グラジオラス

□23,黎明
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「……煉獄……さん……っ」

風が、たんぽぽの綿毛を攫うように。

杏寿郎の命が、今、消えた。

……あぁ、どうしてだろう。

どうして、何か一つできるようになっても、またすぐ目の前には、分厚い壁があるんだろう。

どうして、一緒に戦えなかったんだろう。

もっと早く生まれていれば、煉獄さんと並んで戦えるくらい、強くなれたかな。

どうして、いつも後悔ばっかり……


"ズザザッ"


地面が抉られる音がして。

炭治郎たちの傍に、二つの人影が現れた。

「炭治郎!」

名を呼ばれ、顔を上げる。

そこには、つい昨日別れたばかりの、揺羅の顔があった。

「揺羅、さん……っ」

こんなこと、思っちゃいけないって、分かってるのに。

理不尽な現実に、思いが止まらない。

(どうしてっ、もっと早く来てくれなかったんだ……っ)

もう、煉獄さんの命は(つい)えてしまった。

もっと早く来てくれていれば……





在りし日の、煉獄瑠火の幻影に導かれて。

揺羅が蜜璃と共にやってきたその場所は、大惨事となっていた。

汽車が横転し、這い出してきた乗客たちが泣き喚いている。

けれど。

揺羅は、一般大衆の負傷者には見向きもせず、ひたすら先頭車両の近くへと走った。

いつもなら、一般人の救助を最優先に考えるというのに。

(……杏寿郎)

瑠火が現れたとき、この線路の先には杏寿郎が居ると、確信が持てた。

きっと、一刻を争う状態なのだ。

(間に合えっ……)

……もう、あんな思いはしたくない。

カナエを救えなかった、あの朝のような思いは……

そして、朝日の中、炎のように輝く髪を見つける。

揺羅たちの気配が感じられる距離なのに、地面に座り込んだ杏寿郎は、振り返るどころか、ぴくりとも動かなかった。

その目の前には、炭治郎が座り込んでいる。

「炭治郎!」

最後の一歩を踏み込んで、揺羅は急停止する。

「揺羅、さん……っ」

見上げてくる炭治郎は、泣いていた。

その理由は、分かっている。

杏寿郎から、生者の気配が全くしない。

……これは、死体の気配だ。

蜜璃も察したのか、驚愕の表情で口元を覆った。

「……師範っ」

けれど、死体を山ほど見てきた揺羅には、分かる。

杏寿郎は死んでから、間もない。


"ドタタッ"


「え……?」

揺羅の行動に、炭治郎は目を疑った。

杏寿郎の亡骸を押し倒し、その脚を跨ぐようにして、座っている。

「炭治郎、杏寿郎が死んだのは、つい今しがただね?」

「え……」

「さっさと答えな!」

「は、はいっ、今しがたです!」

「……なら、間に合うかもしれない」

揺羅は、白い前髪を乱雑にかき上げた。

フードも一緒にかき上げられ、朝日が容赦なく揺羅を照らす。

しかし、そんなことは気にも留めず、揺羅は左眼を開けて杏寿郎を見下ろしながら、日輪刀を抜き、左腕に突き立てた。


"ザクッ"


黒い腕が大きく裂かれ、致死量ではと疑われるほど大量の血が、杏寿郎の腹部の傷に流れ込む。

炭治郎は困惑し、固まっていた。

伊之助も、目の前で何が起こっているのか理解できない。

それは、蜜璃も同じだった。

「蜜璃、杏寿郎の両腕を押さえな」

「え……」

「早くしな!」

「は、はいぃぃ!」

揺羅の怒号に弾かれて、蜜璃は杏寿郎の頭の傍に膝をつき、投げ出された両腕を押さえる。

その間に揺羅は、杏寿郎の胸に右手を置き、片手だけで胸骨圧迫を始めた。

触れたときに、肋骨が砕けているのが分かったため、それが肺や心臓に刺さらないよう、圧迫位置に気を遣う。

そして、左眼はじっと、大穴の開いた腹部を見下ろしていた。

胸骨圧迫の律動に合わせ、杏寿郎の身体に残った血が、傷口から噴き出る。

炭治郎は、一体何をしているんだと、青ざめていた。

すると……

「がっ、ぁぁああああ!!」

あろうことか、杏寿郎が叫び出し、暴れ始めた。

揺羅以外の三人は、固まる。

「蜜璃! ボーっとするな!」

「あ、はい!」

蜜璃は慌てて呼吸で腕力を上げ、怪物級の力で暴れる杏寿郎を、何とか押さえつける。

揺羅も、全体重に呼吸まで使って、杏寿郎の脚を押さえ込んでいた。

片時も視線を外さない左眼には、腹部の傷が瞬く間に塞がっていくのが見えている。

同時に、鬼の血が杏寿郎の身体を作り替えていく様子も、見えていた。

「ああっ、あああああ!!」

この治療は、原理は鬼化と同じだ。

ゆえに、相応の苦しみが襲う。

「……頑張れ、杏寿郎

心から漏れ出た一言を呟き、揺羅は自分の懐を探った。

自分の血から作った、血清の注射を、取り出して構える。

そして、鬼の血が致命的な奇形を引き起こす直前に、打ち込んだ。

「ああああっ、が、ぁ……っ」

まるで操り糸が切れた人形のように、杏寿郎が大人しくなる。

揺羅は杏寿郎の首筋に手を伸ばし、脈が触れるのを待った。

(戻っておいで。まだ、そっちに逝くのは早いよ、杏寿郎―――)

 
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