アゲラタム

□序章
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―――神代あの世革命から数千年。

地獄は波瀾万丈ながらも、安定した運営を続けていた。

その一方で、現世はというと―――



2、報われる日



西暦1253年。

インド洋に浮かぶ小さな島。

大陸との交流が少なく、文化的には世界より少し遅れている。

そこには一つの集落があり、ちょうど、不治の病が大流行していた。


とある家でも……

「……はぁ……はぁ……」

寝かされた10歳ほどの少女の傍に、医者らしき男と、少女の母親らしき女が膝をついている。

少女は眉間にしわを寄せ、荒い呼吸を繰り返していた。

「……こりゃダメだな、残念だが……」

医者の言葉に母親は青ざめた。

「そんな……どうしてっ」

「最近はどこの家でも、子供が真っ先に病を受ける。どれだけ気をつけたところで……」

「治す方法はないんですか!?」

医者は(うつむ)くばかり。

「この家には他にも子供がいるんだろう? 酷な選択だが……」

「そんな……そんなぁっ」

母親は泣き崩れた。

その声を聞きつけ、家の奥から、三人の子供が顔を出す。

揃って困惑した表情で、横たわった少女と、泣き続ける母親を見つめていた。




やがて、もう出来ることがないからと、医者は帰っていった。

母親は涙を流しつつ、半ば放心状態で、愛娘の頬を撫で続ける。

すると、少女はうっすらと目を開けた。

「……お、か……さん?」

苦しそうに息をつきながら、しかし冷静な瞳で、母親を見つめる。

「アニラ……」

母親は娘の名を呼び、これからしなければならない仕打ちを思い、さらなる涙を零した。

少女は全てを悟っているらしく、笑顔を浮かべる。

「わか、てる……おか…さんと、弟、たちの……ため、だから……わたしを、捨てて?」

「……っ」

母親は居た堪れなくなり、顔を逸らした。


……この病は、数か月前から流行り始めた。

症状は、急な高熱と息苦しさ。

原因は不明で、治療法も分からない。

人にも家畜にも伝染し、放っておけば、ほんの数日で死に至ってしまう危険なものだ。

このままでは集落が全滅してしまう。

集落の上役たちは、悩みに悩んだ結果、病にかかった者を山に捨てろと命令を出した。

"病み山"と勝手に名付けられたその山には、深い穴が掘ってあり、そこに病人や家畜を落とす決まりになっている……


穏やかな晴れ空の下。

母親は、少女を背負って病み山を登った。

何度も引き返したくなったが、その度に、家で留守番をさせている他の三人の子供を思い浮かべ、仕方がないのだと言い聞かせた。

そんな母親の心境を察して、少女は言う。

「わたし、は……嬉しい、よ? お父さんとこ、行ける、から……えへへ……」

母親は目を見開いてから、悔しそうに表情を歪めた。

実は少女の父親も、数か月前に病にかかったのだ。

父親は家族に罪悪感を持たせないよう、書き置きを残して自ら家を出た。

「……ごめ、ん。……自分、で、動け、たら……こ、なこと、させな……だけど……」

母親はわざと笑う。

「バカだねぇ。ちゃんとお別れしない方が嫌に決まってるだろう?」

少女は、だらりと投げ出していた腕に懸命に力を籠め、抱き付いた。

……最後の甘えだ。

その仕草は、再び母親の涙腺を刺激した。




数分歩いて、母親は足を止めた。

少女は悟ったのか、自ら母親の背を降りる。

目の前には、ぽっかりと開いた大きな穴があった。

直径は5mほどありそうで、底が全く見えないほど深い。

少女はフラフラと穴に歩み寄った。

そして淵に立ち、母親を振り返る。

「じゃあ、ね……」

「アニラっ」

「…バイバイ」

長引くと辛くなるから。

少女は一方的に別れを済ませ、後ろに倒れるようにして、穴に身を投げた。


……ほんの一瞬の浮遊感のあと、何かに叩きつけられるような痛みが、全身を襲う。

体の下で、何かが砕ける音がした。

「……骨」

自分が落ちたのは大量の骨の上だと、少女はすぐに悟った。

言いようのない悪臭が、暗闇を漂っている。

何だか想像していた通りの場所だなと、妙に冷めた心地で思った。

「……?」

ふと、手が何かフワフワしたものに触れた。

手探りで正体を模索してみる。

「……うさぎ」

死んでからあまり日が経っていないようだ。

集落の誰かが飼っていたのが、病にかかって捨てに来たのか、野生の兎が、足を滑らせて穴に落ちたのか。

どちらにせよ可哀想だな、と、少女は兎の骸を引き寄せ抱きしめた。

「……私、も……すぐ……同じ、なる……」

落ちた衝撃で体中が痛い。

病を発症してから、今日で五日目。

明日か明後日には、死ぬだろう。


少女は目を閉じ、兎を守るように身を縮めて、祈った。














私で最後になりますように―――。










 
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