読処

□伝えたいこと
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 雪が降り始めた。薫殿は大丈夫か。ちゃんと暖かくして過ごすように
 何時帰れるかはまだ、分かりそうにない。



 遠くに行っている夫から文が届いた。筆無精な彼らしく淡々とした文章だった。だけどこうして届くことだけで嬉しい。今日も彼は無事でいてくれる。
 三ヶ月ほど前から薫の夫は警察の要請により、出掛けてた。今までも同じようなことは何度かあったが、夫はこの様に文を送ってくるようなことはなかった。だけど、今回は長いのだからと何とか渋る夫に縋り付き僅かな言葉をもらうのに成功した。
 薫は文を見ながら、部屋の外を見る。
 こちらの方も雪が二日ほど前から降り始めていた。

「剣心、今頃大丈夫かしら。寒くないといいんだけど……」

 体も心も……。


 夫が愛しい人を己の手により失ったのは雪の日だったと聞く。彼からきいたわけではないがその後も雪の日に彼女を思い出して苦しんだのは間違いないことだろう。

「一緒にいたかったのにな」

 せめて、結婚して向かえる初めての冬ぐらいは。彼と共にいてもう恐くないのだと言うことを教えたかった。傍にいると言うことを……。冬の楽しみを教えたかった。哀しい想い出だけを思い出さないように。楽しいことも嬉しいことも思い出せるように。一緒にいたかったのだけど。
 そんな薫の願いは叶わずに冬を迎えてしまった。

「せめて、冬が終わる前に帰ってきてくれたら……」

 まだ、間に合うだろうか……。
 でも悲しんでいるのならきっと今だ。向こうには剣心の支えになる者はいない。剣心の話を聞く人も。彼は自分の心の内などおくびにも出さないから気付いてくれる人も居ない。彼は一人で抱え込むのだ。

「剣心……」

 今、遠くの彼を思いながら何故昨年もっと彼に対してやってあげなかったのかと後悔が溢れた。
 昨年の冬は兎に角忙しかった。道場に入門したいという人がその時期に多く訪れその件で薫はバタバタしていたし、師走や新しい年の始まりは何かとあわただしく剣心も警察の手伝いによくかり出されていた。日々の日常でもすれ違うことが多く、そして、その頃はまだ二人の関係性がハッキリとしていなかった。剣心との関係性が分からずうだうだと悩んでいた時期でもある。

(私の馬鹿。大事なのは自分のことより剣心のことだったのに)

 昨年、分かっていたはずなのに出来なかったこと。気付いたのはある雪が降る日、剣心が外を見て哀しそうな瞳をしていたからだった。その時ははぐらかされたが、後々心に残りどうにか冬に悲しい思いだけではなくしてあげたいと思った。だが、気付いたのは冬の終わり頃で、その後も二人の時間が合う時がなく、何もなく終わってしまった。
 二人の関係が変わったのは春になってから。そして、今年の初夏、結婚した。
 今年の冬こそはと心に決めていたのに上手く行かないものだ。話を聞いた時から冬を越すことは分かっていたがそれでももしかしたらと思っていた分、落胆は大きい。

(せめて……)

 手紙と雪の二つから目を反らし、薫が見たのは裁縫箱だった。その上に作りかけの襟巻きが置かれている。本当は帰ってきた時に渡すつもりだったのだけれど、今度文と一緒に送ることに決めた。

(せめて、……少しでも剣心を暖めてあげることが出来ますように。私の代わりに少しでも……)
「本当は私がいけたら一番なんだけど、でも無理よね……」

 もうあの頃とは違う。去ってしまった剣心を追い掛けた時とは。あの時は門下生も一人しかいなかったから気にすることはなかったけど、たくさんいる門下生を置いていくわけにはいかない。それに追い掛けなくても剣心は帰ってくる。
 分かっているけど。行きたいと思うのは我が儘か。行って少しでも支えてあげたいと思うのは。

 こみ上げてきた吐き気を堪え、薫は小さく微笑んだ。

(剣心。せめて冬が終わるまでには帰ってきてね。待ってるから……)



 返信をするための筆を握りしめた。



   ・・・


薫が送った文への返信はいつもより些か早く帰ってきた。
 その内容も少し違っている。


 出来るだけ早く帰るようにする。
 拙者も早く帰りたい。君に会いたい。
 

 薫は先ずその後半の内容に目を見開いた。普段の彼なら絶対に言わないような言葉だ。彼に何かあったのかほんの一瞬だけそんな事を考えたが、そうではないと思い直した。これは彼が薫のために書いてくれたのだ。

 数日前に送った文を思い出す。
 送る時も何度も迷ったものだが、結局出してしまった文には、最後の方に早く帰って来てくださいと書いてしまっていた。
 小さな字で気付かれないように隅っこに書いたそれを彼は気付いてくれた。そして、こうして返事を寄越してくれた。
 その事が嬉しくて薫は手紙を抱きしめった。
 会いたいとは流石に恥ずかしくって書けなかったけれど、彼はその気持ちを見抜いてくれたのだろう。

「ありがとう。剣心」

 遠くにいる彼に向かい声を漏らす。

「大好き」

 素直な気持ちを言葉にすると心が温かい。

「早く帰ってきてね。伝えたい事も出来たのよ」

 己の身体を抱きしめながら薫は確かにそう口にする。
 とても伝えたいことが出来た。
 その事が剣心を喜ばせるのか苦しませるのかまだ分からない。でも喜んでくれると良いと思うし、冬にその事を伝えれることが出来てとても良かったと思った。彼に優しい想い出を与えることが出来るかもしれない。

「早くね」



 遠くから弥彦の声が聞こえてくるのに薫は上機嫌に返事をする。やってきた弥彦が薫の様子を見て怪訝そうに首を傾げる。

「どうしたんだ。変な面して?」
「もう、失礼ね」

 怒ると予想していた薫の態度は全く違っていた。楽しそうに笑いながら弥彦にほほえみかける。

「剣心から文が来てたのよ」
「へぇ、そりゃあ、良かったじゃねぇか」
「ええ。ねぇ、弥彦」
「何だよ」
「あなたには二番目に教えてあげるからね。剣心の次に」
「はぁ? 何だそりゃ」
「内緒よ。今はまだね。はやく稽古しましょう」

 駆ける薫は不意に空を見て微笑んだ。この先の向こうに剣心がいる。
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