グラジオラス

□4,酒の呼吸
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―――鬼と化した兄を斬ってから、三年後。



「ひっ、来るなァァ!」

「酷いねぇ。そんなにあたしのことがキライかい?」

「当たり前だろ!」

「アンタに安らぎを与えようって言ってんだから、素直に受け取っときなって」

「そんなモン要るかァァ!」

三日月が照らす夜半。

周囲を田畑に囲まれた一本道に、ポツンと在る古民家の傍で。

揺羅は、緩みきった笑顔で鬼を追い回していた。

最近、この一本道を通る人間が次々に消えていると、情報があったのだ。

鬼は、体のあちこちを、虫にでも刺されたかのように茶色く腐らせながら、必死に逃げ回っている。

揺羅はそれを、付かず離れずで追い回していたが、やがて、内緒話でもするように鬼の耳元に寄った。

「そろそろ、動きにくくならないかい?」

「は……?」

そのとき、鬼の膝がガクンと動きを止めた。

いや、膝だけではない。

体中が動かなくなり、地面に崩れ落ちる。

「は、が……っ、な……ぜ……っ」

揺羅は満面の笑みで鬼を見下ろし、ペロリと舌を出して見せた。

「酒の呼吸、酩酊(めいてい)太刀(たち)・ヱタノヲル」

途端、鬼の目には、周囲の空気が淡い橙色に見え始める。

「気化して漂ってたあたしの血を吸って、アンタの体はじわじわと内側から腐ってたんだよ」

「ひ…っ……いつ…か、ら……っ」

「さぁねぇ、自分で考えてご覧?」

皮膚に点在していた茶色の腐敗部分が、一気に体中に広がっていく。

さらに、腐敗した皮膚が溶け、身体がドロドロと崩れ始めた。

「が…ぁ……っ……いや、だっ……たすけ、て……くれぇ……っ」

徐々に肉体が腐っていく間は、痛みと苦しみが襲う。

地面でのたうち回りながら命乞いする鬼を、揺羅は口角を上げながら、冷たい目で見下ろした。

さらりと、長い黒髪が肩から零れ落ちる。

「今さら何言ってんだい? 自ら人を捨てた塵蟲(ごみむし)の分際で」

「お、れは……っ、鬼に、なんて……なり、たくな「嘘はいけないねぇ」

ザクっと、揺羅は刃の先を鬼の手に刺した。

鬼はギャッと声を上げる。

「アンタ、通りすがりの人間を攫っては、夜な夜な拷問して、指や四肢を一本ずつ齧りながら じわじわ殺してただろう?」

「な…で……それ、を……っ」

「家の中を見れば一目瞭然。アンタは誰がどう見ても、救いようのない外道だよ」

腐敗による溶解が、ついに鬼の首まで上り詰めた。

鬼はグルンと白目を剥いて、苦しみの中で絶命していく。

「……」

鬼の最期を見届けた揺羅は、鬼が棲み処にしていた古民家の戸口に立った。

開け放たれた扉の奥から、血生臭さと腐敗臭が漂っている。

その酷い澱みの中、床板に、一人、まだ息のある少年が寝かされていた。

揺羅がここに到着したとき、天井から荒縄で吊るされていたところを降ろした子だ。

(よわい)は十から十二ほど。

両腕が食われて無くなっている。

揺羅が到着した時には、もう手遅れだった。

「待たせてごめんね」

揺羅は、少年を抱き上げて、家の外に出る。

隊服にも羽織にも、少年の血が染みてきた。

しかし、揺羅は一切気にすることなく、虫たちの声が響く細道を、ゆっくり歩き始める。

「ほら、外だよ。今夜は星が綺麗なんだ」

少年は、もうほとんど残っていない意識の中で、薄く目を開けた。

乾いた唇が、小さく動く。

「……お、に……は……」

「大丈夫。この上なく苦しい殺し方をしたからね。必ず、地獄で報いを受けるよ」

それを聞くと、少年は安心したように目を閉じた。

揺羅は、少年を胸に押し付けるように引き寄せ、優しくも力強く抱き締める。

「もうすぐ、お母さんが迎えに来てくれるから」

少年の母親は、少年の隣で、鬼に食い殺されて吊るされていた。

「今度こそ、幸せに暮らせるよ」

……その言葉は、果たして聞こえていたのかどうか。

少年は揺羅の腕の中で、事切れた。

「……おやすみ、少年」

そう呟いて、満点の星空を見上げる。


……また一つ、(いのち)が零れ落ちていった。







夜が明けて、昼。

揺羅は、鎹鴉(かすがいがらす)の導きに従い、北東へ向かっていた。

途中の茶屋で買ったみたらし団子を、ホクホク顔で頬張っている。

「ん〜、四月(よつき)ぶりの甘味は格別だねぇ」


……鬼と化した兄を斬ってから、三年。

十八歳になった揺羅は、大人の女へと成長していた。

背も髪も伸び、四肢はそこらの女より逞しいが、女性らしいしなやかさも忘れていない。

身も心も鍛え抜かれた揺羅は、歩く姿一つとっても、気配が洗練されていた。

団子で頬を膨らませながら、鴉に訊く。

「北東って、どこまで行くんだい?」

「カァァ! 黙ッテツイテオイデナサイ!」

「はいはい」

揺羅は適当に返事を返すと、最後の団子を口に入れた。

そのとき……

「おや、隠が居るね」

一本道のど真ん中に、ポツンと立っている隠を見つけた。

よく見ると、その隠の姿には見覚えが。

女性、切れ長の目元、男性に並ぶ長身…

そんな隠、一人しかいない。

「巴恵じゃないか」

鬼を狩る前に隠に会うのは、珍しい。

揺羅が傍まで来ると、巴恵は一礼した。

「お疲れ様です、揺羅さん」

覆面の合間から覗く切れ長の瞳が、フッと柔らかく微笑む。

「もしかして、巴恵も北東方面って言われたのかい?」

「そうとも言えますね」

「そうと"も"……?」

巴恵は懐から、(たすき)と白布を取り出した。

此方(こちら)で目隠しと耳栓を」

「……。……ん?」

揺羅は呆けた顔でまばたきを繰り返す。

「鬼殺隊最高管理者、産屋敷耀哉様よりのお達しです。これから貴女を、鬼殺隊本部へお連れします」

「最高管理者……お館様って人か……」

会ったことはない。

だが、鬼殺隊の頂点は、昔からお館様と呼ばれる人が継いでいると、父親が言っていた。

「ご理解頂けましたら、此方(こちら)を」

「はいはい」

揺羅は大人しく従った。

(鬼殺隊の頂点だものねぇ。万が一にも、場所が割れたら困るワケだ)

やはり、組織の頂点は違うな……

(あたしら隊士はコキ使って、自分は安全なところでぬくぬくしてる、と……)

今まで、それこそ星の数ほどの鬼を狩った。

その中で、共に仕事をし、命を落としていった隊士の数は、両手の指では足りない。

(イケ好かない奴だったら、ちょっとイジメてやろうか)

そんなことを思いながら、揺羅は目隠しと耳栓をしてもらった。

巴恵は、耳栓の上からでも聞こえるよう、揺羅の耳元に寄る。

「では揺羅さん、私の背中へ」

「……。……は?」

再び、揺羅は固まった。

「歩数や回転の感覚で、位置を悟られては困りますので」

「……慎重すぎだろう」

面倒な……と思いながら、揺羅は巴恵の背中に身を預けた。


 
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