グラジオラス
□4,酒の呼吸
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数か月後。
「カァァ! 十二鬼月! 十二鬼月! 下弦ノ陸出現! カァァ! 八名、死亡! 死亡!」
鬼殺隊本部に、一羽の鎹鴉が舞い込んだ。
……つい最近、村はずれのとある庄屋の屋敷が、化け物屋敷になったという噂が広がり、十名余りの鬼殺隊士が派遣された。
舞い込んできた鴉は、その十余名のうちの誰かの鴉だ。
縁側に腰掛け、鎹鴉を指に留まらせた耀哉は、悲痛に眉根を下げる。
「……また、私の剣士たちが大勢いなくなってしまった……。行ってくれるね? 行冥、揺羅」
いつの間にか、人影が二つ、耀哉の目の前の庭に、膝をついていた。
二人はスっと顔を上げ、頷く。
「「御意」」
そして、風音一つ立てることなく、その場から消えていった。
満月が照らす夜半。
揺羅は、岩柱・悲鳴嶼行冥と共に、北豊島郡の方角へと走っていく。
「いや〜、何かと一緒になるねぇ行冥さん」
緩みきった顔で話しかける揺羅だが、行冥は眉一つ動かさない。
「全てはお館様の思し召し」
「んー……相変わらずお堅いねぇ……」
行冥は、揺羅が柱になる少し前に柱になった。
年齢は揺羅の一つ上でも、同期のようなもので、任務も一緒になることが多い。
道の先から感じる気配に、行冥が呟くように言った。
「……どうやら、雑魚も多く集まっているようだな」
揺羅は横目にチラリと行冥を見て、呆れたようにため息をつく。
「屋敷はまだ見えてないよ?」
「屋敷ではない。その手前の村だ」
「んー……村も見えてないんだけどねぇ……」
やはりこの男は、歴代の柱の中でも頭一つ抜けているなと、揺羅は思っていた。
戦闘力は勿論、盲目ゆえか、鬼の気配を察する力も抜きん出ている。
二人は近道するため、森の中を常人ならざる速度でひた走った。
やがて、屋敷に向かう途中にある村が近づいてくると、行冥が感じた鬼の気配を、揺羅も感じ始めた。
「十、二十……数えきれないね。鬼は群れないって聞いてたけど」
「十二鬼月に、常識は通用せん。血鬼術により他の鬼を操る者も居る」
「それもそっか。何らかの目的で、雑魚鬼を集めたのかもしれない」
どちらにせよ、気は抜けない。
「先ずは村の鬼共を祓って往く。良いな」
「は〜い」
二人はさらに走る速度を上げ、村へと踏み込んだ。
「二人はそこに居なさい! 絶対に外に出ては駄目よ、いいわね!」
「「母さん!」」
―――村の一角にある、薬屋。
一人の母親が、娘二人を屋敷の部屋に留め、自分は外へ出た。
得体の知れない化け物に立ち向かった、夫の元へ向かうために。
「あなた!」
走り出てみると、満月の下、道には大きな血溜まりが出来ていた。
「ひ……っ」
倒れ伏した夫、そして、その腕を齧っている化け物。
「ぐふふ、ふふっ……ぁあ?」
グルンと、化け物の目がこちらを見た。
「ひゃははははははっ!!」
彼女は動けなかった。
動けないまま、鬼に食いつかれた。
皮膚が裂け、骨が砕け、血が吹き出す。
そんな気味の悪い音を、胡蝶カナエと胡蝶しのぶは、部屋の中で聞いていた。
「……父さん……母さん……っ」
「……ひっく……ひぐっ……」
音で分かる。
二人は死んでしまった。
「くひひっ……する、するぅ、にんげんのにおい、においぃぃ……」
近づいてくる声。
二人はヒクっと肩を揺らした。
カナエが、声を上げそうになった妹の口を塞ぎ、守るように強く抱き締める。
「くひひっ……ひひっ……」
ヒタヒタと迫る足音、不気味な笑い声、気がおかしくなりそうなほどの恐怖。
二人は、物音を立てないように細心の注意を払いながら、床の間へ上がり、抱き合って身を縮めた。
やがて、部屋の障子戸に影が差す。
異形の混じった人型と、その手に引きずられている人影。
「ひひっ、みつけたぁ! おんなだ、おんなのこどもだ、ふたりだ、ふたりもいるぅ!」
"ヒュッ――――――バキャァッ!"
障子戸が、腕の一振りで吹き飛んだ。
カナエとしのぶは、カタカタと震えながら、入ってきた化け物を見る。
その手は、母親の亡骸の髪を掴んで引きずっていた。
これ以上ないほど気味の悪い笑顔を浮かべ、鬼は母親をその場に落とす。
そして腕を振り上げ、二人の頭上へと振り下ろした。
「ひひっ、いただきまぁ―――
"ドゴォッ!"
化け物の腕が、二人の頭を掠める寸前。
屋敷の壁が壊れ、化け物が吹き飛んだ。
一瞬前まで化け物がいたところに、巨躯の男が現れる。
カナエとしのぶは、現状を認識できず、ただそこで固まっていた。
現れた男・悲鳴嶼行冥は、子供の気配を感じて涙を流す。
「あぁ……なんと哀れな」
そこに、遅れて揺羅もやって来た。
「あ、行冥さん。助かったよ。ここには間に合いそうになかったから。……ったく、あれだけ斬ってもまだ鬼の気配がするし、これじゃキリがない……」
揺羅はため息混じりに、村に蔓延る鬼の気配を探りながら、血に濡れた刀を一振りして、血を払った。
そして、何も答えず静止したままの行冥を不思議に思い、そちらへ向く。
「行冥さん?」
訊くと、行冥の額に血管が浮き出た。
「……箕舞、後を頼む。十二鬼月が移動を始めた」
"シュッ―――"
行冥は、消えた。
カナエとしのぶには、そう見えた。
けれど、揺羅には、行冥が本来の目的地である庄屋の屋敷へと駆け出したのが、見えていた。
「あんだけ離れた屋敷の鬼の気配が分かるなんて、どういう知覚してんだか……」
瞬く間に遠くなっていく行冥の気配に、小さくため息をついてから、あぁ、と納得する。
(……雑魚鬼共は揺動か。確実に多くの人間を食らって逃げるために、鬼殺隊に嗅ぎつけられたところで、あたしら柱の足止めに、雑魚をこの村に放ったってわけだ……下衆め)
行冥さんに滅多打ちにされてしまえ。
そんなことを思いながら、揺羅は薄く笑みを浮かべて、床の間で震えている二人を見た。
「ここにはもう、鬼は来ないからね。でも、外にはまだ鬼がいる。もう少しだけ、家の中で待ってな。いいね?」
本当は二人についていてやりたいが、まだまだ村には鬼が蔓延っている。
揺羅は次の雑魚鬼を狩るべく、その場から消えた。
―――しん、と静まり返った家の中。
カナエとしのぶは、震えながらも、やっとの思いで床の間から降りた。
「……かあ、さん……」
半ば放心状態で、二人は母の亡骸に縋る。
「母さん…………母さんっ」
涙を流し、俯くしのぶ。
カナエも、大粒の涙を流しながら、しのぶの肩を引き寄せた。
(どうして、こんなことに……)
ほんの数刻前まで、四人で楽しく夕餉を食べていたのに。
『自分よりも他の人を助けなさい』
『たくさんの人を笑顔にしなさい』
……そう、笑顔で言っていた両親。
何故、あんなにも優しい両親が殺されなくてはならなかったのだろう。
カナエは、さらなる涙が溢れてくるのを感じながら、妹を抱き締めた。