グラジオラス
□9,鬼舞辻無惨
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ある日。
雲一つない晴天の下で。
(―――花の呼吸、弐ノ型・御影梅)
(―――水の呼吸、玖ノ型・水流飛沫!)
胡蝶姉妹は揺羅の屋敷の庭で、手合わせをしていた。
カナエが攻撃を放ち、しのぶはそれをひたすら避けるか、弾いていく。
カナエがしのぶの鍛錬に付き合ってやっているのだ。
そんなやり取りを、巴恵は縁側に腰掛けて眺めていた。
(しのぶさん、少し緊張しているようですね)
半月後、しのぶは鬼殺隊の最終選別に赴く予定だ。
……けれど、腕力不足で未だに鬼の首は斬れておらず、揺羅の見立てでは、これからも斬れないだろうとのこと。
先日、揺羅の鬼狩りに同行したしのぶは、揺羅の血液から精製した血清を刃に塗り、何とか鬼を滅殺していた。
水の呼吸も、歩法技である水流飛沫と、突き技の雫波紋突きしか使えない。
こんなに中途半端な状態でいいものかと、しのぶは迷っているのだ。
巴恵も最近は、この先のしのぶの将来を案じている。
(無理に鬼殺隊に入らずとも、鬼を殺す毒の研究を続けるという道も……)
「眉間にシワ寄せてると、早く老けるよ」
「!」
いつの間にか隣に座っていた揺羅に、巴恵は肩を揺らした。
そして盛大にため息をつく。
「また……。貴女は私の心臓を止めたいんですか」
「ははっ、まさか」
揺羅はヘラヘラと笑い、胡蝶姉妹の手合わせを見つめた。
カナエが攻撃の型を変える。
(―――花の呼吸、肆ノ型・紅花衣)
「……っ」
連撃から、突然、弧を描くような斬撃に変えられ、しのぶは避けきれなかった。
カナエは刀を寸止めし、微笑む。
「惜しかったわね。今のは避けるんじゃなくて、弾くべきだったわ」
「はぁ……そうよね」
しのぶは、まだまだだな、とため息をつき、チラリと縁側を見た。
そこに、巴恵だけでなく、いつの間にか揺羅も居たことに、目を見開く。
「し、師範!? いつから……」
カナエがフフっと微笑んだ。
「少し前に帰ってきてたわよ?」
先日、階級が"甲"に上がったカナエは、揺羅の気配も捉えられるようになっていた。
柱の実力に、着実に近づいている。
カナエは刀を鞘に収め、花のような笑みを揺羅に向けた。
「お久し振りです、師範」
揺羅は、洗練されたカナエの気配を感じて、口角を上げる。
「ちょっと見ない間にまた成長したね、カナエ。花の呼吸も、アンタには合ってたようだ」
「ふふっ、ありがとうございます。……あ、そうそう! この間、やっと壺が割れたんですよ!」
「おや、おめでとう」
一年前、揺羅から自分に合った呼吸を見つけるよう勧められたカナエは、揺羅に渡された花の呼吸の指南書を熟読した。
その上で試行錯誤を繰り返し、花の呼吸を極めることにしたのだ。
「……んで、しのぶは、ちょっとこれを抜いてご覧」
そう言って、揺羅は傍に置いていた細長い布の袋を、しのぶに投げ渡す。
「わ、ちょっ……」
しのぶはそれを慌てて受け取り、眉をひそめながら口紐を緩めた。
受け取ったときの手触りで想像はついていたが、中に入っていたのは、刀。
しかし、何だか軽い。
引き抜いてみると、刃が今までに見たことのない形をしていた。
切っ先と根元以外に、刃がついていない。
「これは……」
しのぶは勿論、カナエも巴恵も唖然としている。
揺羅は相変わらず、ゆるい笑みを浮かべていた。
「これから先、アンタは斬撃技を捨てて、突き技を極めた方がいい。あたしの血清を使えば、突きだけでも鬼は殺せるからね。……まぁ、あたしもいつ死ぬか分からないし、鬼を殺せる毒の開発は急務だけど」
しのぶは、刃のない刀を見渡し、軽く振ったり、突き技の動きを試してみた。
今までよりも突きが速くなったのを感じて、瞳を輝かせる。
「とても軽いですね」
「その方がいいだろう? 斬撃は刃の重さに、刀を振る力を乗せて放つもんだけど、突き技にそんなものはいらないからね。……あ、ちなみにそれは、鬼殺用の玉鋼を使ってないからね。最終選別を突破したら、選んだ玉鋼で改めて作って貰うといい」
「はいっ、ありがとうございます!」
しのぶは嬉しそうに、新しい刀を振った。
それを見つめるカナエも嬉しそうだ。
揺羅は、さてと、と言いつつ立ち上がる。
「カナエもまだ任務入ってないなら、しのぶに付き合ってやって? 刃のない刀は、攻撃の受け方が少し変わるからね。上手く受けないと、一発で折れることもある」
「「え……」」
「二人で手合わせしながら、感覚を掴みな? 刀が折れたら、近くの鍛冶屋に持っていけばいいから。場所は巴恵が知ってる。んじゃ、おやすみ〜」
大きくあくびをしながら、揺羅は手をひらひら振って、屋敷の中へ入っていった。
……また、何日もロクに寝ていなかったのだろう。
師匠の背中を見送ってから、胡蝶姉妹は互いに目を見合わせ、フッと苦笑する。
そして、刀を向け合った。
「全力でお願い、姉さん」
「えぇ、勿論」
打ち合わされる、姉妹の刀。
巴恵はそれを、微笑ましいものを見る顔で、眺めていた。
半月後。
しのぶは満を持して、鬼殺隊の最終選別に向かうことになった。
出発の朝、揺羅の屋敷の玄関前で。
揺羅に貰った、刃引きされた刀を腰に据え、揺羅の血液から作った血清を懐に忍ばせる。
「鬼を全部斬らなくていいんだからね!? 大事なのは生き残ることなんだから、逃げたっていいのよ!?」
「はいはい、十回は聞いた。……それより、姉さんも任務が入ってるんでしょ? 早く行かないと」
「それはそうだけど……」
カナエは、しのぶのことが心配でならない様子。
しのぶはため息をついてから、カナエの両手を握った。
「私だって姉さんの妹だもの。絶対に生きて帰ってくるから、大丈夫」
「……えぇ」
そこに、握り飯の包みを持った巴恵が、屋敷から出てくる。
「道中の昼餉にどうぞ」
「あ、わざわざありがとうございます」
「いえ。私にはこのくらいしか出来ませんから。……揺羅さんから伝言です。見送りは出来ないけど、帰ってくる頃には屋敷に戻るから。必ず帰っておいで。……だそうです」
「はい。必ず帰ります」
「御武運を」
巴恵はしのぶに包みを渡し、珍しく微笑みを向けた。
しのぶも微笑みを返し、頷く。
そして、カナエにも頷いて見せると、身を翻した。
「行ってきます」
青空の下へ踏み出していく、小さい背中。
カナエは胸の前で拳を握り、眉根を下げてその背中を見送った。