読処
□夢のような恋して
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駄目……。
私はその心をそっと見ない振りする。
朝、起きて厨に行くといつも彼の姿がある。私が来るとすぐに振り返りにっこりと害のない笑みを浮かべる。
「おはようでござるよ」
「おはよう」
その姿を見るといつも何処かホッとした。最初は一人じゃないことに。そして、今は彼がまだいることに。
私はいつも怯えている彼がいなくなるのではないかと。
彼は言った。
「流浪人ゆえ、また何時何処へ流れるかわからないがそれでよければ」
その時の私はそれでも良いと思った。今しばらく、居てくれるなら。
時が経つに連れて私は段々欲張りになっていた。彼との暮らしが思っていたよりもとても優しくてもっとと望むようになってしまった。それでも彼はいつかは去るのだからと自分に言い聞かせて過ごした。
情を移さないように。最低限の悲しさですむように。
だけど弥彦や左之助、恵さんと彼を通して繋がりが増えていく中で、彼への気持ちも増していた。
「今日は薫殿の好物を作ってみたでござるよ。口に合うとよろしいのだが」
「本当。剣心の料理、おいしいから大好き」
私が褒めるといつも彼はそんな事ないと謙遜する。その目はいつも困ったようで。
「あ〜あ。私も少しは出来るようにならなきゃ駄目よね……」
「そうでござるな。良ければ拙者が少々手ほどきをしようか」
「え、いいの! でも、私、料理に関しては壊滅的よ……。教えるの大変だと思うわ」
「まあ、基本的なことなら大丈夫でござろう」
「じゃあ、お願いするわね」
「ああ」
彼はいつも優しかった。約束の後は時間を見付けては料理が苦手な私に根気よく教えてくれた。
「剣心。洗濯物どう? 終わりそう」
「ああ、もうすぐ終わるでござるよ」
「ごめんね。いつもさせちゃって」
「いや、いいでござるよ」
彼はいつも穏やかだった。殆どの家事をやらせているのに文句一つ言わない。普通男の人ならそんな物は女の仕事だと言うのに、彼は自ら進んで引き受ける。しかも至極楽しそうにそれをこなす。
「薫殿、終わったらお茶にしようか」
私がその姿を見ていれば彼は決まっていつもそう言う。私が退屈するだろうと思っているのだろう。
その瞳は穏やかでいつも優しげだった。
「痛い。もう少し優しくしてよ」
「自業自得でござるよ。この様な怪我をして。あまり無茶なことはするでない」
彼はいつも一定の線を保ちながらも私のことを心配してくれていた。無鉄砲で少し間の抜けたところがある私を僅かながらも促していくのだ。
「これに懲りたら今度からは気を付けるでござるよ」
「はーーい」
「本当に分かっているのやら」
その時の彼の目が父の目によく被って見えた。父もよく問題を起こす私にそんな目をして注意してきたものだった。
彼は強かった。その強さでいつも守ってくれた。戦いの時、彼はいつも私を守るべきものとして扱う。それが悔しいと感じると同時に私は嬉しかった。そのような扱いをしてくれる者は父以外居なかったのだ。
私は初めの頃、彼に抱いた感情を父に重ねてのものだと思った。決して似ているとは言えないが、それでも二人には重なるところがあったのだ。
だけど、それが違うことに気付いたのはいつだったか。
きっかけはそう、左之助と剣心が戦った日。
あの時、喜兵衛が隠し持っていた銃で剣心が撃たれたように見えた時。
彼が死んでしまう。そう思うととても恐ろしかった。
それはもう一度一人になることが恐かったのではない。そして、父の死を恐れた時らともまた違う。
愛しい人を失うかもしれない絶対的な恐怖。
あたっていないとした時、あまりにホッとして腰が抜けてしまった。
良かったという言葉があふれ出す。生きている。彼が居る。
愛おしいという言葉は自然と出てきた。
そして、その言葉に気付いた時、私は隠さなくてはと思った。
彼に、私自身に。
この思いは抱いては駄目だと。
彼は流浪人またいつ流れるかも分からぬ人。そんな人を引き留めることは私には出来ない。居なくなって傷つく。哀しみは少ない方が良い。
だから、私はその思いに蓋をした。
それでも一度気付いてしまえばどんどん溢れてきてしまう。
その中で私は気付いた。
とっくの昔、あの日、彼を引き留めたあの日から、あの寂しそうな笑みを見た時から私は彼に惹かれていたのだと。
この思いは消せそうにないと。
気付く前の私は多分無意識に蓋をしていた。彼が居なくなると知っていたから。
気付いたらもう抑えられない。
黒笠の事件の時、彼がいなくなるのではないかと思って、いてもたってもいられなくなった。恐くて苦しくて、彼にまだ居て欲しくて。迷惑になるかもしれないと分かっていたけど己を止めることは出来なかった。
蓋をしているはずなのに、思いは溢れすぎている。
駄目なのだ。彼にこんな思いを抱いては。
いつか居なくなる人だから。
なら、哀しくならないようにもっと淡い思いで……。
出来るならそうすぐに消えてしまう夢のような……。
夢を見ても冷めてしまえば記憶にはあまり残らない……。そんな思いでなければ……。
今この時は、夢だと思わなければ。
そう心の中に言い続けこの思いに蓋をする。
ああ、だけど、溢れてまで沸き上がり続ける思い。
『拙者は流浪人。また…、流れるでござる』
離れていく彼の背。
届かない手
哀しくて苦しくて辛くて、息が出来なくて……。
ああ、夢のように浅い思いですんだなら。
すぐに消えていくような思いだったならこんなに悲しまないですんだのに。
胸が痛い。
分かっていたのに。
夢のような、恋は出来なかった。
そうそうと消えゆく夢のようなはかない恋をしたならば……