Novel

□灰かぶりとリトル・ナイト
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 赤茶色の癖毛は古びたレンガのようにレトロで、色素の薄い緑がかった瞳は、眠たげな厚ぼったい瞼に遮られて苔のように褪せて見えると揶揄される。肌は白くも、鼻上のそばかすが目立ってみすぼらしく、それも嫌いであった。 エラ・ウィルソンは年頃らしく、自分の容姿にコンプレックスを抱える少女であった。
 彼女が、そんな思いに関係なく「シンデレラ」と華やかな名で呼ばれるのは、からかいの一つであった。仕事が忙しく、一人娘を構ってやれない父の思いやりは、灰色のひしゃげた帽子として贈られ、それを被って登校したエラは、まるで灰被りのようだと笑われたのだ。その日から彼女は「灰被りのエラ」なのである。その呼び名に相応しい突然の幸福や、明るい未来をエラは期待しているわけではなかった。
 けれど彼女にも希望が舞い降りた。魔法使いでも、王子さまでもない「灰被りのエラ」にだけもたらされた希望。
 それは、星の綺麗な夜に空から降ってきた、小さな騎士であった。



 学校に到着し自分のロッカーを開いてから、扉に設置された身だしなみ鏡に映った自分の顔を、エラは思い切りしかめていた。しかし鏡にはそんな顔の目元しか映らない。鏡に被さるように、汚い字で宛名が書かれた手紙が張り付けられているのだ。差出人は、確認しなくてもわかっていた。「親愛なるシンデレラへ」と言葉が綴られ、その下に殴り書いたような字で、ヘンリー、と綴られている。毎度毎度ご苦労さまだよねと思いながら、エラはヘンリーからの手紙を剥ぎ取った。手紙と言っても大層なものではなく、ただの折りたたまれたメモ書きだ。読むに値しないなと一蹴して、エラはメモを開くことなく無造作にジーンズのポケットに仕舞いこんだ。肩かけのリュックサックを下ろしてロッカーに荷物を入れようとした時、ぬっと背後に人の気配がして、隣のロッカーをばん、と大きく叩く音がした。エラは驚くこともなく、背後の人物を察して気づかれない程度に小さく息を吐く。

「なぜ手紙を読まない、シンデレラ」

 この台詞も何度聞いたことかと思いながら、エラは「ハイ、ヘンリー。お早いご到着で」と苦笑を浮かべて振り返った。険しい表情を浮かべたヘンリーは、エラをじっとりと睨みつける。

「お前、今手紙を読まないままポケットに仕舞っただろう。俺様からの、手紙を」

 リュックサックを前に抱えてヘンリーと距離を取りながら、エラは乾いた笑いの後に、あー、と声を漏らした。

「もしかしてこれ緊急の用だった? それならてっきり携帯の方に連絡してくるかと思って。今急いでたから落ち着いてから読もうと思ってたんだよね、あとで、ゆっくり」

 エラの言い訳に、熊のように大柄な男であるヘンリーは唸り声でも上げそうな様子であったが、少し間をあけてから「なるほどな。それならいいだろう」と身を引いた。しかし、隣のロッカーに手をついたまま一向にその場から動こうとしない。エラは荷物を置いて教室に移動しようと思っていたのだが、ヘンリーはいかにも何か話したい様子だった。隙を与えるのは面倒だと考えたエラは「じゃあ、そういうことで」とそそくさと退散しようとする。しかしヘンリーに、反対の手もロッカーへと激しく叩きつけられて、退路を塞がれてしまった。こうなることは目に見えていたのだが、うまく巨体の男を追い払う方法が思いつかなかったのだ。

「シンデレラ、週末は空いているな?」

 ロッカーを背に閉じ込められたことに文句を言う前にそう問われ、エラは「週末?」と眉を寄せた。

「そうだ。今週末、フットボールの試合がある。俺様が大いに活躍する雄姿を、しかとその目に焼きつけろと伝えにきたんだ」

 自慢げにそう言うヘンリーは、我が校自慢の強豪フットボールチームのエースである。脚力、腕力はもちろんのこと、鍛え抜かれた彼の筋肉美は、他校の生徒からも脚光を浴びるほどであった。ヘンリーはうちの学校のヒーローであり、黄色い声援を好きなだけ浴びられる人間だ。だからこそ、応援に来て欲しいというそれだけのことをこれほど回りくどい言い回しにしても誰にも否定されずに我が道を突き進めるのだ。ただ一人、幼馴染であるエラを除いては。
 素直に試合があるから応援に来て、とは言えないのだろうかと思いつつも、エラはヘンリーに返す言葉を探した。むさ苦しいマッチョの集まりに、灰かぶりが進んで行くわけがない、とエラは首を横に振る。

「ごめんね。お誘いは嬉しんだけど、週末はちょっと予定が入ってるんだ。残念だよ、本当」

 へらりと笑ってエラはその場を切り抜けようとしたのだが、予定とはなんだ、とヘンリーに食いつかれて、ええと、と言葉を濁らせた。

「……友だちに、頼まれたバイトのヘルプに入らなきゃなんだよね。どうしても行けないらしくて、代わりに」

 瞬間的にでっち上げた嘘であったが、口にしてみるとそれらしく聞こえて、言葉の最後は「だから応援には行けない」という響きを含んでいた。しかしヘンリーは訝し気な表情で、お前に友だちだと、と口の端を歪めた。

「助っ人を頼まれるような友人がいたとはな」

 痛いところを突かれたと思いつつも、失敬だなぁ、とエラは笑って見せた。実際、ヘンリーの言うようにエラにそんな友人はいない。そもそも学校でエラに構うのは、ヘンリーぐらいである。

「それは本当にお前がやるべきことなのか。友人だと言いつつ、いいようにこき使われているんじゃあるまいな」

 俺様の応援より優先すべきか、と呟かれてエラは眉を寄せながら視線を逸らす。心配の滲んだ言葉は嬉しくもあるが、それはあくまで彼が自分の応援を第一と考えているからであって、エラの健やかな学生生活を思ってのことではない。

「とにかく、そういうわけで週末は行けないんだ。あと、できればこの腕を退かせて教室に行かせて欲しいんだけど」

 エラは眉を上げてヘンリーを見上げながら、彼の逞しい腕をつん、と突いた。早く教室に行って、時間まで読もうと思っていた本があるのだ。とっとと解放してくれ、と歩き出そうとするエラに「何の授業なんだ?」とヘンリーはまたしても詰め寄るようにしてエラの動きを遮った。エラは再び鞄を盾のようにして間に挟んで距離を取る。彼の行動に伴う距離感は、人より近いということは今さら気にしても仕方のないことだ。

「……ソフィー先生の科学だよ。資料集を持って行くつもりだったし、このまま直行するよ」

 面倒になってエラが適当にそう答えると、そうか、と言ってヘンリーはようやく腕を退けてくれた。狭苦しい彼の腕の包囲網から解放されて、やれやれとエラは肩を竦めたのだが、それも束の間、むんずとリュックサックを掴まれて奪われてしまった。フットボールチームのエースの手にかかれば、エラのボロリュックサックなど簡単に引きちぎられてしまいそうだ。

「ちょっと、ヘンリー、何のつもり?」

 エラの抗議の声など聞く耳持たずで、ヘンリーはエラのリュックサックを持ったまますたすたと歩き始めてしまう。エラは、ああもう、と脱力して仕方なくヘンリーの後ろをついていく。大人しく従ったエラに気をよくしたのか、姫君に重い荷物なんて持たせられないからな、とヘンリーは声を大きくしてそう言う。近くを通った女子生徒たちが、それを聞いて疎まし気にエラを見ていることにヘンリーは気づいていないのだろう。校内人気ランキング五位内には入るであろう男子生徒が、地味でいわゆる「イケてない」女子生徒にばかり構っている姿を見るのは、いくら幼馴染であるとは言え、恨めしくもなるだろう。ヘンリーとは、そういう関係ではない。ただ昔、住んでいた家が近くてよく一緒に遊んでいたというだけであり、エラが引っ越してしまった今はご近所さんでもなんでもないのだ。正直、エラ自身もどうしてヘンリーが自分などに構うのか、わからなかった。

「ああ、そう。ありがと。ついでにカボチャの馬車もよろしくね」

 荷物を運んでもらっているのに、姫君本人はぐるりと目を回して落胆している。傍から見れば、随分生意気なやつに映るだろう。口ばかりが達者で、皮肉めいたレスポンスを繰り返していたら、気づけば女子はおろか、男子にも変わり者として遠巻きにされていた。一人で本を読むことが好きなエラにとっては、それは対して苦ではなかったが、ヘンリーと関わるたび、毎日のように学校でちくちくと刺さるような視線に刺されるのは勘弁して欲しかった。
 乱暴に運ばれるエラのリュックサックには、そのような扱いを受けて困るようなものは入っていない。厚めの本が数冊入っているから、ヘンリーに運んでもらえるのは有難いことではあった。今更取り返すわけにもいかず、もういいや教室まで運んでもらおう、とエラが諦めて視線をヘンリーの背から窓の方へと外した時だった。エラにとって、聞き馴染んだ「鳴き声」が小さく聞こえたような気がしたのだ。驚いてエラは前方に視線を戻す。だが、声から連想する姿はどこにもなかった。あるのはエラのリュックサックと、逞しいヘンリーの背中だけ。ああ、ついには幻聴が聞こえたかと、エラは額に手を当てたが、もう一度同じ声がしてはっとした。幻聴などではなく、声はエラのリュックサックの中から聞こえていたのである。そしてそのリュックサックは今、ヘンリーの手にある。

「ちょ、ちょ、ちょっと、いいかなヘンリー」

 慌てたエラは何度も舌を噛みそうになりながらそう言って、ヘンリーの前へと進み出た。両手を突き出してヘンリーを制止するエラに、今度は何だと言わんばかりに苛立った声で「どうした」とヘンリーはエラに問うた。良かれと思ってやっていることを、必死な様子で止められれば一体何事かと顔もしかめるだろう。だがしかし、今のエラにはそんなヘンリーを気遣う余裕はなかった。

「あー、えっと……ロッカーに、忘れものしちゃったみたいなんだ。だからほら、私は取りに戻って、君は教室に真っすぐ向かう。そろそろ時間だしね。私に付き合わせて君まで遅刻させちゃうのは申し訳ないしさ」

 大袈裟なジェスチャーは、焦った時の悪い癖だった。ヘンリーは怪しいものを見る目つきでエラを見下ろしている。
 エラは、リュックサックを返してもらおうと両手をヘンリーに差し出した。ヘンリーはエラの顔と掌を交互に見比べてやはり胡散臭そうな顔をしているので、エラは口だけでにこりと笑ってみせた。ヘンリーは少し間をおいて、諦めたようにため息を吐き、すっとエラの両手の上にリュックサックを移動させた。しかしエラがそれを掴もうとすると、フェイントをかけられて両手は空を掴み、ヘンリーは無遠慮にエラのリュックサックのチャックを開けた。
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