アゲラタム

□第六巻
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43、三者三様の男


とある日の、昼間。

衆合地獄の主任補佐を務める敏腕獄卒・お香は、桃源郷の極楽満月を訪れていた。


"ガララ……"


店の戸を開け、扉の影に半分隠れながら、用件を伝える。

「ごめんください、冷え性のお薬くださいな」

こんな訪問の仕方をするのは、店主の白澤に飛びつかれないようにするためだ。

女性と見れば反射的に口説く彼から逃れるには、言葉での制止だけでは足りない。

こうして、物理的に距離を確保することが重要なのだ。

……しかし、

(……あら?)

今日は、珍しく飛びついてこない。

「あ、お香ちゃ〜ん、いらっしゃ〜い!」

緩んだ笑みで手を振ってくる白澤は、カウンターの向こう側だ。

代わりに、お香の元に駆け寄ってきたのは、薺。

「いらっしゃいませ! 冷え性のおくすりですね、いつもの調合にいたしますか?」

「……」

「お香さん? どうかなさいましたか?」

薺がきょとんとして首を傾げると、しばし呆けていたお香は、慌てて笑顔を取り繕った。

「あ、あぁ……いいえ、何でもないの。いつものお薬をお願いするわ」

「かしこまりました! すぐに調合いたしますので、ごじゆうに店内をごらんになって おまちください!」

「えぇ、ありがとう」

薺はパタパタと、店の奥の部屋にある作業台へ走っていった。

その後ろ姿を見送ったお香は、暇つぶしに、店内の生薬を見渡す。

すると、白澤が声を掛けてきた。

「薬が出来るまで、お茶でもどう?」

そう言って、茶器に茶葉を入れて湯を注ぎ、白磁の器に注いで差し出す。

お香は、きっと受け取る時に手を握られるんだろうな、と思いつつも、笑顔を作って手を伸ばした。

「あら、ありがとう」

……しかし、白澤の手は指一本として触れてこない。

「……?」

お香は受け取ったお茶を見下ろして、何度かまばたきを繰り返す。

白澤は相変わらずの緩い笑みを浮かべていた。

「今日は茉莉花(ジャスミン)茶を淹れてみたよ。血行促進効果があるから、冷え性にも効果的なんだ〜」

「そ、そうなの……いい香りね」

お香は、若干ぎこちない返事をしつつ、お茶を口に含んだ。

(……白澤様、どこかお加減でも悪いのかしら。いつもなら、『冷え性は人肌で温めるのが一番』なんて仰って、手を握ってきたりなさるのに……)

息をするように女性を口説く白澤が、何もしてこないのは、それこそ病気のように思えてしまう。

一体どうしたのかと、お香が不思議に思っていると、不意に、白澤の視線が店の奥の方へと向いた。

「……待てよ、あの薬を調合するなら呉茱萸(ごしゅゆ)…………桃タロー君、ちょっとここお願いね?」

「え? あぁ、はい」

僅かに焦ったような様子で、白澤は店の奥へと入っていく。


"キィ……パタン"


扉が閉まると、お香はゆるりと首を傾げた。

「ねぇ、桃太郎さん」

「あ、はい」

「白澤様、どこかお加減でも悪いの?」

「え? そんなことないと思いますけど」

「そう……。……私の思い上がりかもしれないけれど、白澤様って、女性とみればすぐに近づく方だと思っていたから、今日は距離が遠くて、少し不思議に思ってしまって」

「あー……」

桃太郎は思い当たる節があるのか、薬草の仕分けをしていた手を止める。

「俺にも理由は分からないんですけど、最近少し、女癖の悪さが落ち着いてきてるんスよね。代わりに、異常に薺さんにベッタリになってるんスけど……」

「そうなの……何かあったのかしら」

「さぁ……」




一方、時は数分(さかのぼ)り、店の奥でお香の薬を調合しようとしていた薺はというと……

「ん〜〜〜〜っ、あとちょっと……」

生薬が並んだ棚の前で、脚立(きゃたつ)に登っていた。

とはいえ、取りたい生薬は棚の一番上の右端にあり、脚立(きゃたつ)の頂点で背伸びをして右へ身を乗り出しても、なかなか届かない。

「もう、すこし……いっ!?」

背伸びで身を乗り出しすぎたようで、つるっと足が滑った。

顔から真っ逆さまに、床へと落ちていく。

薺はギュッと目を瞑り、身を縮めた。


"ガタタッ……ドサッ"


「〜〜〜っ……。……え?」

体が、痛くない。

それに、薬の混じったこのいい匂いは……

「白澤……さま……?」

顔を上げた薺は、至近距離に迫った白澤の顔と匂いに、固まる。

「まったくもう、一番上の物を取る時は声掛けてって言ってるのに」

白澤は、間一髪で薺を受け止め、その場に尻餅をついていた。

穏やかな笑みで薺を見下ろし、もっちりとしたほっぺたを指の背で撫でる。

少し遅れて状況を察した薺は、慌てふためいた。

「ひぁっ、白澤さま!? すみません! お怪我はありませんか!?」

「僕は全然平気〜。薺ちゃんは? 痛いところはない?」

「わたしもぜんぜん平気です!」

「ホントかなぁ。落ちる時、足が脚立(きゃたつ)に何度もぶつかる音がしてたけど?」

「いえっ、ほんとうに大丈夫なので!」

「まぁまぁ。君は興奮すると痛みが分からなくなるから、ちょっと見せてご覧?」

「ひわわっ!?」

白澤は、器用に薺をくるりと回らせ、自分に背を向けさせた。

小さな体躯を後ろから抱き込むようにして、白い細足に両手を伸ばす。

探るような手つきで太腿を触られると、薺はぴくっと肩を揺らした。

「は、白澤さ「し〜……」

白澤はわざと、薺の耳元で囁き、白い耳が赤くなるのを眺める。

そして、薺の太腿に添えた両手を、ゆっくり下方へと滑らせていった。

その途中……

「いっ……」

右の(すね)に触れた瞬間、薺が顔をしかめる。

白澤は呆れ顔で、小さくため息をついた。

「やっぱりね。何ともなってないように見えるけど、少ししたら痣になるかな」

「だ、大丈夫です! わたしも神獣のはしくれですのでっ、すぐに治ります!」

「何言ってるの、君は疫病・厄災を司る神獣なんだから、回復には時間がかかるでしょ?」

「そ、それは……白澤さまにくらべれば劣りますがっ、でもっ」

「軽度の内出血じゃ、薬を使ってもあまり効果が無いかな……うん、僕の力で予防した方が早そうだ」

そう独り()ちて、白澤は薺の右(すね)に手を添える。

心なしか、部屋の空気が暖かくなり、窓も開いていないのに穏やかな風が吹き始める。

その風が白澤の前髪を揺らし、第三の眼をちらつかせた。

「おっ、おまちください白澤さま! そのようなことをしては疲れてしまいます! このていどの打撲っ、わたしは「もう力は発動してる。今さら止める方が力の無駄遣いだよ。……いい子だから、終わるまで動かないで?」

「……っ」

再び耳元で囁かれ、薺は耳だけでなく、頬まで赤く染める。

それが可愛くて仕方なく、白澤は軽い気持ちで、薺の頬に軽く口づけた。

「ひっ!? ぇあっ、えっ!?」

目を白黒させて振り向く薺。

白澤は120%悪戯心に満ちた笑顔で、驚きっぱなしの薺を見下ろしていた。

 
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