グラジオラス
□10,鬼の血
5ページ/5ページ
太陽が空高く昇った真昼間。
揺羅は、再び天元の背に乗せてもらい、屋敷まで運んでもらっていた。
容赦なく日の光が降り注いでいるが、直射日光さえ防げば、少しだるさを感じる程度で済む。
揺羅は今、お館様から頂いた、フードのついた外套を羽織っている。
産屋敷家が繋がりを持つ貿易商社から、試供品として貰ったものだそうだ。
天元の背中で揺られながら、揺羅は物珍しそうにフードをつまむ。
「西洋の羽織ってのは面白いね。これなら、笠と違って風の抵抗を受けないし、荷物にもならない。あたしの羽織も、この形に作り変えようかな」
どこか楽し気な揺羅に、天元はため息をついた。
「テメェは脳天気だな」
揺羅は笑みを崩さない。
「沈んでるよりマシだよ。本当はもう死んでいたと思えば、これ以上に怖いものはないからね」
「そうかよ。……テメェの継子、ありゃあ柱には向かねェんじゃねェか?」
「カナエのことかい?」
「あんな甘めェ奴じゃ、いざってときに判断を間違えるぞ」
揺羅は反論せず、苦笑した。
「あの子が何のために鬼狩りをしてるか、分かるかい?」
「ぁあ? 知るかよ」
「"人と鬼が仲良くできる世界を作るため"なんだよ」
「はぁ!?」
頓狂な声を上げる天元の心境を察し、揺羅も笑う。
「あははっ、正気の沙汰じゃないだろう? ……あの子はね、鬼も元は人だったからと憐れんでる。優しい子なんだよ」
「なら、何故鬼を斬る? 憐れんでるなら斬れねェだろ」
「今は人と鬼が分かち合える世界じゃないから、仕方なく斬ってるだけなんだ。人を襲うくらいなら死なせてやった方がいいって、信じてるんだよ」
「ふーん……」
「あの子は甘いわけじゃない。度を越して優しいだけさ。自分の長所が時には欠点になるってことも、よく分かってる。まだ至らないところもあるけど、柱になりたての頃は誰だってそうだろう? 実力は確かだから、すぐに立派な柱になるよ。……だから、あまりイジメないでやって?」
「……」
天元はそっぽを向き、フンと鼻を鳴らしていた。
それからしばらく走って、天元は揺羅の屋敷に辿り着いた。
中に入るまでもなく、胡蝶姉妹が居ることが分かる。
どうやら、まだ次の任務は来ていないようだ。
「ここでいいよ。降ろしてくれるかい?」
弟子たちに見られる前にと、揺羅が降りるべく身をよじると、天元はニヤリと笑みを浮かべ、ぐっと力を込めて阻止した。
「まァまァそう焦んなよ。ここまで来りゃ、家ン中も外も変わんねぇ」
「っ……アンタねぇ」
揺羅の表情が引きつった笑みに変わり、そのこめかみには、呼吸によって血管が怒張する。
"ドドッ"
揺羅は、天元の首から肩にかけてにあるツボを、親指で強打し、一瞬だけ腕の力を緩ませる。
その一瞬で後ろに飛び、くるりと宙で一回転して地面に降り立った。
天元は相変わらずニヤけている。
「あーあ、せっかく部屋まで運んでやろうと思ったのによォ」
揺羅は血管を浮かべたまま、笑みを作った。
「そういうのをありがた迷惑って言うんだよ。覚えときな」
天元を追い抜くように玄関まで歩き、引き戸を開ける。
"ガララ"
すると、屋敷の奥の方から、走ってくる足音が二つ聞こえてきた。
「「師範!」」
廊下を曲がり、揺羅の元まで駆け寄ってくる弟子たち。
二人とも、心配そうに眉根を下げていた。
揺羅は外套のフードを取り、いつも通りを装って微笑みかける。
「ただいま」
どうやら無事な様子に、二人は思わず飛びついた。
「うわぁぁん、しはぁぁん!」
「よかったぁぁ!」
「っ、とと……何を子供みたいに。タダでは死なないって言っただろう?」
いつもは何でもない二人の重さが、全身重症の今の揺羅にはキツイ。
揺羅は痛みを堪え、慰めるように、二人を抱き締めた。
何度か頭を撫でてやると、これ以上天元を付き合わせるのも気が引けるため、話を切り出す。
「帰って早々で悪いけど、すぐに薬の調合をしなくちゃならない。アンタたちにも話があるから、ついといで?」
軽く二人を引き剥がしつつ、薬品や治療器具の詰まっている自室へ歩き出す。
部屋までやってくると、天元の監視の下、万が一の時に自害するための薬を作り始めた。
様々な毒の粉を器の中で合わせながら、自分のこれからについて話す。
……聞くうちに、カナエの顔もしのぶの顔も、青ざめていった。
「柱を辞めて、引っ越して、鬼の研究に治療所の開設……?」
「それに、自害するための毒の調合って……」
揺羅は別の器に、あらゆる毒草を器に放り込んで、磨り潰して粉にしていく。
「そう不思議なことでもないだろう? ……あぁそうだ、この屋敷は、アンタたちと巴恵の三人で、自由に使っていいからね」
「「……」」
淡白に放たれた言葉に、胡蝶姉妹は一度押し黙った。
そして、互いに目を見合わせてから、真剣な眼差しを揺羅に向ける。
「でしたら私たちも、その"花屋敷"というところへ移ります」
「巴恵さんも絶対に、同じことを言うはずです」
思わず、揺羅は手を止めた。
「……何を言ってるか、分かってるのかい?」
呟くような問いかけに、二人は迷わず頷く。
揺羅は毒薬の調合を再開しながら、ため息をついた。
「あたしはいつ鬼になるか分からない。そんな奴と一緒に住んでたら、いつ食われるか分かったもんじゃないんだよ?」
すると、間髪入れずカナエが宣言する。
「そのときは、私が師範の首を斬ります」
再び、揺羅の手が止まった。
横目に見やれば、カナエは真っ直ぐにこちらを見つめている。
「こんなことを言っても言い訳にしかなりませんが、一昨晩は、まだ出来ることがあるのではという思いを消せず、音柱様も来て下さったことで、淡い期待に身を委ねてしまいました。……けれど、あのとき首を斬ることを躊躇ったから、師範はまだ生きています。あの晩は、寧ろ斬らなくて良かったと本当に思っています。……ですが、出来る限りの対策を講じた上で、それでもどうにもならないのであれば、今度は決して迷いません」
その表情に、揺羅はもちろん、天元も思うところがあった。
意外にいい顔すんじゃねェか、と天元は目を閉じ、フンと鼻を鳴らす。
揺羅はというと、数秒、カナエの顔を見つめた挙句、ため息をついた。
そして、苦笑する。
「……まったく、頑固だね」
遠回しに許しを貰えて、カナエとしのぶは笑みを浮かべた。
「これも師範の教えの賜物ですから」
「勝手に一人になろうとするなんて、許しません」
いたずらが成功したときのような、無邪気な笑顔。
これ以上見ていたら、涙が滲んでしまいそうで、揺羅は擂鉢に視線を落とした。
……もはや、人と呼べない身体になってしまったのに。
いつ、鬼になって食いかかるかも分からないのに。
こんな危険な化け物の傍に居ようとしてくれる。
まだ、暖かい四人の日々が続くことに、揺羅は泣きたくなるほどの嬉しさを感じた。
→ 第二章:11,蝶屋敷