長編

□水面
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***



「名無しさん、どうかしたのか?」


ふと我にかえると
背後から声がかけられ
自分がほうきを持って立ち尽くしていた
ことに気が付いた


「ご、ごめんはじめちゃん。」

「いや、別に咎めている訳ではない。
ただ。。。いやなんでもない」



そのまま去っていく斎藤後ろ姿を
名無しさんはぼぅっと見送って
掃いていた庭に再び視界を戻した



「だめだなぁ。しっかりしないと。」



自分に戒めるように
ひとりポツリとつぶやいた

それでも彼女の脳裏には
彼の声が繰り返し、繰り返し
響いていた



『もう一度僕を好きになって?』



それは以前の自分は
沖田の事が好きだったという事に
なると同時に
ただの使用人ではなくなると
いうことにもなる


「もともと、使用人扱いではないかなぁ。
みんな優しいし。」

「誰か、優しいんですか?」

「きゃあっ」

驚いて振り返ると
穏やかな笑みを浮かべた男性が
すぐ背後に立っていた

「さ、山南さん!脅かさないでください!」

「ふふふ、勝手に驚いたのは君ですよ。僕はいつ気がつくのがずっと待っていたのですがね?」


「なにか考え事ですか?」と優しく
山南に問われると
彼女は視線をすうっと空へと向けた。


橙色と桃色と濃紺の重なり合う空
それは夕暮れ時をしめしていた



「うーん。うまく言えないんですが。記憶のことです。」


視線を山南に戻すと
にっこりと微笑みを返され
話の先を待っていてくれているようだった


「私。。。大切なこと忘れちゃってるんですかね」

「何故、そう思われるのですか?」




『名無しさん。。。』





沖田の声が彼女の頭の中で響いた




「うーん。なんとなく。。。
不便な訳じゃないんですけどね」


にっこりと山南に微笑み返すと
山南も優しい笑みを返しながら
言葉を紡いだ


「雪村くんは優しいですね。」


彼女は言葉の意図が分からず
小首を傾げるとクスクスと笑いながら


「こうして変わってしまった私とも
以前と変わらず接して下さいます。
いっそのこと、私の事を忘れてしまえば。。。」

「良くないです!
山南さんの事を忘れちゃダメです。
忘れていい人なんていない。
みんな、縁あって出会ったんだから!」



一気にまくしたてるように言い切ると
彼女の頭の上にぽんと山南の掌が置かれた



「縁あって。。。ですか。
ありがとうございます。
私の事をみんなの事をそんな風に思って下さって嬉しいですよ。」





では、と軽く会釈をして
山南は建物の中へと姿を消した





その姿をただぼぅっと彼女は眺めていた




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