デュランタ
□7,自戒
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それから。
紫月は一度塀から降りて、五番隊舎の門へ回り、門番に話をつけて隊舎内に入れてもらった。
一角と千晶が居るであろう場所を探して、しばらく縁側を歩く。
"ガキンッ、ガッ、キィンッ!"
次第に、隊首室の辺りから、斬魄刀の交わる音が聞こえてきた。
縁側の角を曲がってみれば、案の定。
(…隊首室の前、だったんだ)
そんな場所で手合わせをするなんて、正気の沙汰とは思えない。
確かに、隊首室前の庭は広く、道場や修練場に行く手間が省けるため、ちょっとした修行にはもってこいだ。
しかし、一般の隊員であれば、修行に使わせてもらう場所としては考えもしない。
五番隊の新隊長は、仮面の軍勢の一人だと聞いた。
そのコネだろうか…
"ヒュオッ、ガキンッ"
一角の鬼灯丸と打ち合う、黄金色のコルセスカ。
その槍捌きからは、熟練の高度な技術が感じられた。
一角が教わろうと考えるのも、分かる気がする。
紫月はその場で立ち止まり、一角と千晶の修行風景を眺めた。
攻撃を繰り出すごとに、一角の表情が、不気味な笑みに染まっていく。
"ガガッ、ガキンッ!"
どうやら、スイッチが入ったらしい。
一角は、どうやって相手を崩すかを探っている間、この上なく楽しそうな顔をする。
トリッキーな戦法を使い、相手を惑わせ、隙を作らせようとするのだ。
しかしそれは、同時に自分の隙も作ってしまう諸刃の剣。
もちろん、手練れともなれば、自分の隙は最小限に抑え、相手にだけ隙を作らせる戦法にシフトしていくのが普通だ。
けれど一角は、戦いを楽しむために、敢えて自分に斬り込んでくる隙を残して、ギリギリの戦いを演出するクセがある。
(…十中八九、更木隊長の、影響)
紫月は、縁側に腰を下ろした。
もうすぐ、一角は鬼灯丸を三節紺として使い始めるだろう。
…そう思ったが。
今回の相手は、そう簡単に惑わされてはくれず、鬼灯丸を三節紺に変形させる暇も与えてくれなかった。
"ヒュオッ、ガキィンッ!"
千晶は、一角の隙を突き、斬魄刀を弾き飛ばした。
一角は目を見開き、固まる。
千晶の茶色の瞳は、全てを見透かすように、真っ直ぐに一角を見据えた。
「ごめんね。すごく楽しんでたし、まだ奥の手も隠してたんだろうけど、あまりにも隙が多すぎるから、一旦終わらせた」
「え…」
「一角君、戦うの好きだよね」
「あぁ、はい」
「隙を作ってるのは、わざとかな、それとも無意識かな」
「それは…」
バッチリ見抜かれてるじゃないか。
そう思い、紫月は言葉を発した。
「…わざとですよ」
「「!?」」
二人が、驚いてこちらを見てきた。
一角は紫月の姿を認識するなり、青ざめる。
「おまっ、紫月っ、こんなとこまで追っかけてきたのかよ」
「…あんたが、逃げるからでしょ」
紫月は立ち上がり、千晶に向かって丁寧に頭を下げた。
「…突然、すみません。四番隊・第十二席、蓮見紫月と申します」
「え、あぁ、朝比奈千晶です…」
「…そいつの、治療のために、十一番隊に、寄ったのですが、逃げられてしまって、追いかけるうちに、こちらに」
「そ、そうだったんだ」
「ったく、しつけーんだよ。もう傷は塞がってるっつってんだろ?」
「…それを、判断するのは、私」
千晶は二人のやり取りを見て、苦笑した。
「四番隊の言うことは聞かなきゃ駄目だよ、一角君」
「い、いえ、マジでもう塞がってるんですって!」
「とにかく、今日はここまで。ちゃんと傷が完治してから、もう一度いらっしゃい?」
「……チッ」
一角は諦めて、斬魄刀の始解を解いて鞘に戻した。
そして、縁側にドカッと腰を下ろす。
紫月は鞄を開けながら言った。
「…上、脱いで」
「へーへー」
死覇装を上だけ脱ぐと、一部が赤く染まった包帯が現れた。
紫月の空色の瞳が、暗く曇る。
「…どこが、傷、塞がってるって?」
「……」
一角は気まずそうに視線を逸らした。
紫月は慣れた手つきで、テキパキと治療を施していく。
その間に、千晶は、一角が来るまでやっていた、自分の修行を再開した。
"ヒュオッ、ブンッ、ヒュヒュッ"
唸る、黄金の槍。
一つ一つの動きを洗練させるように繰り出される、多彩な技の数々は、どれもこれも熟練の美技だった。
一角は治療される間、じっと千晶の槍技を見つめる。
紫月も、治療の傍らにチラリと見やった。
「…凄い人だね」
「お前にも分かるか」
「…とても、安定感がある。きちんと、基礎から積み上げた、本当に強い人の、特徴。遊びみたいに、振り回す、アンタと違って」
「……分ぁってるよ」
「…でも、焦りは、禁物。…ちゃんと、最初から、治療受けて、安静にしてれば、もう、完治してた、傷なのに」
「……」
「…馬鹿」
「…るっせぇ」
「…完治するまで、修行禁止」
「……」
「…返事」
「……うす」
最後の包帯を巻き終えて、紫月は道具を片付け始めた。
元通りに、全て収納すると、槍を振り続ける千晶を眺める。
"ヒュッ、フォンッ"
先ほどまで、楽しそうに斬魄刀を交えていた一角の姿を、思い出した。
「……」
何となく、そわそわする。
最近、仕事ばかりで身体を動かしていないから、ストレスでも溜まっているのだろうか。
しばらくすると、千晶がチラリと、こちらを見た。
「ねぇ、せっかくだし、紫月ちゃんも軽く手合わせしてく?」
「…え……」
予想外の申し出に、紫月はまばたきを繰り返す。
「あぁ、別に無理にとは言わないけど。…何となく、やりたいのかな? って」
誰かとの手合わせなんて、もう、何年もしていない。
四番隊は基本、治療専門で、戦闘訓練もあって無いようなものだから。
何となく、衝動が湧き上がって、紫月はスっと立ち上がった。
「…やります」
新薬が完成した時のように、ワクワク感が心を満たす。
紫月は千晶の正面まで歩いていき、淡々と斬魄刀を抜いた。
「…お願いします」
「あ、うん。こちらこそ、お願いします」
千晶は、一角とは違った意味で威圧感のある紫月に戸惑いつつも、斬魄刀を構える。
紫月は自分の斬魄刀に手をかざした。
「…喰え、翠鳥」
柄が変形し、ウロコのような模様に覆われ、刀身は12の節に分かれる。
千晶は、飛び道具系だろうか、と警戒した。
ピンと張り詰める空気を感じて、紫月の胸の内に、狂気にも似た感情が湧く。
楽しい楽しい、闘いの始まり。
そう思った瞬間…
『俺も、花火みてぇに逝ってやらァ!』
「!」
…無邪気に笑う、少年の顔が浮かんだ。
(…駄目だよ。…捨てたんだから)
時間にして、ほんの一瞬。
光が瞬くように巡った記憶が、紫月の中で湧いていた狂気を、スッと冷ました。
「遠慮しなくていいから、本気で撃ち込んでおいで?」
「…はい」
紫月は、つい先程までとは打って変わって、冷めた気持ちで斬魄刀を振った。
"ヒュオッ、ガガガガガガッ"
12の節で分かれた刀身が、一斉に千晶の方へ飛んでいく。
千晶は、その一つ一つをしっかりと把握し、自分に向かってきた刃を、最小限の動きで弾いた。
(飛び道具の使い手の戦い方は二種類。奇をてらう操り方で、飛び道具のみで決着をつける遠距離タイプと、飛び道具を囮に自分が飛び込む、近距離タイプ。紫月ちゃんはどっちかな)
千晶は、紫月本人の動きを警戒しつつ、飛んでくる12の刃を弾いていく。
"ガッ、キィンッ、ガガッ、ガキィンッ"
しばらくして、千晶は眉をひそめた。
刃の飛び方はパターンに沿っているだけで、本気で攻めてくる気が感じられない。
その上、紫月自身も全く動こうとしていないように見える。
しかし、時折なんらかの攻撃を仕掛けようとしては、仕掛ける前にやめてしまうのだ。
(……この子、何がしたいんだろ)
迷いに満ち溢れた剣。
戦い方に一貫性がない。
…同じことを、一角も感じていた。
「……チッ」
何がおかしい、とは言えないが、紫月の戦い方からは、もどかしさが感じられる。
"ヒュオッ、ガキィンッ!"
これ以上続けても、何も変わらないと思った千晶は、12の刃を全て弾き落とし、紫月の首筋に斬魄刀を添えた。
紫月は無表情を崩さず、両手を挙げる。
「…まいりました」
千晶は斬魄刀を降ろした。
「うん、戦いのセンスはあると思う。…だけど、何だろう、今、新しい戦法を試してるところ?」
紫月はしばし沈黙したあと、視線を伏せた。
「……。……いえ」
「そう?」
「…ありがとうございました」
「あ、うん」
紫月はさっさと斬魄刀の始解を解き、顔を伏せて縁側へ戻った。
何となく、一角と目を合わせられず、身を縮めて座る。
「あれ、遊楽? …と、もしかして、九番隊の副隊長さんかな」
千晶の声で、紫月はハっとした。
顔を伏せていたから、気づかなかった。
横目に、斜め後ろを振り返ってみると、九番隊の副隊長・檜佐木修兵と、三席・月雲遊楽が居る。
いつからそこに居たのだろうか。
先程のぐだぐだな手合わせを、見られてしまっただろうか…
「こんちは〜、千晶ねぇさん」
「初めまして。檜佐木といいます」
「どうしたの? 何か私に用事?」
「あ、そうだ、忘れてた。平子隊長宛てに、拳西隊長から書類で〜す」
「そうなんだ。真子、今は執務室に籠ってるから、私が持ってくね」
そう言って、千晶は斬魄刀の始解を解き、鞘に仕舞った。
「ごめんね一角君、紫月ちゃん、ちょっと行ってくるから、休憩してて?」
「あ、はい、構わないっス」
「…私は、別に……」
千晶は、檜佐木から書類を受け取ると、小走りで執務室へと駆け出した。
茶髪の揺れる背中が見えなくなると、遊楽がわざとらしい笑みを浮かべる。
「いや〜、紫月ちゃんが刀抜いてるの初めて見たよ」
「…そうですか」
紫月は、恐れのようなものを感じて、顔を伏せたまま身を強張らせた。
以前、一緒に薬草を摘みに行ったときから、紫月は遊楽を危険視している。
初対面でも心の内側を見抜いてしまう、恐ろしい洞察力を持っているからだ。
今の千晶との手合わせを見ていたのなら、きっと、心中の動揺を見抜かれてしまっただろう。
「あ、そーだ! 紫月ちゃん、ちょっといい? 女の子同士、訊いてみたいことがあるんだ」
「…はぁ、まぁ、構いませんが」
何だ、何を考えている。
遊楽の突然の申し出に、檜佐木も眉をひそめた。
「何だよ、いきなり女同士でって」
「それを訊くのは野暮ってモンでしょ。ほらほら、修兵は一角君と男同士で話してて?」
檜佐木と一角は目を見合わせ、一緒に怪訝な顔をした。
「行くよ〜紫月ちゃん」
「…は、はぁ……」
紫月は遊楽に手を引かれ、廊下をパタパタ駆けていった。
…何度か角を曲がって、二人に声が届かないところまで来ると、遊楽は立ち止まった。
紫月は、あまりに唐突で不可解な遊楽の行動に、首を傾げざるを得ない。
「…あの、月雲三席、一体、私と何を…」
「んふふ、ごめんね? 女の子同士で話したいってのは、ウソ」
「…そうですか」
予想はしていた。
「1コね、言っとかなきゃいけないことがあったんだ」
「…?」
何でも見透かす紫の瞳が、真っ直ぐに向けられる。
「自分を抑え込んでるよね? 紫月ちゃん」
「……」
紫月は、黙って遊楽から目を逸らした。
「さっきの手合わせのときの戦法、本当は使いたいと思ってるものじゃないでしょ」
「……」
やはり、見抜かれていたか。
「紫月ちゃんは戦闘に喜びを見出せるタイプだもん。一角君と同じで、近距離と遠距離をうまく使い分けながら、楽しんで戦うタイプのはずだよ? でも、さっきの紫月ちゃんは、遠距離戦法しか使ってなかった」
「……」
「昔に何かあったのかな? 深くは聞かないけど、そのまま意に沿わない道を進み続けるのは、辛いと思うよ?」
「……」
「あたしが言いたかったのはそれだけ。戻ろっか」
遊楽は、来た時のように、紫月の手を引いて歩き始めた。
紫月はただ、人形のように、遊楽に連れていかれる。
二人が戻ってくると、檜佐木と一角は、何やら雑談していた。
「たっだいま〜!」
「? あぁ、戻ったか」
「あれ、千晶ねぇさんはまだ?」
「あぁ」
「ふむ…こりゃ確実にイチャコラしてるね」
「そ、そうなのか…?」
「平子隊長が千晶ねぇさんをタダで帰すわけないもん」
「そ、そうか…」
「んじゃ、一角君、紫月ちゃん、あたしたちは戻るから、千晶ねぇさん帰ってきたら、よろしく言っといて?」
「あぁ」
「…分かりました」
「そんじゃね〜」
遊楽は、今度は檜佐木の手をグイグイ引っ張って、歩き出す。
「お、おい、そんな引っ張んなって」
まるで、嵐のように。
妙に心に残る爪痕を置いて、二人の背中は遠ざかっていった。