グラジオラス

□23,黎明
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暖かな、陽だまりの中で。

幼い姿になった杏寿郎は、母の膝に頭を乗せて寝転び、微睡(まどろ)んでいた。

もう、苦しいことは何もない。

この場所なら、母と二人、ずっと幸せで居られる。


『―――』


杏寿郎は、ぱちりと目を開けた。

何かが、聴こえた気がする。

「どうしました?」

見下ろしてくる母の、優しい眼差し。

杏寿郎はきょとんとした顔で、母を見上げた。

「いえ、何でもありません」

再び、眼を閉じて、母の膝に擦り寄る。


『―――』


「?」

まただ。

また聞こえた。

頭に直接響くような、この声。

「……誰だ?」

杏寿郎は、ぼうっと、どこか遠くを見つめ、誰にともなく訊いた。

瑠火は、そんな息子の顔を見下ろし、ゆっくりと頭を撫でる。

「聴こえるのでしょう?」

「え……?」

「聴こえて、いるのでしょう?」

「……」

母の表情が、凛とした強い顔に変わる。

「あなたは知っていますよ、その声を」

「知って、いる……?」

「思い出してご覧なさい。何かを、忘れていませんか?」

「忘れ、て……」

「やり残したことが、ありませんか?」

「……」

……あぁ、そうだ。

もう一つだけ、やり残したことがある。

母上のように、本当の笑顔を見せて欲しい人が居るのだ。

いつも、哀しい笑顔ばかり浮かべているから。

俺が、心から笑わせてあげるんだ……


「ほら、耳を澄ませて」


『―――郎』


「あなたを待っていますよ」


『―――寿郎』


「この人は、あなたにとって、どんな人?」


『―――杏寿郎』








(まばゆ)い光の中を、杏寿郎は落ちてきた。

ふわふわと羽のように軽かった身体に、ずしりと重みが返ってくる。

「……」

ゆっくりと、瞼を持ち上げた。

朧げな視界に、炭治郎、伊之助、そして、蜜璃が映り込む。

……あぁ、そうだ。

上弦の鬼と戦って……

「……甘、露……寺?」

竈門少年と猪頭少年は分かるが、何故ここに甘露寺が居るのだろうか……

炭治郎と蜜璃は、瞳いっぱいに涙を浮かべた。

「あぁっ……煉獄さんっ、煉獄さん!」

「しはぁぁぁぁん!」


二人は、杏寿郎に縋りついた。

「「うわああああああん!!」」

伊之助も、猪頭から涙を流し、立ち尽くしてぷるぷると震えている。

炭治郎と蜜璃はギャンギャンと泣き喚いた。

「あ"〜〜〜っ生ぎでる〜〜〜!」

「良がっだぁぁぁ!!」


涙と鼻水でベタベタの顔を擦りつけてくる二人に、杏寿郎は苦笑する。

そして、視線を足元の方へ向けると、探し求めていた声の主が、こちらを見ていた。

朝日を背に、ホッと、安堵したような笑みを浮かべている。

「……おかえり、杏寿郎」

……あぁ、そうか。

俺を呼び戻してくれたのか……

「……よもや、再び朝日を拝めるとはな。……感謝する、箕舞」

そう呟き、杏寿郎が微笑むと、揺羅は、心から嬉しそうに笑った。

(……そうだ。その顔が、見たかった)

その顔が、近づいてきた。

「?」


"――――――ドサッ"


「……箕舞?」

一命を取り留めた杏寿郎の上に、揺羅が倒れ込んだ。

蜜璃と炭治郎が慌てふためく。

「えっ、えっ? 揺羅さん!?」

「大丈夫ですか!?」

伊之助も心配しているのか、駆け寄ってきた。

杏寿郎は、揺羅の背中に手を乗せる。

耳元で響く、浅い全集中の呼吸。

気を失っているのに、鬼化の進行を防ぐための呼吸だけは、片時も止まっていなかった。

さすがだな、と、杏寿郎は苦笑する。

「……朝日と……出血のせい、か」

呟いて、揺羅の頭にフードを被せた。

そして、揺羅の身体を支えながら、ゆっくり身を起こす。

砕けている肋骨が、周辺臓器に触れ、痛みを発した。

炭治郎が慌てて手を添える。

「なっ、煉獄さん! 起きたらっ……」

「心配ない。腹の傷も、臓腑も、見事に治っている。君こそ、腹の傷が開くぞ。あまり大声を出すな」

「は、はい……」

「甘露寺」

「へぁ!? はい!」

「箕舞を、影のある場所へ、運んでくれるか」

「わ、分かりました!」

蜜璃は、軽々と揺羅を抱き上げて、近くの森へ走っていく。

それを見送り、杏寿郎は安堵の笑みを浮かべた。

その視界の端に、再び涙を流し始めている炭治郎が映る。

「何を泣くことがある。全員生き残ったぞ」

「それはっ……そうですけどっ……でも俺は……っ、守ってもらって、ばかりでっ……何の役にも……」

杏寿郎はフッと笑って、炭治郎の頭に手を乗せた。

「そんなことはない。君たちが居てくれたから、誰一人として死なせずに済んだ。よくやってくれた」

千寿郎にするように、ポンポンと撫でて、杏寿郎は伊之助にも目を向ける。

「猪頭少年、君も、よくやってくれたな」

「……っ」

伊之助は言葉が出ず、身体を震わせながら、首を横にブンブンと振った。

湧き上がる得体の知れない感情を抑えられず、雄叫びを上げる。

「ウオオオオオオオッ!!」

そして、汽車の方へ全力で走っていった。

何かしないと居られないのだろう。

その元気な後ろ姿に、杏寿郎は微笑み、澄んだ青空を見上げた。

さっきまで確実に死んでいたのに、こうして空を見上げているのが嘘のようで、現実感がない。

けれど、身体の痛みが、まだ生きていることを教えてくれた。

(……母上。俺はもう少し、こちらに留まります。いつか、もう一度そちらに、会いに()きますから)

 
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