アゲラタム
□第一巻
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その頃。
桃太郎と薺は極楽満月へ戻ってきていた。
「ただいまですよ〜」
「只今戻りました〜」
揃って店に入ると、白澤が不機嫌そうにため息をついている。
理由は言うまでもない……
桃太郎は気まずそうに、薺に目を向けた。
「えっと、次に作るのは何でしたっけ?」
「加味逍遥散と桃核承気湯です。桃太郎さんには、確認テストもかねて、加味逍遥散をつくっていただきますから、がんばってくださいね?」
「は、はい!」
「ふふっ、そうかたくならず、気楽にいきましょう。わからないときはすぐに呼んでください」
「分かりました」
気を引き締めて取り掛かる桃太郎を、笑顔で見つめてから、薺は兎に変わった。
"ポンッ"
そして仕事に取り掛かろうとしたところ……
「ちょっと待って、薺ちゃん」
「わわっ」
体が宙に浮いた。
白澤に抱き上げられたのだ。
「白澤さま?」
首をかしげながら見上げると、もう機嫌は治ったのか、ユルい笑顔が見下ろしている。
三角巾がするりと解かれた。
「やっぱり、角が伸びてきてるね」
「はっ、もうそんな時期ですか!」
「ツノ?」
薬を作り始めていた桃太郎は、一旦手を止めて二人を見やる。
白澤は薺を抱えて椅子に座り、やすりのようなもので、薺の額にあるものを削り始めた。
「ふ…ぅぅ……っ」
薺はくすぐったそうに体を震わせている。
桃太郎は気になって訊いてみた。
「あの、何してるんすか?」
白澤がいつものヘラヘラ顔で答える。
「薺ちゃんがアルミラージだってのは聞いてる?」
「あ、はい。……そもそも、アルミラージって何なんすか?」
「アルミラージってのは、イスラム教の始まりと共に語られ始めた神獣なんだ。主に流行病で死んだ人間や動物たちの念が集まると、生み出される」
「流行病……」
「つまり、薺ちゃんは厄病神なんだよ」
「厄病神って、そんなはっきり……。ん? それって病魔・厄災除けの白澤様とは逆の性質なんじゃ……」
「そ。……まぁ、だからこそ一緒にいるんだけどね? 基本、アルミラージは額に黒い角を持ってるんだ」
「あ、それが今削ってる額の……」
「ここでの暮らしに角は必要ないでしょ? 逆に、あると周りを傷つけてしまうから不便なんだ。それで定期的に削ってるわけ」
薺は身を震わせながらも、あまり動かないよう必死に堪えていた。
「ぅぅ……このくすぐったさは慣れないのですよぉ……」
「ふふ、もうちょっとだから頑張って?」
「はい……っ」
白澤の掌に、削った角が黒い粉となって溜まっていく。
桃太郎はじっと、それを見つめた。
「なんか、粉薬みたいですね……」
「あはは、確かにそう見えるかもね。……でも、猛毒だから触っちゃダメだよ?」
「え?」
「たとえば……」
白澤は近場の薬草を一本手に取った。
それを、掌の黒い粉に触れさせた瞬間……
"シワァ……"
薬草は枯れた。
「な……っ」
「これが、神獣アルミラージの力だよ。触れた植物は枯れ、動物は致死性の病を受ける」
「え、でも、いつも薬草の採集とかしてますよね?」
「いつもの状態なら、この力を発揮するのは角だけだから」
「いつもの状態?」
「まぁ、そのうち分かるよ。時期的にもうすぐだし……口で説明するのは難しい」
「は、はぁ……。え、っていうか白澤様っ、角の削り粉、手に乗っけてて大丈夫なんですか!?」
「ん? あぁ、大丈夫。僕は薺ちゃんより高位の神獣だし、逆の力を持ってるからね。だからほら……」
白澤は掌の黒い粉を、息を吹きかけて上の方へ飛ばした。
粉は舞い上がると同時に光の粉へと変わり、キラキラと消えていく。
簡単に言うと浄化したのだ。
「うわ……すげぇ……」
人の世ではあり得ない光景。
桃太郎は、白澤と薺が人智を超えた存在であることを再確認した。
「僕ら神仏の力は、自身と同等か、それ以上の神仏にしか押さえ込めない。……この間、椿ちゃんたちが来た時のこと覚えてる?」
「あ、はい……」
「あのとき、薺ちゃんは椿ちゃんに額を触らせないようにしてたんだ。もちろん椿ちゃんも知ってるから、絶対に触らなかった」
桃太郎は、鬼灯や椿、シロたちがやって来た日のことを思い出した。
確かに、言われてみれば、抱きつくときも頭を撫でさせるときも、額に触れないよう配慮していた。
「でも、椿さんって鬼神なんですよね?」
「鬼神ってのは、強い鬼に与えられるただの称号だよ。確かに丈夫だけど、体のつくりは他の鬼と変わらないし、神ってわけじゃないんだ」
「そうなんですか……」
「桃タロー君も気をつけてね? 君は一応、桃の申し子として破邪の力は持ってるけど、神の邪気には敵わないから。まぁ、亡者だから死ぬこともないんだけど、薺ちゃんの厄病を受けるとものすごーく痛いよ」
「あ、はい……」
……何だかとんでもない話を聞いてしまった。
桃太郎は無意識に薺に目を向けていた。
それに気づいた薺は……
「えへへ」
いつも通りに笑う。
桃太郎は一瞬驚いたが、フっと微笑んだ。
……姿や言動は幼く見えても、自分より年上。
きっと、自分が忌み嫌われることは悟っている。
そして、そのことで悩む次元からは、既に卒業しているのだ。
もう、周りに好かれるだとか嫌われるだとかの次元で生きていない……
桃太郎は笑顔で言った。
「それじゃ、俺は薬作り再開するんで、あとで確認お願いしますね? 薺さん」
「はい、もちろんですよ〜」
「ほーら動かない」
"ガリガリ…"
「ひわぁぁっ、は、白澤さまっ、急にはダメです! せめて事前にひとことぉ!」
「ふふふっ」
極楽満月は、いつもより暖かい空気に包まれていた。
→ 6,鬼とパンツとカニ