グラジオラス
□10,鬼の血
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いつものように。
揺羅は飄々とした笑みを浮かべていた。
その細い首に、桃色の刃が振り抜かれる。
"――――――ガキンッ"
「え……?」
首を斬った感触がなくて。
首なんかより何倍も硬い、何かに阻まれた気がして。
カナエは固まった。
「な……」
自分と師匠の間に、突然現れた、男。
その男の刃が、カナエの刃を止めていた。
「どうやら、派手に間に合ったようだな」
ジャラリと揺れる飾り。
現れたのは、音柱・宇髄天元。
揺羅は目を見開いて、目の前の大きな背中を見上げた。
「天元……アンタ、何で……」
「ぁあ?」
何言ってんだテメェ、と言いたげな顔で、天元は振り向く。
「緊急要請の壱〇壱で呼ばれたんだよ」
緊急要請……壱〇壱……。
揺羅は、あぁ、と納得し苦笑した。
「そういえば、そんな決まりがあったね。柱になってから要請受けたこともないし、忘れてたよ」
傍に、揺羅の鎹鴉が舞い降りてくる。
下から顔を覗き込むように、くいくいっと首を動かしていた。
揺羅は慈しむような笑みを浮かべ、指の背で鴉の首元を撫でてやる。
「……ありがとね」
緊急要請とは、鎹鴉に教え込まれている暗号だ。
鬼殺隊の隊員が、十二鬼月の上弦、もしくは鬼舞辻と遭遇した場合に使われる。
本部に情報を持ち帰ってからの伝令では、応援が間に合わないため、定期的に鴉たちの間で共有されている柱の位置情報を元に、鴉が独断で最も近い柱を呼びに向かうのだ。
その際、柱が別の鬼と交戦中であった場合、敵に情報が洩れて足止めされては困るので、暗号で状況を伝える。
「緊急要請の壱〇壱ってのは、鬼舞辻出現だったよな?」
「……ん」
「だが、それらしき姿はねぇし、気配も感じねぇ。日が昇って逃げたか」
「……そう」
「んで? どういうワケか柱が派手に首切られそうだったんで、とりあえず止めてみたんだが……」
天元は、鬼の気配が混じりつつある揺羅を見て、首を傾げる。
「止めねぇ方が良かったか?」
揺羅は変わらず、呼吸で鬼化を抑えながら、フッと自嘲するように笑った。
「いや、止めてくれて助かったよ。アンタが来なかったら、情報を伝えられずに逝ってた」
黒い皮膚は、未だにじわじわと広がりを見せている。
あまり時間がないことを察した天元は、カナエの方へ視線を向けた。
「お前、酒柱の継子だな? もう下がっていいぞ。あとは俺がやる」
カナエは、半分思考停止した頭で、戸惑いながら言葉を紡ぐ。
「あの、それってどういう……」
「ぁあ? お前の師匠の首は、俺が派手に斬るっつってんだよ。分かんだろ」
「で、でもっ、待ってください! 師範はまだっ……」
「何言ってやがる。お前も今、斬ろうとしてたじゃねぇか」
「そ、そうですけどっ、でもそれは!」
「あー、要するにあれか? 柱が来たから何とかなるとか思ってんのか? ならねぇよ。コイツから鬼舞辻の情報聞いたら、人を食う前に斬り殺す」
「……っ」
青ざめ、押し黙るカナエ。
すると今度は、しのぶが泣きながら叫んだ。
「どうしてですか! 師範にはまだっ、人としての意識があります! まだ何とかなるかもしれないのに!」
天元は、ギロリとしのぶを見下ろした。
「じゃあテメェに、鬼になったコイツの首が斬れんのか」
「……っ」
「柱が鬼になりゃ、十二鬼月なんざ目じゃねぇほどの化け物になんだよ。……つーか、今さらだけどよ」
天元は突然、キョトンとした顔になって、揺羅を見下ろす。
「お前、何でまだ鬼になってねぇんだ?」
揺羅は、今すぐ倒れ込みたいほどの具合の悪さを堪えて、平静を装っていた。
「あたしの血が、鬼を腐らせるからだよ。そのおかげで、鬼化が遅れてる。……とはいえ、毒の巡りを遅らせる呼吸を、続けてるからだけどね。一瞬でも切らせば、一秒とかからず、鬼になる」
「ほ〜」
「無駄話は、そろそろいい? ……今は均衡が保たれていても、いつ崩れるか分からない。その前に、アンタにあたしの持つ情報を全て渡す」
「あぁ、悪かったな。聞かせてくれや」
天元は、持っていた日輪刀を背に収め、揺羅の傍にしゃがんだ。
途端、天元の巨体が遮っていた朝日が、揺羅の顔に当たる。
「……」
揺羅は努めて平静を装ったが、日が当たった瞬間、酷い吐き気に襲われ、意識が飛びそうになった。
(……たった数分で、もう日の光も満足に受け付けなくなったか……)
日に当たっても焼けないのは、不幸中の幸いかもしれないが。
「……まず……鬼舞辻、の……外見、は」
頭が朦朧として、上手く言葉が出てこない。
「師範、大丈夫ですか……?」
様子が変わったことに、しのぶが逸早く反応して、身を乗り出す。
突然言葉が出てこなくなった揺羅を見て、鬼化が急速に進んだのではと、三人は不安になった。
しかし、天元は全く違う感覚をおぼえる。
「日の光が厭か、酒柱」
伏せがちになっていた揺羅の目が、少し見開かれた。
天元は小さくため息をつく。
「その音、どうやら図星だな。顔に日が当たった瞬間、お前の音が変わったから、もしやとは思ったが」
そう言って、慣れた手つきで揺羅を抱き上げた。
「なっ、ちょ……」
弟子たちや巴恵の手前、揺羅は恥ずかしくて堪らない。
「死にゆくテメェに、今さら恥もクソもねぇだろ。……少しでも永らえたきゃ、呼吸 乱すな」
淡々とそう言って、天元は木陰へと歩き出す。
カナエたちも、目を見合わせて後を追った。