グラジオラス

□10,鬼の血
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それから。

揺羅が放った鎹鴉は、産屋敷耀哉の元へ飛んだ。

耀哉は、手短な報告を聞くと、嬉しそうな顔をする。

「……そうか、鬼舞辻と接触したか。……此方(こちら)のことは何も心配しなくていいから、一度本部へ来るよう伝えてくれるかい?」

鴉に伝言を頼むと、再び昼の空へと放った。

「……」

青空が、いつもより澄んで見える。

鬼舞辻の尻尾が見えた嬉しさゆえか。

……先ほど、揺羅が寄越した鴉は、こう告げた。

酒柱・箕舞揺羅は、鬼舞辻と接触後、血を注がれ鬼となりかけたが、鬼化は身体の一部のみで止まった。

今はまだ人としての意識を保てており、万が一のために音柱・宇髄天元が傍についている。

鬼と人の混じり者は、おそらくこの世界でただ一人。

この身体を使って鬼の研究を続ければ、鬼舞辻を倒す手掛かりが見つかるかもしれないが、お館様はどう思われるか、と、判断を仰いできたのだ。

さらに追伸として、鬼舞辻は血を通して鬼を監視している可能性が高いため、本部には戻れないと断っていた。

「……全く。優しい子ばかりだね、私の剣士(こども)たちは」

耀哉はすぐさま、妻のあまねを呼んだ。

やって来たあまねに、いつも通りの穏やかな声色で、揺羅のことを話す。

「……私は、彼女を本部に呼び、直接話をしたいと思う。もしかしたら、それを狙って鬼舞辻がここへ来るかもしれない。……子供たちを、頼めるね?」

あまねは、ほんの少し、瞳に悲痛の色を浮かべたが、努めて冷静に答えた。

「……はい」

まだ二歳にも満たない、五人の我が子たち。

その中に一人、世継ぎの男の子がいる。

その子だけは何としても守らなくてはならない。

あまねはすぐに支度をして、子供たちと共に別邸へ向かった。







鬼殺隊本部へ鴉を行かせたあと、揺羅は天元の監視の下、近くの宿屋に身を寄せていた。

カナエとしのぶは一緒に来たが、巴恵は後始末のため、他の隠たちと森に残っている。

「しのぶ、肋骨の固定を頼める?」

「はい」

借りた宿屋の一室で、揺羅はしのぶに、折れた自分の肋骨を固定させようとしていた。

カナエは部屋の隅で心配そうな顔をしており、天元は万が一のため、庭に面した障子戸の外で待機している。

「……それじゃ、一気にいきますね」

「うん」

揺羅の胴体に回した固定用の包帯を、しのぶはぐっと締め上げた。

「……っ」

ズレかけていた骨が矯正され、激痛が身を奔る。

それでも、揺羅は全集中の呼吸を保った。

肋骨の位置が正常に戻ったところで、しのぶは包帯をしっかりと結び、固定する。

「……ありがとね、しのぶ」

吐息を漏らすように礼を言って、揺羅は隊服を着直す。

しのぶが慌てて揺羅の肩に手をかけた。

「ちょ、腕と脚の骨折がまだ固定できてません! それに、切り傷や打撲も治療しないと……」

揺羅は首を横に振り、身支度を整えつつ立ち上がる。

「それは屋敷に帰った後でいい」

今、四肢を固定してしまうと、まともに動けなくなってしまうから。

「帰った後って……この後どこかへ行くんですか?」

そこに、カナエも寄ってきた。

「さっき、鎹鴉をどこかへ飛ばしていましたけど、それと関係が?」

揺羅は、二人と目を合わせずに、隊服のボタンをとめていく。

「……カナエ、しのぶ、アンタたちは先に帰りな」

問いに答えてくれない揺羅に、二人は悲しそうな目を向けた。

「私たちには話せないんですか?」

「そんなに信用がありませんか?」

揺羅は、やれやれ、といった顔つきで二人の目を見る。

そして、ポン、ポン、と、二人の頭を右手で順に叩いた。

「ちゃんと信用してるよ。ただ、手が足りてるってだけの話。……ここでこうしてる間にも、鬼は人を襲う算段を立ててる。アンタたちがすべきことは、あたしの心配よりも、鬼を斬ること。そうだろう?」

「「……」」

カナエもしのぶも、反論できずにうつむく。

揺羅はフッと笑った。

「心配しなくても、天元に首を斬らせるのは最後の手段。生きることを諦めはしない。せっかく身体の一部に鬼を宿すことが出来たんだから、活用する前に、タダでは死なないよ」

そう言って、おもむろに持ち上げた左手は、自分のものとは思えない様相なのに、自分の意思に従って動いている。

「さぁ、アンタたちは屋敷に戻って、少しでも休みな。鬼は待ってくれないんだからね」

「「……。……はい」」

カナエとしのぶは、歯痒い思いで俯いて、(きびす)を返した。

部屋を出て、宿の出入口へと歩いていく。

「……」

遠ざかる二人の足音を聞きながら、揺羅は力が抜けたように、その場に座り込んだ。

体中が痛くて堪らない。

弟子たちの前では気を張っていたが、本当はとっくに限界を超えていた。

ほんの数分とはいえ、鬼舞辻と()り合ったのだから、当然だ。

「夜には動けるか? 酒柱」

障子戸越しに響いた、天元の声。

揺羅は余裕を装って答えた。

「当然」

呼吸を駆使すれば、骨をくっつけることは出来なくても、動ける程度には回復するだろう。

逆に言えば、せめて夜までは休ませてほしいというのが、揺羅の本音だ。

青空を見上げた天元は、夜まで暇だな、と思いながら、暇つぶしに話を振った。

「しっかし、お前ンとこの継子、甘く育てすぎじゃねェか?」

呆れたような声に、揺羅は畳の上に横になりながら答える。

(しのび)と比べられちゃ困るよ。……あたしはあの子らに、人間のままで居て欲しいんだから」

「そりゃ、俺が人間じゃねぇと、地味に喧嘩吹っ掛けてんのか?」

「あははっ、まさか。アンタは守りたいものが見つかったんだろう? 忍を辞めるってのは、そういうことだ」

「……」

「己を殺し、全てを切り捨て、仲間すら踏み越えて任務をこなす。……そんなの、人間の生き方じゃないよ」

「……フン」

揺羅は寝ころんだまま、ずっと閉じていた左眼を、ゆっくり開いた。

左側の視界が、赤黒い妙な世界に変わる。

揺羅がここに来るまで左眼を閉じていた理由は、右と左で見える世界が全く違い、慣れるまでは左眼を開くべきでないと判断したからだ。

鬼は皆、常にこんな世界を見ているのだろうかと、不思議に思いつつ、腕を持ち上げて視界に入れてみる。

すると、腕の表皮が()け、血の巡りや筋肉が見えてきた。

さらに見続けていると、最後には骨まで見える。

瞬きをすると、視界はリセットされ、再び腕の表皮が()けるところから始まり、徐々に血管、筋肉、骨へと、見える深度が変わっていった。

(……この見え方は、鬼に元から備わっているものとは考えにくい。どちらかといえば、血鬼術の類に近そうだね……)

……そんなことを考えていると、左眼の視界がぐらりと歪み、目を開けていられなくなった。

「……っ」

もしかしたら、完全な鬼の身体ではない分、この血鬼術じみた力を使うには、相応の負担がかかるのかもしれない。

……そうして、揺羅が何かしているのを音で察している天元は、変わらず障子戸越しに話を続ける。

「んで? この後どうする気だ?」

「ん〜?」

「お館様のことだ。十中八九、ご自分の危険は顧みず、お前に一度本部へ来いと仰るだろう」

「そうだろうね」

「本気で行くつもりか?」

揺羅は、今度は刀を抜き、試しに左腕を浅く斬ってみた。

しかし、傷はすぐに癒える。

「行くよ。……ただし、到着予定時刻は、明日の朝以降にする」

それを聞き、天元は僅かに目を細めた。

「……来ると思うか?」

「どうだかね。随分と慎重そうな奴だったから」

鬼舞辻と対峙したとき、その口ぶりから、鬼舞辻は配下の鬼たちの動向を把握していることが分かった。

もし、どれだけ離れていても、配下の鬼の位置が分かるのであれば、揺羅がまだ生きていることも掴んでいる可能性がある。

そして、昨晩わざわざ姿を晒してまで殺しに来た危険因子を、あの慎重な性格の奴が放っておけるわけがない。

揺羅の生存が確認できているならば、今晩、鬼舞辻か上弦の鬼が、もう一度殺しに来るはずだ。

逆に言えば、今夜襲ってこないのなら、鬼舞辻には揺羅の生存は確認できないか、泳がせているということになる。

鬼殺隊本部の場所を知るために泳がされていたとしたら、それはどうしようもない。

だが、その程度のことに、お館様が気づかないはずもない。

お館様は、全てを承知の上で、揺羅を本部に招こうとするだろう。

ならば、揺羅が自分の判断だけで断るべきではない。

「ごめんね。もしかしたらアンタは今夜、あたしと心中することになるかもしれない」

昨晩、鬼舞辻と対峙した感覚からすると、柱二人では、どう足掻いても仕留めきれない。

他の柱たちを招集したところで、今晩までに合流することは難しいだろう。

今晩、鬼舞辻が来てしまえば……

飄々とした言葉の裏に、申し訳ないという感情を聞き取って、天元は盛大にため息をついた。

「今さら何言ってんだテメェは。ンなモンにビビるくれェなら、柱なんざやってねぇよ」

揺羅は、何度斬りつけても立ちどころに治ってしまう自分の左腕を見て、笑った。

「あははっ、それもそうか」

 
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