グラジオラス
□7,剣と覚悟
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鬼殺隊士を目指して、修行を始めてから、およそ半年。
胡蝶姉妹は、ようやく刀を持たせてもらえた。
刀を手にしたその瞬間こそ、喜びで胸がいっぱいになったが、翌日から、"喜びも束の間"という言葉の意味を実感するようになる。
「はーい、あと二百回〜。ちゃんと力を真っ直ぐに乗せるように振るんだよ〜?」
「ひ……ぎっ……」
「腕……取れますっ……師範っ……」
「いいのいいの。腕の筋肉ブッチブチになるまでやるもんだからね、ははは」
笑顔でサラリと言い放つ揺羅。
その視線を受けながら、胡蝶姉妹は、鞘に納めたままの刀を素振りしていた。
二人とも絶望的な顔で、涙を滲ませながら、震える腕を必死に動かしている。
揺羅の横に立っていた巴恵は、引き気味な表情で訊いた。
「……あの、さすがに初日から飛ばしすぎなのでは……」
しかし、揺羅はユルい笑みを崩さない。
「いいんだよ、これで。二人とも山を駆け回って、足腰や体幹はしっかりしてきたけど、腕は全然だからね」
「でしたら、腕の筋力も足腰と同様、時間をかけるべきではないのですか?」
「まぁ、普通はそうなんだけど……刀を振るって動きは、元々人間にはない動きだろう? その分、走ったり飛んだりする動きよりも、呼吸との連動がしにくいんだよ」
ここ半年の修行で、姉妹は全集中の呼吸の基礎を習得し、それを走ったり飛んだりする中で使ってきた。
それは人間に元々備わった動きの延長のようなもので、さほど難しくない。
しかし、剣術に呼吸を応用するとなれば、話は変わってくる。
「死ぬほど素振りして、筋力つけながら刀に慣れさせつつ、身体を限界まで追い込むことで、呼吸との連動も誘発させる。型と呼吸を別々で覚えさせるより、ずっと上達が早いんだよ」
聞くからに無茶な方法。
巴恵は姉妹が可哀想に思えてきて、わずかに目を細めた。
「揺羅さんのご実家では、これほどまでに厳しい修行を?」
訊くと、揺羅は首を横に振る。
「いいや。これはあたしが経験から編み出した方法」
揺羅の父親が行っていた修行法は、ごく一般的だった。
全身の筋力鍛錬に始まり、呼吸の基礎を習得して、型を覚え、呼吸と重ね合わせていくという順当な方法。
しかし、一日も早く兄の薬を探しに出たかった揺羅は、全てを同時に行った。
時に身体を壊しながらも確立させたその方法は、一歩間違えれば二度と剣を振れなくなる危険なものだ。
……もちろん、剣が振れなくなっては意味がない。
そうさせないために、揺羅が二人を見ているのだ。
剣士としての経験と、医者としての経験。
二つの経験値を得た眼で、二人の身体の限界値を見極めている。
「ん〜……そろそろ第一段階かな?」
揺羅が呟くと、巴恵はその楽しそうな笑みをチラリと見て、再び姉妹を見やった。
そして、揺羅の呟きの意味を察する。
カナエが、刀を振る傍ら、無意識に全集中の呼吸を使い始めたのだ。
疲れ果てた腕でも刀を振るために、刀を持ち上げるその一瞬だけ、呼吸を使って腕の力を補助している。
ここに型を当てはめてしまえば、もう技が出せてしまう……
そう思って、巴恵が無意識に目を見開いていると、揺羅が歩き出した。
(限界まで素振りをさせて、型を教えるべき瞬間を計っていたのですね……)
心なしかワクワクしながら見ていると、揺羅はカナエ―――ではなく、しのぶの方へ近づいていった。
そして、しのぶが振り上げた刀の柄を、後ろから掴み、素振りを止めさせる。
「……え……?」
しのぶの両手は、するりと刀から離れて、糸が切れたカラクリ人形のように、力なく落ちた。
たった今、しのぶの握力が限界に達したということだ。
しのぶは、何が起きたか理解できない顔で、真上を見上げる。
笑みを浮かべて見下ろす揺羅と、視線がかち合った。
「しのぶは今日はここまで。休んでいいよ」
「え……あの……」
ぷるぷると震えている両腕は、もはや痛みどころか触覚そのものが鈍くなっている。
「腕、動かないだろう? だからおしまい」
ニッコリと笑みを向けられて、しのぶは両腕を動かせないことに気づいた。
そこに、まだ続いている素振りの音が聞こえてきて、カナエの方を見る。
"……フォンッ……フォンッ……"
鞘付きの刀が、空気を斬る音。
カナエは額に薄く血管を浮かべて、刀を振っていた。
(……姉さんは、まだ出来るんだ……)
自分の腕はとっくに限界だというのに……
じわじわと胸の内に広がる悔しい思いを感じながら、しのぶはカナエを見つめた。
その頭に、ポンと手が乗る。
「よく見て覚えな? 次は同じことが出来るようにね」
「……はい……」
―――それから、数分後。
しのぶより七十回ほど多く素振りをしたカナエは、しのぶのときと同じように、揺羅に止められた。
翌日。
胡蝶姉妹は、揃って猛烈な筋肉痛に襲われることになった。
「う、腕が、上がらないわ……」
「痛いとか、そんな次元じゃない……」
「こ、これ……二度と腕が動かなくなるんじゃないかしら……」
「少なくとも、元には戻らない気が……」
腕どころか、体中をぷるぷる震わせて、宿の部屋で突っ伏している二人。
揺羅は、そんな二人を横目で見下ろしつつ、身支度を整えていた。
「ただの筋肉痛だよ。ちゃんと元通りに治るから心配ない」
そこに、宿の主人に宿泊延長を申し入れた巴恵が、戻ってくる。
「治らない心配はしていませんが、こんな状態で、今日の修行はどうするんです?」
……この状況でも修行をさせようとしている巴恵に、胡蝶姉妹は、ここには鬼しかいないのかと密かに涙を流した。
揺羅は隊服の最後のボタンをとめて、姉妹の元に歩み寄る。
「ほら、今日やること説明するから、仰向けに寝てご覧?」
……やっぱり修行させる気なのか。
そんな思いで、二人は涙ながらに寝返りを打った。
二人が仰向けになると、その頭の傍に、揺羅が膝をつく。
そして、両の人差し指を、カナエとしのぶ、それぞれの額に置いた。
「いいかい? 今日は一日、全集中の呼吸を使って両腕の回復に努めるんだよ」
揺羅の言葉が、二人の頭の中で何度も巡る。
それでも、いまいち具体的な方法が分からなくて、二人はまばたきを繰り返した。
「獣を捕まえるとき、ここぞって瞬間に全集中の呼吸を使ったね? それを、今日は腕に集約させる。全集中を出来るだけ長い時間持続させることで、回復力を上げるんだ」
サラリと発せられた説明に、二人は固まる。
ここぞという瞬間に使っていた、いや、瞬間にしか使えなかった呼吸を、持続させる?
どういうことだろうか……
「もちろん、最初から全集中の呼吸を一日中持続することは出来ないだろうね。だから、今日は限界に挑戦しつつも、限界を超えない程度で休憩しつつ頑張ればいい。限界を超えようとすると、肺が破裂して死んじゃうかもしれないし、今日はあたしも見ててあげられないから、気をつけるんだよ?」
危ないことをサラリと言って、ヘラっと笑う超人的な師範。
けれど、拒否権はないので、二人は青ざめた顔で「はい……」と返事をした。
「よし。それじゃ、頑張りな〜」
揺羅は二人の額をペチペチっと叩くと、立ち上がり、身を翻す。
「巴恵、あとよろしく〜」
巴恵はいつも通り、すまし顔で頭を下げた。
「はい。いってらっしゃいませ」