Novel

□白の愛し子
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 今思い出してもあれは奇妙な出来事だった。異常と異常とが偶然にも重なり、産まれ出でようとした命の話だ。
 俺、田端 京介はその始終をもっとも近くで見ていた者として回想する。

 八木崎 昌という人物が捧げた、我が子への愛のすべてを。





 「先輩が倒れた」と聞いて、俺が病院に駆けつけた時よりもずっと前から、事は始まっていたらしい。
 俺と昌は一つ年の違う先輩後輩の関係で、俺が小学生の頃からの知人であった。先輩が大学で倒れて病院に運ばれたという情報を聞きつけて、俺は病院へ向かった。けれども、その時には既に事は大きく動いていたのだ。
 先輩は、身籠っていた。
 その表現が適切なのかどうかはわからなかった。そして、それが普通のことではないことはわかっていた。何故なら、先輩は俺と同じ男だからだ。男は妊娠しない。もしそんなことがあったら、この世の理をすべてひっくり返してしまうだろう。先輩は人間の赤ん坊ではなく、俺の知らない謎の生き物の子どもを、その腹に宿していたのだ。
 先輩には病院から個室が与えられ、俺はそこで先輩と医師から、先輩の状態について話を聞いた。しかし、あまりに衝撃的な告白だったため、話を聞くだけでは理解しきれず、その日俺は家に帰ってから謎の生き物についてインターネットで検索してみた。驚くべき事実から少し距離を置き、頭の中を整理したかったのだ。そうすることで、俺はぼんやりと先輩が直面している問題の輪郭を知った。
 先輩の中にいる生き物は、白卵子≠ニいう名の、寄生型新種生命体らしい。それについて、まだ詳しいことはほとんど解明されておらず、人体にどのような影響を与えるのかも、すべてわかってはいない。ただ一つ、白卵子に寄生された者にはある共通の症状が出ることがわかっていた。それは白い血を吐くこと≠ナあった。
 厳密に言うとそれは宿主となった人間の血液を白卵子が取り込んで自らの養分として作り出したもので、人間の血液そのものではない。白卵子は人間の胃に寄生し、特殊な防御膜を作り出すことによって自らが生息する空間を確保し、そこを養分で満たす。それが白卵子の成長に不要になった時、白卵子は新たな防御膜を内側から作り出し、余分な養分を胃の中へと吐き出すのだ。体内に突然異物が排出されたことに人間の体が驚いて、初めのうちはそれを吐き出そうと拒絶反応が起き、結果的に白い血液を吐き出すことになるのである。
 急激な不快感に襲われ嘔吐した結果、吐瀉物に異常に白く濁った謎の液体が含まれていることに気づき、それに不安を抱いた先輩は病院の検診を受けたと言う。そしてそこで白卵子の存在を発見したのだ。
 養分排出による嘔吐は胃液も混じって喉を迫り上がってくるため、危険もあるが数回で体は慣れてしまう。それから先は養分を作り、不要な分は胃に排出することを繰り返して白卵子は成長していくのである。
 大学で倒れた原因は、白卵子の血液搾取による貧血だったそうだ。
 白卵子については医師の説明からも、インターネットからも大抵その程度しか情報は得られなかった。白卵子は胃に寄生して白い養分を吐く。その程度しかわからない。これを医師は「白卵子は非常に脆い存在なのです」と説明した。
 何でも白卵子は、人間の胃に寄生をしてもすぐに死んでしまうような弱い生き物らしいのだ。だからこそ、情報が得られず、未だに謎の生き物のままなのである。つまり、そこに先輩が白卵子を宿している意味が生まれてくるのだ。
 先輩の胃に寄生する白卵子は、類を見ないほど順調に成長している、と医師は語った。先輩が倒れた時には既に白卵子を発見してから、二週間が経過しており、これまで白卵子は最長でも一週間程度しか生き続けられなかったため、先輩の中にいる白卵子が最長記録を打ち立てていたのだ。医師は先輩が倒れたことによってさすがに白卵子も無事ではないだろうと予測していたが、なんと先輩の中の白卵子はまだ生きていた。そのため、ここから先は白卵子の未知の生態が表れるかもしれない、ぜひとも研究に協力してほしい、と研究者側からの依頼を受けて、先輩は病院に入院することが決まったのだ。
 謎の多い白卵子を研究するにあたって、先輩の中の白卵子は研究材料にもってこいだったのである。
 俺は先輩の一番身近な存在として、白卵子の話を聞かされた。先輩の叔父も叔母もこのことを知らないらしく、俺はそれはなぜだと先輩に問うた。
 先輩は、本当の両親ではなく、遠縁にあたる叔父の夫妻と幼い頃から暮らしていた。物腰が柔らかで、いつも穏やかな雰囲気をまとっていた夫妻のことを、俺もよく知っている。先輩と仲良くなってからは俺もしょっちゅう先輩の家に遊びに行き、世話になっていたからだ。近所に住む年の近い子どもがお互いしかいなかったために、俺たちはいつも一緒で、家族同然に過ごしていた。だからこそ、俺は先輩に叔父と叔母に相談するべきだ、と強く推した。あの二人ならば、こんな予測不能の事態であっても、受け止めて、何かしら対策を一緒に考えてくれるだろうと思ったし、俺一人よりも叔父夫妻が味方についてくれる方が圧倒的に心強いだろうと思ったからだった。
 しかし、先輩は首を縦には振らなかった。俺にだけこの事実を伝えると言う。本来ならば、俺にも気づかれないようにするつもりだったらしい。
 俺は頑なに説得に応じず、強い意志の宿る瞳をした先輩の言葉を、あの時は正確に汲み取ってやることができなかった。例え、正確に先輩の想いを読み取れていたとしても、俺には何もできなかったかもしれない。それでも、ずっと近くで生きてきた友人として、もっとあの言葉を真剣に受け入れるべきだったのだ。
「この子は、僕の子どもになったんだ。僕が育てる」
 先輩はそう言って俺から視線を外すと、まるで我が子を慈しむ母親のような表情を浮かべて自身の腹部をゆっくりと撫でた。俺はその姿を目の当たりにして、医師の言う研究とはまた違った意味合いで先輩が白卵子と向き合おうとしていることに薄々と勘付いていながら、先輩のことを止めることはできなかった。
 白卵子の話を聞いたところで、結局俺には何もできない。先輩は今実家を出て一人暮らしをしているため、病院にいることが一番安全であると言えた。俺は病院側から白卵子のことを外部に口外しないよう念を入れられ、大学にはストレスによる体調不良で療養することになったという形で伝えられた。
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