グラジオラス
□10,鬼の血
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直射日光が当たらなくなると、揺羅は気分が楽になるのを感じた。
天元は手近な樹の根元に、揺羅を座らせる。
「どうだ、少しは楽か」
揺羅は長く息をつき、頷いた。
「驚いたよ。天上天下唯我独尊を地で行くアンタに、こんな一面があったなんて」
「ぁあ? この俺様だぞ、派手に当然だ。……ま、情報聞く前にくたばられちゃ、地味に面倒だしな」
照れ隠しのつもりか、補足するように呟くと、情報の続きを促す。
「オラ、さっさと吐きやがれ」
揺羅はフッと苦笑し、呼吸を保ちながら情報を伝えた。
「鬼舞辻の外見は、二十代くらいの若い男だった。黒髪に、赤い瞳だよ。……おそらく、今回姿を現したのは、鬼にとって毒となる血を持つ、あたしを殺すため。あたしが下弦の壱を相手してる間、ずっとあたしを観察してたんだろうけど、気配は感じなかった。実際に対峙しても、奴の気配は鬼というより人に近かったよ」
天元はもちろん、カナエたち三人も、黙って話を聞いている。
その間にも、揺羅の鬼化はじわじわと進み、顔の左側は完全に黒く変色した。
髪も、左側だけ白く変わり始める。
左眼に至っては、白目は紅く、瞳は碧灰色に変わった。
「……」
話の途中で、揺羅は顔を顰めて左眼だけを閉じる。
しのぶが心配そうに首を傾げた。
「……師範?」
揺羅は薄く笑みを浮かべ、大丈夫、と首を横に振り、続きを話し始める。
「さすがに、千年近くも存在してるだけあって、鬼舞辻は鬼としても別格だった。柱が束になってかかったところで、仕留められるか分からない。……それから、残念なことに、鬼舞辻は首を斬っても死なないよ」
その言葉に、カナエたち三人は目を見開いた。
しかし、天元は眉一つ動かさない。
「けど、朗報もある。首を斬っても死なない代わりに、日光も、あたしの血も有効だった。あたしが今回、鬼舞辻と遭遇しても生き残れたのは、あたしが鬼舞辻にも効く毒を持っていたこと、鬼舞辻が武器を持っていなかったこと、そして、夜明けが近かったことの、三つの幸運が重なったから。これからは、鬼の毒の研究が重要になる。……しのぶ、頼んだよ?」
視線を向けられて、しのぶは眉根を下げながらも、強く頷いた。
揺羅は薄く笑みを浮かべて頷き返し、視線を天元に移す。
「それから、対峙した下弦の壱から、上弦と思しき鬼の情報も引き出せた。下弦の壱は元は遊女で、東京府のどこかの花街から来たらしい。鬼殺隊員を狩ることで、柱を誘き出して、その首を手土産に、鬼舞辻から血を貰うと話していた。そうして、自分より格上の鬼に成り代わろうとしていたみたいだよ。奴の口振りからすると、東京府のどこかの花街に、遊女に扮した上弦の鬼が潜んでるんだろうね」
天元が目を細めた。
「東京府の花街か……地味に数が多いな」
とはいえ、今まで上弦の鬼に関する情報は、全くと言っていいほど挙がっていない。
それに比べれば、明らかな前進だ。
揺羅は、フッと息をついた。
「あたしの持つ情報は、これで全部だよ。何か訊きたいことはあるかい?」
間髪入れず、天元が問う。
「鬼舞辻に、お前の毒はどの程度効いた」
揺羅は苦し気に、目を閉じた。
「量にもよる。血が触れればすぐに腐敗は確認できた。……けど、腐敗した先からすぐ切り離されてね、腐り殺せるかどうかは分からず仕舞い」
「そうか。……お前の血の分析、このチビは引き継げるのか?」
"チビ"と言われ、しのぶは少しムッとする。
その様子をチラリと見て、揺羅は笑いそうになりながら頷いた。
「大丈夫。あたしの血清を持たせてあるし、自分なりに分析も進めてるから。きっと数年のうちに、あたしの血と同等の効力を持つ毒を作れるよ」
「ふーん」
「……他は、何かある?」
「いいや」
「そう。……じゃあ、お願い」
「あぁ」
天元は背中の武器に手をかけた。
カナエとしのぶが、咄嗟に天元の腕にしがみつく。
「「待ってください!」」
天元は眉間にしわを寄せ、目を細めた。
「しつけーぞ」
「ですが、師範はまだっ……」
「せめて完全な鬼になってしまうまでは……」
「テメェら、自分たちの師匠を最期まで苦しめてェのか」
「「!」」
二人はそれ以上言葉を続けられず、俯く。
それでも、天元の腕を掴んだまま、離さなかった。
それを見ていた揺羅は、苦笑してため息をつく。
「まったく……弟子にそんな顔されたら、後ろ髪引かれるよ」
胡蝶姉妹はパッと顔を上げた。
揺羅は二人に微笑んでから、天元の顔を見上げる。
「アンタには手間をかけるけど、あたしが完全な鬼になるまで、少しだけ待ってくれない?」
「ぁあ? テメェまで何を未練がましいこと言ってんだ」
「いいだろう? ……後生の頼みなんだから」
「……」
本当の意味での"後生の頼み"に、さすがの天元も言い返せなかった。
「……少しでも危ねぇと感じたら、そんときは容赦しねぇぞ」
「ん、それでいい。ありがとう」
天元は小さくため息をつくと、立ち上がり、離れていった。
揺羅たち四人で、最期の時を過ごさせてやろうと思ったのだ。
途端、カナエとしのぶが触れるほど近くに寄る。
巴恵も、なるべく傍まで寄った。
「「師範っ」」
「揺羅さん……」
その泣きそうな顔を見渡して、揺羅は穏やかに笑みを浮かべる。
「近くに居てもいいけど、すぐ飛び退けるように、身構えておきな?」
「「はいっ」」
「心得ています」
……それから。
四人は、他愛もない話をした。
まるで、四人で夕餉を囲むときのように。
一分、五分、十分、三十分……
穏やかに、しかし確実に、時間は過ぎた。
そして、揺羅の様子をじっと注視していたしのぶが、雑談の合間に零す。
「……あの、進行止まってませんか?」
カナエと巴恵は、え、と固まった。
揺羅はゆっくりと自分の左側を見下ろし、完全に鬼と化した黒い手を、握ったり開いたりする。
「……確かに」
身の内を虫が這い回るような気持ち悪さが、綺麗に消えている。
ずっと毒の巡りを遅らせる呼吸を使っていたが、今はいつも通り、全集中常中を行っているだけだ。
推測の域を出ないが、鬼舞辻の血と自分の血が、上手いこと均衡状態を保っているのかもしれない。
「……」
揺羅は自分の手を見下ろし、考えた。
「師範?」
黙り込んだ揺羅を、カナエが眉根を下げて呼んだ。
揺羅はそれに答えることなく、真剣な眼差しを、少し離れた樹へと向ける。
「天元、相談があるんだけど」
すぐ傍の人間に話しかける程度の声量だったが、しっかり聞こえていたようで、天元は樹の陰から姿を現した。
その手には、鎹鴉が留まっている。
「奇遇だな。俺も提案したいことがある」
視線を合わせた二人は、何かを企むように笑みを浮かべた。
天元が軽く腕を振ると、留まっていた鎹鴉が揺羅の元へ飛んでくる。
揺羅はそれを腕に留まらせると、立ち上がった。
カナエも慌てて立ち上がる。
「動いて大丈夫なんですか!?」
揺羅は空いた手を、ポンとカナエの頭に乗せた。
「大丈夫だよ。今のところはね」
全集中の呼吸さえ途切れさせなければ、何も問題はない。
毒の巡りを遅らせる呼吸では辛いが、全集中常中程度なら、肋骨の半数が折れていても容易い。
揺羅は鎹鴉に何事かを伝えると、空へ向けて放った。
そして、天元へと視線を向ける。
「それじゃ、手間をかけるけど、しばらくお願いね?」
「フン、仕方ねぇ。派手に感謝しやがれ?」
ニッと口角を上げて見せる天元に、揺羅もフッと笑みを返した。