アゲラタム
□第五巻
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昼休みの閻魔殿。
鬼灯はいつもの日課で、金魚草の水やりをしていた。
32、マニアと非マニアの温度差
「……今年も紅葉してきましたねぇ」
そう呟きながら、鬼灯はまんべんなく金魚草に水をかけていく。
それを、中庭の階段に腰掛けた椿が、食後の眠気で微睡みながら眺めていた。
「紅葉っつーか、いつも赤いだろコイツら」
膝に頬杖をつき、半目でそう言うと、鬼灯は首を横に振る。
「いいえ、全然違いますよ。秋になると、模様がより赤く鮮やかになるんです。葉も黄味がかってきますし」
そこに、暇つぶしで金魚草の世話を手伝っていた、唐瓜と茄子が走ってきた。
「鬼灯様〜!」
「向こう側の草むしり終わりました〜!」
「ありがとうございます」
鬼灯は、水やり用のバケツを片しながら、世話を終えた金魚草畑に問題がないか見渡す。
すると、唐瓜が遠慮がちに訊いてきた。
「あ、あの〜……ちょいちょい紫っぽいのがいるんですけど、何なんですかコレ……」
そう言って、傍の赤紫色の金魚草を指す。
「あぁ、毎年秋になると、百本に一本くらい出てくるんですよ。マニアの間では、"ざわめくトルコ石"の名で高値がついているらしいです」
「トルコ石というか、チアノーゼに見えるんですけど……」
鬼灯は足元の荷物を探った。
「最近は金魚草をモチーフにした商品が色々とありまして、ストラップ、アカスリ、サプリメント……沢山出ていますよ」
「な、何故サプリメント……」
「滋養強壮効果があるそうです」
そこに、椿が寄ってきた。
「何だ? 食い物か?」
そう訊きながら、唐瓜の肩に腕を回す。
豊満な胸が、唐瓜の頬に押し付けられた。
「ひえっ!? ちょ、椿様!?」
椿は、唐瓜の持っていたサプリメントの容器に手を伸ばす。
豆菓子でも食らうかのように、一掴みで一気に取り出そうとした。
……が、鬼灯に手首を掴まれ、止められる。
「いけません。一度に服用していいのは一粒だけです。特に貴女は薬を服用したことがないでしょうから、効きすぎる可能性があります」
「別に死にゃしねぇだろ?」
「駄目です」
「……。……チッ、分かったよ」
椿は諦めて、一粒だけ口へ放り込んだ。
カラコロと口の中で転がし、カリっと噛み砕くと、微妙な顔をする。
「味薄いな。不味くねぇけど美味くもねぇ」
鬼灯はため息をついた。
「当然でしょう。薬のようなものなんですから。……それと、唐瓜さんの顔が爆発しそうなので、そろそろ放してあげて下さい」
「ん?」
椿が見下ろせば、豊満な胸に押し付けられた唐瓜の顔は、針で突いたら弾けそうなほど真っ赤に膨れている。
「なに赤くなってんだ?」
椿は怪訝そうに唐瓜を放してやった。
そこに、金魚草をスケッチしていた茄子が駆け寄ってくる。
「そういえば鬼灯様〜。もうすぐ金魚草のコンテストやるじゃないですか〜。アレ、入場料とかあるんですか?」
「いいえ、ないですよ。お祭りみたいなものですから」
途端、椿の瞳が輝いた。
「祭!? やんのか!?」
今年、盂蘭盆祭で祭の楽しさを知った椿は、次に祭に行けるのはいつかと楽しみにしていた。
「盂蘭盆ほど規模は大きくないですが、同じように屋台が出ますよ。来ますか?」
「行く!」
―――ということで。
金魚草コンテスト当日、椿は鬼灯の案内で、会場までやってきた。
唐瓜と茄子は、ゲストのピーチ・マキに会いたいからと、一足先にコンテスト会場に向かっている。
椿はさっそく、どの屋台から回ろうか品定めし、今にも飛び出しそうなほど瞳を輝かせていた。
「やっぱ、まずは肉からだよな〜。……おっ、現世の食いモンもある! "A5和牛"って何だ? 美味そうだな」
そんな椿の肩に、鬼灯の手が乗る。
「椿さん、一つ約束して下さい」
「ん〜?」
椿は屋台に釘付けで、振り返りもしない。
鬼灯はため息混じりに、椿の肩をぐいっと引っ張り、自分の方へ向かせた。
「おぉ?」
きょとんとしているその顔に、鬼灯はズイっと顔を寄せ、人差し指を立てる。
「いいですか。殴る前にまず電話。これだけはしっかり覚えておいて下さい」
「ん、あぁ……」
「本当に分かってます? 事後報告は認めませんよ? たとえどんなに腹立たしいことが起きても、独断で行動に出ないで下さい」
「わ、分かってるよ……」
昔の祭でのトラウマを思い出し、椿は目を伏せた。
察した鬼灯は、フッと小さく息をつく。
「まあ、貴女なら、駄目と言われれば自制できると信頼していますが」
「!」
椿は目を見開き、呆けた顔で鬼灯を見た。
そのとき、鬼灯の懐で携帯の着信音が鳴る。
鬼灯は椿から身を離し、携帯を耳に当てた。
「はい……はい……。……分かりました。すぐに向かいます」
ピッ、と切ると、もう一度椿に向き直る。
「では、私は金魚草コンテストの会場に向かいますから」
「あ、あぁ」
「祭、楽しんで下さい。もし興味があれば、コンテストも見に来るといいでしょう。私の名前を出せば、舞台裏に入れるようにしておきますから」
「おう……」
身を翻し、コンテスト会場へ向かう鬼灯。
その背中を見ていると、椿は胸の奥がむず痒くなって、自然と頬が緩んだ。
(……ったく、あたし自身も信じられねぇモンを、何でそう易々と信じてくれんだよ)
駄目と言われれば自制できる、なんて、自分では思っていない。
きっと、ムカついた瞬間に手が出る。
それでも。
アイツは信頼していると言ってくれた。
それだけで、もしかしたら出来るんじゃないかと、根拠のない自信が湧いてくる。
「……さてと」
せっかく鬼灯が連れてきてくれたのだから、精一杯楽しまなくては。
椿は屋台行列を振り返ると、期待に胸を膨らませて歩き出した。