Novel

□サタンの友愛
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俺の先輩は悪魔だ。
これは悪口でも、ましてや誉め言葉でもなんでもなく、先輩の種族を言い表しているだけであって、先輩は正真正銘の悪魔なのである。





『お昼一緒に食べよー』
 冬彦の携帯には、数分前にそんな吹き出しが表示されていて、自分が送った「いいっすよー。いつもの場所で」という返信の左隣には既読の文字がついていた。
 冬彦は吹き出しを送ってきた相手と昼食をともにするいつもの場所へと向かっていた。エレベーターに乗って、三階まで上る。外の様子が見下ろせる大きな窓の前にいくつか白い机が並べられていて、一番奥の、窓際の席についた。それが、冬彦たちの定位置なのだ。二限目が始まったばかりの時間帯ならば、大抵学生用に用意されたこのラウンジは空いている。
 間もなくして、連絡を寄越した相手がぱたぱたと小走りに冬彦のもとまでやって来た。その背後で影がくっついて回るように、黒い尻尾が身をくねらせている。それをちらりと見て、先輩機嫌いいな、と冬彦は首を傾げた。
「お待たせ。今日は早かったんだねぇ」
 ちょっとレポートの印刷しなくちゃいけなかったんで、と冬彦が答えると、そうなんだ、と明るい返事を返しながら相手は冬彦の向かいの席に座る。尻尾は椅子の背もたれと背中の間から少しだけ顔を覗かせていた。
 冬彦の一つ年上である、向かいに座るこの人物は沙耶斗という名の悪魔である。こめかみのあたりに小さな角が生えており、背中には黒い翼、そして特徴的な黒い尻尾を持つ。冬彦の通う大学は天使も悪魔も人間も共学なので、大学内ではそれぞれ入り乱れて日々己の学業に精を出しているのだ。
何やらそわそわとしている様子の沙耶斗に「サヤ先輩、何かあったんすか?」と冬彦が尋ねると、 え、と明らかに図星な反応を見せて、沙耶斗は頬を淡く色づかせた。
「あ……えっとね、今日売店でシュークリームの百円セールやってるって聞いたから、早くご飯食べてフユくんと一緒に行きたいなって思ってて」
 そう言って沙耶斗がえへへと笑うのに釣られて冬彦も笑う。大学の売店には、沙耶斗がお気に入りのデザートであるシュークリームが売られているのだ。普段は二個セットで百三〇円なのだが、今日は数量限定でセールを行っているらしい。その情報を沙耶斗から聞いた冬彦はへぇ、と口をすぼませた後、すぐににやりと口角をあげた。ふっふっふ、と含み笑いの声をもらすと「ま、まさか……!」とノリよく沙耶斗は大袈裟なくらいに上体を反らせて見せる。
「そんな先輩ホイホイな情報、俺が知らないわけないじゃないっすか。もう買ってきてますよ」
 売店の袋から、冬彦はシュークリームの容器をがさがさと取り出し、机の上に「どん!」と自分で効果音をつけながら置いた。沙耶斗の目がきらきらと輝く。
「さすがフユくん、僕のことわかってる、すごーい」
 わぁいと喜ぶ沙耶斗はぱちぱちと称賛の拍手を冬彦に送り、冬彦は鼻を鳴らした。崇めたまえと言う冬彦に「ははーっ」と沙耶斗は机にぺたりと両手をつけて頭を下げた。さらりと流れた黒髪の隙間から、小さな角が覗く。
「食後のデザートは確保済みっすよ」
 沙耶斗と跳ね起きるように顔をあげて、ありがとう、と目を細めて冬彦を見上げた。その喜びは表情だけでなく、ちらちらと視界を掠める尻尾にも表れていて冬彦は思わずそちらを見ては頬を緩ませてしまう。先輩はわかりやすいなぁ、と心の中で呟いていると、沙耶斗はその視線に気づいたのか、自分の尻尾をくるりと体に巻き付けるようにして前方に持ってくると、両手で抱えた。
「尻尾で機嫌を計んないでよ」
 頬を膨らませて沙耶斗は怒っているアピールをしてくるが、尻尾を自分で持って動かさないようにするのは無意識に尻尾を振ってしまうほど上機嫌なのを隠すための照れ隠しなのだということを冬彦は知っていた。深く追求することはやめて、すみません、とにやついた笑みを隠さないまま冬彦は謝る。沙耶斗は納得のいかないような表情を一瞬浮かべたが、ぱっと尻尾を放すと「さ、食べよ食べよ」と鞄の中から弁当とコンビニで追加購入した昼食を机の上に広げた。
「うわあ、またすげー量」
 ずらりと並べられた食品の数々に若干引き気味になりながらも恒例の感想を述べる冬彦に沙耶斗は、普通だよ、とけろりとして答える。普通、と復唱する冬彦と沙耶斗の間には二段の弁当箱と菓子パン三つに肉まん一つとが幅を利かせていた。さらに食後にはシュークリームを食べようと言うのだから、さすがにこれには食べ盛りの男子学生である冬彦も敵わない。
「悪魔はこれくらい食べないとやってられないんだってばぁ」
 さっそくお手製のおかずがたっぷり詰まった弁当箱を開きながら沙耶斗は口を尖らせた。おまけに冬彦がコンビニの弁当を取り出すのを見て「フユくんは少なすぎない? ちゃんと食べなきゃ体もたないよ?」と母親のようなことを言う。確かに物足りないと感じることもあるが、沙耶斗のように何か追加で買ってまで食べようとは思わない程度だ。大丈夫っすよ、と冬彦は苦笑する。
「これが人間の普通っすから」
 お決まりの返しに、人間って少食だね、と言うお決まりの感想が返ってくる。しかし食の違いなど、たかだかその量の違いだけであって、それはちっぽけなことに過ぎないのだ。
 食事を終え、さてさてシュークリームだ、と沙耶斗の意識がデザートに向くあたりでいつもの呟きがもれるだろうなと、冬彦は購買でシュークリームを購入する時から予想していた。
「……フユくんが悪魔だったら良かったのになー」
 シュークリームを一口かじって、至福の時を味わった後、急激に沙耶斗は肩を落とす。始まった、と冬彦は笑みを堪えながらの沈黙で沙耶斗の言葉を促した。
「フユくんみたいな良い友だち、絶対これから先見つかんないよ。僕はフユくんと一つになりたいのに」
 なんで悪魔じゃないのかなぁ、と沙耶斗は頬杖をついてぼやく。また一口シュークリームをかじって、中のクリームを舐めとっては尻尾を揺らした。
 悪魔と人間の最も大きな違いが、沙耶斗を憂鬱にさせる原因であった。その違いとは、"親友の概念"だ。
 沙耶斗がぼやいていた通り、悪魔は親友と呼べる唯一無二の存在と出会うと両者の体が特有の共鳴反応を起こし、一つの個体へと変わるのだ。記憶は共有されるが二人の悪魔の魂が融合したまったく新しい人格をもった新たな生命体が生まれる。そしてそれは悪魔にとって最も幸福なことであり、それを遂げることによって自立した悪魔と世に認められるのである。この融合が完了していないと恋愛もろくにできないことはおろか、結婚に至っては法律で認められていないのだ。
 大学ではおよそ悪魔の学生の半数が入学までには融合を果たしており、残りの半数も卒業までには大方融合を完了させる。沙耶斗は今年二年になったが未だにその相手を見つけていないという、余り者なのである。
「俺なんかに構ってないで、早く親友を見つけてくださいよ」
 悪魔同士でないと共鳴反応は起きないので、沙耶斗はいつも冬彦が悪魔でないことを嘆きながらぼやくのだ。冬彦はそれを苦笑しながら聞き流す。
「でも、フユくん以上に仲良くなれる相手なんてそうそういないよ……」
 自信なさげに眉を八の字にする沙耶斗は、やはり余り者の意識があるためかその話題を口にする度、日に日に焦りの色を濃くしている。大学卒業まで、残りの二年の猶予はあるとしてもあまりに融合が遅れれば就職先が厳しくなることもある。融合は悪魔にとって死活問題でもあるのだ。
 ため息をついてシュークリームを食べる手を止めてしまっている沙耶斗に、冬彦は「だけど」と明るい声で呼びかけた。
「先輩は優しくて、イケメンで、頭もいいんだし、良い相手なんてすぐに見つかると思いますよ」
 冬彦の言葉にはお世辞や偽りはなかった。冬彦は沙耶斗のことを尊敬する先輩としているし、正直何故そんなに融合の問題で悩んでいるのか理解が出来なかった。こんな優良物件を何故みんな放置してるんだと疑問に思ったことさえある。沙耶斗は中性的で端整な顔立ちをしており、性格も穏和で気配りもできる。たまたま同じサークルで息があったという理由だけでここまで冬彦と親しくなれるのであれば、悪魔同士であればもっと打ち解けることができる相手が見つかるだろう。
 しかし、沙耶斗は「んー」と険しい顔をして唸り、首を横に振った。それから机に突っ伏して「自信ない……」と小さくこぼす。
 いつもこうして自分を過小評価する沙耶斗に、冬彦はやれやれと息をつきながら元気出してくださいよ、と頭を軽くぽんぽんと叩いてやった。すると、沙耶斗は低い体勢のまま顔をあげて「フユくんはどう思ってるの?」と問うた。
「え?」
 瞬く冬彦を、すがるような上目遣いで沙耶斗は見上げ、再び質問を繰り返す。
「フユくんは、もし悪魔だったら僕と一つになってくれる?」
 冬彦は言葉に詰まった。一つになるという感覚は、悪魔特有のものであって人間である冬彦には抵抗を感じるものだった。親友と一緒にいたいという気持ちはわかるが、一つの生命体になるというのは何かが違う気がする。それに潤んだ目で「一つになる」なんて言われたら、人間としては別の意味しか連想できなくなってしまう。
 口を引き結んでうーん、と悩み「……絶対その戦法で行ったら何人でも落とせると思うんだけどなぁ……」と冬彦は小声で明後日の方へ呟いた。悪魔である沙耶斗は、人間がその様子をあざとく感じているだなんてこれっぽっちも思っていないのだから質が悪い。
 人間で言う一つになるとは、やはり男女間の関係性の変化を思わせるのだが、それを以前沙耶斗に伝えたら「それはまた別の話!」と顔を赤らめてぴしゃりと否定されたので、それから冬彦は口にしないようにしているが、どうにもそちらの意味合いへと繋がってしまう。沙耶斗の言う一つとは融合という形で本当に一つになることであり、冬彦にはそれは理解し難いことであった。
「……俺は、悪魔じゃないからわかんないっすけど。親友とはそれぞれ別の存在が良いって言うか、先輩とこうして話たりできる今のままが好きって言うか……」
 冬彦は頭をかいて、難しいっすね、と苦笑した。
 沙耶斗は眉間の皺をよせて、首を傾げる。
「でも、融合したら魂はずっと一緒なんだよ。ずっと寂しくないよ?」
 悪魔にとっての親友とは互いの区別なく永遠にともにある魂であり、人間にとって親友は互いが互いを思って支えあう別個の存在である。その感覚の違いだけはどうしようもない。
「先輩は今の俺との関係が寂しいんですか」
 言った後に自分はとんでもなく自惚れて恥ずかしい質問をしたんじゃなかろうかと冬彦は顔に熱が昇るのを感じたが、神妙な顔をして指先でサイズを表しながら「……ちょっとだけ」と真面目に答える沙耶斗の表情に吹き出してしまった。
 何で笑うの、と沙耶斗は憤慨した様子だったが、冬彦の笑いはなかなか引かなかった。年上を相手に、しかも男に対して抱くのは失礼な思考かもしれないが、冬彦は沙耶斗を可愛らしい庇護対象に見えてしまう時があった。沙耶斗は笑い続ける冬彦に「フユくんの分も食べちゃうからね」と反撃に出ようとし、それに対して冬彦は諭すような口調で沙耶斗を窺う。
「寂しいかもしれないけど、一つになったらこうやってデザートのはんぶんこもできなくなるんすよ?」
 その発想はなかった、と言わんばかりに冬彦のシュークリームに伸ばした手を止めたまま、沙耶斗は瞬いた。
「……一つになれば同じものを味わえる、けど、はんぶんこはできないのかぁ」
 呟いて、沙耶斗は腕を組む。深いため息をつくように、うーむと唸り声をあげた。どっちがいいかなぁ、と新たな悩みを抱え始める沙耶斗に冬彦は根本の問題を投げる。
「ま、俺は悪魔じゃないからどうやっても先輩と融合はできないっすけどね」
 そうなんだよね、それがまず問題なんだよね、と沙耶斗は両手で頭を抱える。冬彦は涼しい顔で奪われることのなかった自分のデザートを摘まんだ。
「先輩なら絶対大丈夫ですって。だから早いとこ相手を見つけてください」
 もし沙耶斗が融合相手を見つけたら、冬彦の知る「サヤ先輩」は消えてなくなる。それに不安がないわけではないが、融合前後で交遊関係に大きな変化があったとはあまり聞いたことがないので、大丈夫だろうと冬彦は気楽に構えるようにしていた。それに、人間の事情で悪魔である沙耶斗と一生を左右する問題に干渉してはならない、という思いの方が強い。
 それこそが、人間としての親友の在り方だ。
「ああー、フユくん悪魔になってよう」
「無茶言わないでくださいよ」
 堂々巡りの問答を繰り返して、冬彦はシュークリームをかじった。時折甘いものを食べたくはなるが、甘いものをそれほど好む方ではない冬彦にとってシュークリームを二つは多すぎる。一つで丁度良かった。沙耶斗を分けあって食べるのが良いのだ。
「融合できそうな相手が見つかったら、教えてくださいね」
 見てみたいっす、と冬彦が悪戯顔で言うと、沙耶斗はまた険しい顔をしていたが、諦めたかのようにぱっと力を抜くと「……がんばります」と声を萎れさせて尻尾をしょんぼりと垂れ下げさせた。



 その後、すっかりしょげてしまった沙耶斗を励まそうと考えた冬彦はシュークリームをもう一セット買うことを提案したが、既に購買のシュークリームは売り切れていた。
 がっくりと肩を落とす沙耶斗の口から溢れるであろうぼやきの内容が手に取るようにわかってしまった冬彦は何も言わず、少し自分より低い身長の沙耶斗の頭をぽんぽん、と撫でてやったのだった。
 

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