた。
何が起こったか分からない様子で、伊之助は数秒ポカンとする。
その顔を、杏寿郎は両腕を組んで見下ろし、にっこりと笑みを浮かべた。
「君と勝負をするのは構わないが、今は夕餉の時間だ。食事を台無しにしては、作ってくれた人に申し訳ないだろう?」
笑顔なのに、鋭い怒気が滲んでいて、伊之助はビリリリっと毛を逆立たせた。
杏寿郎は伊之助の目の前にしゃがみ、ポンと肩に手を置く。
「何をしてきたか知らんが、随分と体力を消耗しているな! よって、勝負をするのは明日だ! 君は早く風呂に入ってこい! そして、一緒に夕餉を食べよう! 終えたら呼吸の修行をするぞ!」
「!」
ポンポンと、何度か肩を叩かれて、伊之助はホワホワした。
何故ホワホワするのかは分からない。
ただ、湧き上がる感情に任せ、ウリィィっと雄叫びを上げ、風呂へと走っていった。