グラジオラス

□10,鬼の血
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夕方。

鬼殺隊本部から、天元の元へ、鎹鴉(かすがいがらす)が戻ってきた。

案の定、一度本部へ帰投するようにと命令が下る。

その指令を聞くや否や、揺羅も天元も即座に身支度をして、宿を出た。

それから、わずか三秒後……

「……あの、もしもし、天元サン?」

揺羅は引きつった表情で天元の名を呼んだ。

「あ?」

「いやいや、『あ?』じゃないよ。降ろしてくれる?」

今、揺羅は目にも留まらぬ速さで、鬼殺隊本部がある方角へと移動していた。

しかし、自分で走っているわけではない。

揺羅を背負った天元が走っているのだ。

「腕も足も折れてんだろ? こうした方が(はえ)え。……大人しく黙るか寝てろ。舌噛むぞ」

「……」

確かに全身骨折してはいるが、呼吸で筋力を上げれば、走ることも闘うことも出来る。

……心配、してくれているのだろうか。

筋力を上げることに呼吸を集中させれば、今は均衡が保たれている身体も、急変するかもしれない。

「……」

揺羅は黙って、天元の大きな背中に身を預けた。

「……アンタ、女に好かれそうだね。顔もいいし」

「まぁな。……つっても、今以上に嫁は要らねぇわ」

「へぇ、嫁が居るんだ」

「あぁ。三人ほどな」

「……。……いつか男に刺されるね……」

「聴こえてんぞ」

「本当のことだろう」

ゆるい雑談の間も、二人は五感を最大限に研ぎ澄ませている。

そうして鬼舞辻の再来に備えながら、鬼殺隊本部への長い道のりを進んだ。






三日月が照らす、宵闇。

広大な敷地面積を持つ鬼殺隊本部で、産屋敷耀哉は、縁側でひとり、月を見上げていた。

……何かが動き始めている。

今まで錆びついていた歯車が、少しずつ……

産屋敷の血が教えているのか、それとも単なる勘なのか。

不思議な高揚感で、今夜は眠れそうにない。


……そうして。

様々な思いや考えを巡らすうちに、本当に一睡もせず、夜が明けてしまった。

まだ朝日の昇らない、早朝の澄んだ空気の中を、鴉が一羽、横切る。

「カァァ! 到着! 到着! 酒柱、音柱、鬼殺隊本部ニ、到着!」

その知らせが、一晩中興奮していた耀哉を、さらに舞い上がらせた。

次の瞬間、目の前の庭に、スッと人影が二つ現れる。

二人は既に片膝をついて頭を下げていた。

耀哉は心底嬉しそうに、笑みを浮かべる。

「よく、無事に戻ったね。揺羅、天元」

労いの言葉をかけられ、二人はそっと顔を上げた。

先に揺羅が口火を切る。

「危険を承知で、鬼舞辻に狙われるやもしれぬ私を本部に招くなど、並々ならぬご覚悟の上と、心より敬服致します」

耀哉はゆっくりと、首を横に振った。

「それは私の台詞だよ。わざと一晩おいて、日が昇る時間に合わせてここに来てくれたんだね。優しい剣士(こども)たちに恵まれて、私は幸せ者だ」

「……勿体ないお言葉」

耀哉は、左半分が黒く変わってしまった揺羅の顔を見つめる。

「体調は、大丈夫なのかな?」

揺羅は笑みを浮かべて頷いた。

「はい。今のところ均衡は保たれています」

「そうか、良かった。……早速で申し訳ないけれど、鬼舞辻と接触したときのことを話してくれるかな?」

「はい、勿論でございます。……ですがその前に、日の当たらない場所に移らせて頂けないでしょうか。焼けることはありませんが、喋ることは困難になりますので」

「それはいけないね。すぐに場所を移そう」






徐々に日が昇る、朝焼けの中。

揺羅と天元は屋敷の中へ入った。

廊下をしばらく歩いて、柱合会議で使っている座敷に通される。

その道のりで、天元は、あまねや五つ子の音が聞こえないことに気づき、やはり別邸へ移らせたか、と、耀哉の心中(しんちゅう)を想った。

座敷に入ると、耀哉を前に、揺羅と天元は並んで正座する。

「……さて、聞かせてくれるかな?」

揺羅は頷き、全てを語った。


「―――と、判断し、こちらへ参りました」

「そうか……。本当によくやってくれたね、揺羅。鬼舞辻に関してこれほど多くのことが分かったのは、おそらく鬼殺隊始まって以来の快挙だ」

「勿体ないお言葉、恐縮にございます」

「天元も、揺羅を死なせず、ここまで連れてきてくれてありがとう」

「いいえ、自分は何も」

「ふふ……君たち柱は、身体の大部分が謙遜で出来ているのかな」

冗談交じりにそう言って、一度場を和ませると、耀哉は再び、揺羅に視線を向けた。

「揺羅、君が自分の身体を使って、鬼の研究をしたい気持ちはよく分かる。私も、出来る限り応援したい。……けれど、君は危険な存在になってしまった。いつ、完全な鬼になるとも知れない。柱である君が鬼になったときのことを考えると、今回のように、別の柱をつきっきりでつけなくちゃならない。けれど、それは現実的ではない。……君のことだから、全て分かった上で、何かしらの策を考えていると思う。それを聞かせてくれるかな?」

揺羅は、背筋を伸ばして答えた。

「まず、本日この時を以って、柱を引退させて頂きます」

そう宣言し、深く頭を下げる。

隣に座っている天元は、表情を変えず、まぁそうだよな、と心の中で呟いた。

別の柱の監視がなければ任務に出られない柱など、もはや柱としての存在意義を失っている。

揺羅は顔を上げると、耀哉の目を真っ直ぐに見つめた。

「今後は、初代花柱が使用していた屋敷に、住まいを移そうと考えております」

耀哉は、何かを思い出すように遠い目をする。

「初代花柱……というと、"花屋敷"かな?」

「はい」

明治時代、鬼殺隊に女性剣士が入隊するようになった頃、水の呼吸の派生として、花の呼吸が生み出された。

その呼吸を極め、柱となった女性剣士は、1人で住むにはあまりにも大きな屋敷を建て、多くの継子を迎え入れた。

その背景には、男性より力の劣る女性剣士たちに、女性向けに編み出した花の呼吸を身につけ、少しでも長生きしてほしいという願いがあったそうだ。

多くの女性剣士が過ごしたその屋敷には、季節ごとに多くの花が咲き乱れ、"花屋敷"と呼ばれていた。

「その花屋敷で、鬼の研究をすると同時に、鬼殺隊士の治療も行いたいと考えているのです」

耀哉は、その手があったか、と言いたげな顔をする。

「なるほど。これまで、怪我の治療は個人や藤の花の家の裁量に任せていた。そのせいで命を落とした隊士は、数知れない。それに、血鬼術による負傷は、一般の医者では治せないからね。揺羅が治療所を作ってくれるなら、隊士たちの生存率も格段に上がる。……けれど、根本的な、君自身の危険性は解決できていない」

揺羅は怯むことなく、寧ろ薄く笑みを浮かべて、自信を持って宣言した。

「毒を作ります。私を殺すための毒を」

耀哉の目が、少し細くなる。

「私が、自分で自分のことを制御できなくなると判断した際には、すぐに服毒し自害致します」

きっぱり宣言すると、耀哉は眉根を下げた。

「……そうか。……すまないね」

揺羅は薄く笑みを浮かべ、首を横に振る。

「元々、一昨晩で死んだはずの命です。こうして生きていられるだけでも奇跡ですから、再び死ぬことになったとしても、悔いることはありません」

どこか諦めのように聞こえるその言葉に、耀哉は、諭すような言葉を返した。

「それでも、自害は最後の手段だということを、肝に銘じておいてくれるかな」

「……はい」

そこで、ふと、耀哉は何かを思い出すように、視線を左上に逸らす。

「確か花屋敷は、先代の花柱が亡くなってから、ずっと空き家になっているね」

「はい。当時の継子たちは、誰も柱になることが出来なかったので。……花の呼吸そのものも、三年前に一度途絶えました」

「……そうか。"彼女"が最後の一人だったね」

「はい」

耀哉と揺羅が何のことを話しているのか、天元には分らない。

揺羅は、視線を伏せ、懐かしむような笑みを浮かべた。

「屋敷の鍵は預かっております。三年前まで、彼女が定期的に手入れをしてくれていたので、そう荒れてはいないでしょう」

「そうだね。……それでも、古い建物だ。手入れが必要なら遠慮なく言いなさい。こちらで手配しよう」

「ありがとうございます」

「天元、揺羅が自分の毒を作るまでは、傍についていてくれるかな?」

天元は迷いなく頭を下げる。

「御意」

切れのある返事に小さく頷き返した耀哉は、再び揺羅に目を向けた。

「最後に、揺羅、君の後継(こうけい)のことだけれど」

揺羅は、耀哉の眼差しが言わんとしていることを察し、自信を持った笑みを向ける。

「私は、もう十分に器だと感じています。分裂した片割れとはいえ、下弦の壱の首を難なく斬り落としておりましたので」

「そうか。……では、後で本人に訊いてみるとしよう」

話の内容から、天元は、酒柱が抜けた穴に、揺羅の継子を据えるつもりなのだと察した。

蝶の飾りをつけた、長い黒髪の少女を思い出す。

その思考を断ち切るように、耀哉の言葉が響いた。

「さて。大変な思いをした直後に、ここまで来てもらって悪かったね」

揺羅と宇髄は、揃って頭を下げる。

「「滅相もございません」」

「今後も、君たちの活躍を期待するよ。今日はご苦労様」

早朝より始まった、小さな会議。

終わる頃には、すっかり日が昇っていた。

 
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