アゲラタム

□第二巻
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同じ頃、極楽満月では。

「はい、桃太郎さん。すりつぶした牛頭さんの角なのです。ひと匙いれてください」

「あ、はい!」

「つぎは、天国の雲を一カケラです」

「うわぁ……綺麗ですねぇ」

雲が入った途端、鍋の汁が透明になり、具材の一つ一つが光を帯びた。

完成した鍋を、白澤が覗き込む。

「うん、上手に出来たね、薬膳鍋。美味しく食べて医食同源だ」

「"最後に天国の雲を一カケラ"、と……」

桃太郎は丁寧に最後までメモを取った。

それを微笑ましく見つめてから、薺は使用済みの器を兎たちと一緒に片付け始める。

兎たちに器の運搬を任せて、薺は洗い場に立った。

そして水道の栓をひねろうとしたところ……




"―――ドクン"



「……っ」




心臓が激しく脈打ち、ゾクリと身の毛がよだった。

それが何なのかは分かっている。

ぐらりと視界が揺れ、薺はその場に座り込んだ。


"ドサッ…"


「「?」」


何の音だろう、と白澤と桃太郎が一緒に振り返る。

「え、薺さん……?」

水道の前にぺたりと座り込み、荒い呼吸に肩を上下させている薺。

桃太郎は戸惑うが、白澤は思い当たる節があるらしく、薺の傍に歩み寄り、肩に手を置いた。

「そっか。そろそろ時期だったね」

「……すみま、せ…」

「何で謝るのさ」

白澤は薺を抱き上げ、カウンターの椅子に座る。

膝の上に横向きに座らされた薺は、青白い顔でぐったりと白澤に身を預けた。

桃太郎が不安そうな目で訊く。

「あの……どうしたんですか?」

「ん? あぁ、(タオ)タロー君は初めて見るんだったね」

「……んっ」

突然、肩を震わせ顔をしかめた薺。

白い頬に紫色の痣がジワリと浮き始める。

痛みを堪えるように、薺は無意識に白澤の白衣を掴んだ。

白澤は愛でるように、薺の頭を撫でる。

「この前、薺ちゃんの角を削ったときのこと覚えてる?」

「あ、はい……」

「あのとき、薺ちゃんは厄病神だって言ったよね?」

「はい……」

「厄病神ってのは、その構成要素が病そのものなんだ。だから、時折こうして発病して、自身の病に苦しめられる」

「それって、マムシが自分の毒に当たるようなものなんじゃ……」

「うん、それに近いよ。……とにかく、発病してる間は無差別に周囲に病を振り撒いてしまうんだ。桃タロー君も、発病中の薺ちゃんには触らないようにね」

「病って、この前削ってた角と同じ効力を持ってるんですか? もの凄く痛いとか言ってましたけど……」

「そ。ただし、いつもの状態より力が強力になってるから、本来なら、この店を中心に数百メートルの動植物を全て死滅させてる」

「死滅!?」

「今は僕が傍にいるから、力が相殺されて何も起こってないけどね〜」

桃太郎は驚きを隠せず、苦しそうな薺を見つめた。

「……この状態、どのくらい続くんですか?」

「丸一日だよ。おそらく、治まるのは明日の昼になるだろうね」

「えっ、それまで薺さんはずっとこのままなんですか!?」

「そう。……これでも軽くなったんだ。ここに来る前は七日に一度発病してたから。今は月に一度まで減ってる」

「それでも辛いっすよね……。……治すことは出来ないんですか?」

絶えず薺の頭を撫でていた白澤の手が、止まった。

「そうしてあげたいのは山々なんだけどね……厄病神の病を治してしまうと、その神の存在そのものが消えてしまうんだ」

「それって……」

「歯がゆいけど、こればっかりは仕方ないんだよね」

「そうなんですか……」

「あ、そうだ。今日は臨時休業するからね」

「あ、はい、分かりました」

桃太郎は店の戸に『臨時休業』の紙を貼り付けた。

それから、薺が片付けようとしていた器を、代わりに洗い始める。

その音を聞いて、薺はうっすら目を開いた。

「…すみ、ませ……桃太郎、さん……お片付け……させ、て…しま、て……」

「そんな、いいっすよ。ゆっくり休んでてください」

「……ありがとう、ございます…」

「部屋に行こうか、薺ちゃん。横になった方がラクでしょ?」

「……はい」

白澤は薺を抱いたまま立ち上がり、部屋の方へと歩き出した。

「あとはお願いしていいかな、(タオ)タロー君。午後はいつも通り、兎ちゃんたちと畑の手入れだけしてくれればいいから」

「はい、分かりました。お大事に」

パタン、と扉が閉まる。

桃太郎は器を片付けると、兎たちと一緒に薬膳を食べた。

兎たちの様子から察するに、このような状況には慣れているようだ。







その頃。

白澤は自分の部屋へと踏み入っていた。

「三角巾と白衣だけ脱いじゃおっか」

「……はい」

白澤は薺をベッドに座らせ、三角巾を取って髪を解き、白衣を脱がせた。

薺は座っているのも辛いのか、ふらりとベッドに倒れ込む。

「いつもの痛みだけ? 他に具合悪いところはない?」

「……だい、じょうぶ……です」

「そっか」

白澤は自分も三角巾を外して白衣を脱ぎ、薺の横に寝転がった。

そして布団をかぶり、薺を抱き寄せる。

「……少しは痛み、和らぐかな?」

薺は深く長い息を吐き、白澤の胸に額をすり寄せた。

「……白澤さまに……ふれて、ると……すごく、らく、です……」

「そっか」

「でも……ごめんなさい」

「ん?」

「……毎月……丸一日、白澤さまの、お時間……奪って、しまいます……」

「それ、毎回言ってるね。そして僕も、毎回同じ答えを返してる。僕は薺ちゃんと添い寝できるから幸せなんだよって」

「……でも、ここにいるのが、わたしでなく、ほかの、女性であれば……白澤さまも、楽しい、こと、できますから……」

白澤が添い寝の次にしたい、楽しいこと……

「僕ってそんなに節操無しかなぁ」

「あっ、いえ! そんなことは! ……うっ」

「おっと、ごめんごめん、興奮させちゃったか。痛かったね」

「ぃ、いぇ……」

「とにかく、僕は薺ちゃんとこうしてるの好きだから。何も心配しなくていい」

「……そう、でしょうか。……白澤さまが、そう仰るなら、わたしはもう、何も……」

何も言えないけれど、動物的な勘が、いつも違和感を感じている。

ユルい笑みの向こう側から、何か強い思いがチラチラ見える時がある。

「……そろそろ寝るといいよ。起きる頃には痛みも引いて、痣も消えてる」

白澤はどこからか錠剤を取り出した。

薺の発病時に毎回使っている睡眠薬だ。

これがなければ、痛みで眠れない。

薺が素直に口を開けると、白澤は錠剤をその口へ入れた。

こくん、と喉が鳴る。

「おやすみ、薺ちゃん」

「……はい、おやすみ、なさい……」

睡眠薬は即効性。

白澤が頭を撫でてやると、薺は数分で規則正しい寝息を立て始めた。


「……」


安らかな寝顔を見つめ、白澤は僅かに眉根を下げる。

(……バレちゃってるのかな)

今まで数え切れないほどの"女の子"と出会ってきた。

その中でも薺は、自分と同じ神獣。

神である以上、世の理が崩れない限り、消滅することのない存在。

……今まで、それこそ星の数ほどの生命を見てきた。

彼らは始まりと終わりを持つ存在。

いつか必ず、自分の元を去ってしまう。

……だから、自分の心を守るために"遊ぶ"ことを選んだ。

誰とでも平等に、つかず離れず、ただ一時の感情に任せて楽しく遊ぶ。

深い付き合いは持たない。


そこに現れたのが、薺だ。


人間の頃の記憶を持ったまま神獣になって、神でありながら、人間らしい矛盾も抱えた、奇跡の存在。

一緒にいたいと願えば、叶ってしまう存在。


……どうしたって、惹かれてしまう。


けれど、何千、何万年も遊び続けてきた身で今さら本気になるのは、何だか居心地が悪い。

もし万が一、本気の想いを伝えたとしたら、彼女は絶対に受け入れてくれるだろう。

大恩人である自分を、決して拒みはしない。

というより、拒めないのだ。

だから、ほぼ強制的に関係を築いてしまうことになる。

……そんなの、お互い嬉しくない。

だったらいっそ、今のままで……

(……お願いだから、気づかないで。……こんな情けないとこ、見られたくない……)

薺は何も知らずに眠っている。

白澤は薺を抱き込み、壊れ物を愛でるように、その頭を撫でていた。








「……ん…ぅ?」

翌朝。

朝日の眩しさで薺は目を覚ました。

……ぼやける視界。

真綿に包まれているような暖かさと、何よりも安心感を得られる匂い。

「おはよう、薺ちゃん?」

柔らかい囁きが降って来て、大きな手にゆったりと頭を撫でられた。

何度か撫でられていると、ぼんやりしていた頭がはっきりしてくる。

「白澤さまっ!?」

ようやく思い出した。

昨日、一カ月ぶりに発病したことを。

「頬に出てた痣は消えてるみたいだけど、気分はどう? まだ痛いところある?」

昨日は痣が浮き出ていたが、今はもう何ともない左頬を撫でられる。

「ぜんぜん大丈夫です! それよりいま何時ですか!?」

「ん〜? 7時」

「ひわっ、寝坊です!」

薺はいつも6時起床で、早朝から兎たちと薬草を摘みに行く。

1時間の寝坊だ。

「はやく行かないt「まぁまぁ」

布団から飛び出そうとする薺に、白澤は満面の笑みで後ろから抱きつき、腕の中に閉じ込めた。

「病み上がりで急に動いたら、また前みたいに倒れるよ〜?」

「し、しかし、痣も痛みも消えてますしっ」

「あのねぇ、発病したの昨日の昼だよ? 発病時間はバラつきがあるけど、いつも大体20〜24時間なんだから、まだ完治するには早い」

「で、でもっ」

「お店も仕事も大丈夫だから、ちょっと落ち着いて? たぶん焦って興奮して、痛みが分からなくなってるんじゃない?」

「そんなことはっ」

「そう?」

白澤の左手が、薺の左手首を掴んだ。

「ひぐ……っ」

電気が走ったように、薺の体が跳ねる。

白澤が服の袖をそっと捲れば、白い細腕にはまだ痣があった。

だいぶ薄くはなっているものの、まだまだ痛むようだ。

「ほ〜らね?」

「っ……いえ……このくらいっ、大丈夫、ですから……っ」

「だーめ。痣が完全に消えて、痛みが引くまでは逃がさない」

「しかしっ、ここまで薄くなれば、動物にも植物にも病をうつすことはありませんし!」

「とか何とか言って、前は薬草摘みに行った先で倒れて、さらに半日寝込んだじゃない」

「あれはっ、700年以上も昔のはなしです! 今はきっと……」

「生き物と違って、神の病に好転なんて有り得ない。知ってるでしょ?」

「……っ」

「君の病は、発病から最低20時間は治らない。これは変えられない事実だよ」

白澤の腕の中でもがいていた薺は、次第に大人しくなった。

「きっと、あと2時間くらいだから、ね?」

「……」

悔しそうに縮こまる薺。

白澤は慰めるように頭を撫でながら、耳元で囁いた。

「今回は、ちょっと起きるのが早すぎちゃったね」

「……いえ、そんなこと」

「完治するまで寝ていられたら、いつもみたいに心置きなく仕事に行けたでしょ?」

「……それは……。……はい」

「薺ちゃんは真面目すぎるんだよ。自分が苦しい時くらい、甘えたっていい」

「……」

「ふふ、800年ずっと言い続けてるのに、変わらないね」

「ごめん、なさい……どうしても、あまえる自分は、想像しただけでも、ゆるせなくて……」

「謝ることじゃないよ。……僕らの時間は半永久的なんだ。何千年、何万年、何億年かかってもいい。何かきっかけさえあれば、きっと一瞬で変わる。……その時を、気長に待とう」

「………はい……っ」

頭では分かっている。

無理をしても喜んでもらえないどころか、余計に心配させてしまうことは。

……それでも、これ以上甘えることは心が許さない。

それほど、今日に至るまでに受けた恩が大きすぎる。

普通に生きることはもちろん、死ぬことすら出来ない自分に、道を示してくれた。

薬学や医学に始まり、いろんなことを教えてくれた。

昨日のように病に臥せれば、苦しみを和らげるために時間を割いてくれる。

……恩返しをしたいのに、何をすればいいのか分からない上に、当人はそんなものはいらないと笑顔を浮かべるから。

どうしたらいいのか、何も分からなくて、歯痒くて……

「……っ」

薺の体が小刻みに震え、ごく小さな嗚咽が聞こえてくる。

白澤は何も言わずに、気づいていないフリをして、ひたすら薺の頭を撫でていた。





10,精神的運動会
 
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