アゲラタム
□第二巻
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「まぁ臨死体験はしょっちゅうありますけども、『あ、アイツ生きてたんだ』って思うとゾっとしますよ」
鬼灯の意識の隅に、未だ語り続ける朧車の声が聞こえる。
すると……
「怪談かぁ……懐かしいねぇ」
別の声が聞こえてきた。
声のする方を見ると、車内を照らす提灯が、くるりとこちらを向く。
「口を聞く提灯とは珍しいですね」
「そうさね、普通は無口だけど……アタシは特別なんだよ」
提灯は片目が腫れており、髪が生えていた。
「アタシは提灯於岩ってんだ。今でこそタクシーの明かりだけどねぇ、昔は別嬪だったんだよ?」
於岩。
四谷怪談のヒロインだ。
「アンタのその涼しい顔。アタシのかつての夫にそっくりだ……。その娘は恋人かい?」
「いいえ、職場の同僚です」
「フフ、態度も涼しいもんだねぇ。……あぁ、呪った日々が懐かしいねぇ。朧の旦那ァ、少しシンミリしちまったよ。血の池でも眺めたいねぇ……」
「いやそれより、さっさと閻魔殿まで行って下さい」
「その話は聞くたびに泣けるぜ……。いいよ於岩、行こうぜ池まで」
「いや、だから、なに二人して料金上げようとしてるんですか」
「いいじゃないのさ。この於岩さんのドライブに付き合っておくれよ」
「前言撤回です。椿さんには訴えさせませんが、私が訴えます、有限会社朧車」
……と、そのとき。
"キキィッ!"
朧車が急ブレーキをかけた。
鬼灯は咄嗟に、膝の上の椿が転がらないよう押さえる。
「………すー…すー…」
結構な衝撃と音がしたにも関わらず、椿は起きなかった。
鬼灯は膝に乗った頭をそっと降ろし、立ち上がる。
「何かあったんですか?」
朧車に問いかけながら、外を見る。
すると、少し離れたところで、もう一台の朧車がフラフラしながら飛んでいた。
「あれは……先ほど隣にいた方では?」
「えぇ、そうです。さっき隣にいた奴で、怪談体験をした張本人でもある友人です」
"カァ、カァ"
「おや、烏天狗警察がいますね」
5羽ほどの烏天狗が、つかず離れずで朧車を追跡している。
鬼灯は一番近い一羽に声を掛けた。
「どうかされたんですか?」
「あ、これは鬼灯様。実は先ほど、指名手配の亡者を見たとの通報がありまして……。どうも、あのタクシーに乗り込んだらしく」
それを聞いて、驚いたのは朧車。
「ぇえ!? 朧車大丈夫なんですか!?」
鬼灯は冷静さを崩さず、情報収集を続けた。
「指名手配とは誰のことですか?」
「はい、民谷伊右衛門という亡者で…」
「い、伊右衛門様!?」
さっきまでシンミリしていたはずの於岩が、急にクワっと目を見開く。
「こうしちゃおれないよ! 朧の旦那ァ、あの車の後を追ってくんなァ!」
「……いや、あの、堂々と勝手なマネされると、警察としては困るんですけど……」
そうして問答していると……
「ゴチャゴチャるっせぇぞ警察!」
伊右衛門が顔を出して怒鳴ってきた。
「邪魔すんじゃねぇよ! 俺はネコバスに乗るのが夢だったんだ!」
「……アイツ意外とアホだぞ」
「残念なイケメンだ……」
烏天狗たちがドン引きする中、於岩がフラフラと飛んでいく。
「伊右衛門様ァァァァ! アンタやっぱいい男だよォ! 鬼灯様の100倍、いい男だよォ!」
"…ピキッ"
烏天狗たちは、何か嫌な音を聞いた。
と思ったときには遅かった。
"ヒュッ……ゴッ!"
鬼灯の金棒が唸り、於岩と伊右衛門を一緒に朧車からはじき出す。
「とりあえず、そいつら家庭裁判所に連れていけ」
「りょ、了解しました……」
烏天狗警察の手で、二人は手で連行されていった。
しばらくして。
朧車はようやく、閻魔殿に辿り着いた。
鬼灯は代金を払い、きっちりと領収書を貰ってから、椿を起こす。
「椿さん、起きて下さい。着きましたよ」
「……すー…すー…」
「ちょっと、聞いてますか?」
「……すー…すー…」
返ってくるのはひたすら寝息だけ。
揺らしても頬をつねっても、何をしても目を覚まさない。
「……はぁ」
どんだけ爆睡してんだ。
このままでは朧車にも迷惑がかかる。
鬼灯は仕方なく、椿を抱き上げ、椿のハンマーも抱えて降りた。
「あれ、椿様起こさないんすか?」
「起きないんですよ、このアバズレ。こうなっては運んでしまった方が早いかと思いまして」
「そうですか。お疲れなんでしょうね」
「今日は大変でしたね。ここまで乗せて頂き、ありがとうございました」
「いえいえこちらこそ。補佐官様を二人も乗せたなんて、何よりの自慢になります。それでは」
朧車は、再び空へと舞い上がっていった。
それをしばし見送って、鬼灯は椿を抱きかかえたまま歩き出す。
誰もいない裁判の間を抜け、居住区の廊下を通り、椿の部屋へと入った。
(……意外と整頓されてますね)
引っ越して間もないからか、元々の性分なのか、物が少ない。
鬼灯は椿をベッドに寝かせた。
「……」
椿は相変わらず眠り続けている。
鬼灯はおもむろに手を伸ばした。
手始めに首に触れて脈を測ってみる。
……異常なし。
次に額に触れて熱を測るも、また異常なし。
下目蓋を引っ張って貧血かどうか見たって、異常なし。
「……何なんでしょうね」
まるで麻酔にかかったようだ。
とはいえ、今のところ問題はないように見える。
……明日になっても起きて来ないようなら、また考えよう。
鬼灯は、椿の部屋を後にした。
翌日。
「はよ〜っす、鬼灯」
執務室にいた鬼灯の元へ、椿はいつもの時間に現れた。
顔色もすこぶる良好。
「おはようございます。……起きられたんですね」
「ん? 何の話だ?」
「昨晩のこと、覚えてますか?」
「昨日? ……あーそういや、朧車で寝たとこから覚えてねぇな。目ぇ覚めたら部屋にいたけどよ、お前が運んでくれたのか?」
「……まぁ、一応」
「そっか。そりゃ悪かったな。サンキュ」
「いえ、それはいいですけど。具合でも悪かったのですか?」
「具合? いいや? 眠かっただけだぞ」
「その割には、起こしても起きませんでしたが?」
「ンなのいつものことだ」
「いつも?」
「昔っからそうだよ。……あー、うん、鬼になったときからだな。1日最長16時間までしか起きてらんねぇんだ。それ超えると、寝るっつーより気絶に近くなる。その後は、最低8時間寝ねぇと目ぇ覚めねぇし。だから起きなかったんじゃねぇか?」
「……」
「おい? 変な顔になってんぞ?」
「誰が変な顔ですか」
「いででででっ」
椿は頬をつねられた。
「問題がなければ良いのです。……さて、始めますよ」
「だったらツネんなよ」
今日も閻魔殿の一日が始まった。
……鬼灯の頭の隅に、小さなモヤモヤを残したままで。
→ 8,三匹が逝く!